本日帰国。
8月10日から本日15日までラオスへ一人旅。
新鮮なうちに、旅行記として残しておく。(書き殴り)
◎1日目 8月10日 福岡発→韓国着
今回、ラオスへの往復の航空券以外は用意ゼロ。
正直、ハワイとかすら行ったことが無く、パスポートって何?から始まったので、楽しみよりも緊張の方が強かった。
だから、無計画さが旅だろう、という勝手な考えの一方で、準備をする事に対して実は少々億劫だった。
結果、出国2週間前にパスポート取得と航空券を確保し、出国2日前にバッグやら諸々最低限のモノだけ購入。
こんな感じでドタバタしていたので、今回の旅でいくつか失敗をすることになる。(大した失敗はしていないけど)
まずは仕事終わりに福岡空港へ直行したのだけど、国内線同様、出国20分前に搭乗すれば問題ないと思って
(余裕を持ったつもりで)30分前に到着。けれども、国際線は60分前らしく、スタッフの方が大急ぎで手続きを進めてくれた。
運良く、飛行機が35分の遅延にもあっていたので無事に出国。
ラオスは直行便が出ていないので、今回は韓国経由。ただ、乗継が12時間ほどあったため、韓国に一泊することに。
ホテルも何も予約していなくて(何かの知識で空港内に泊まれるとの情報を持っていた)、金海空港は23:00に締まるとのこと。
学校の授業以外で英語を使ったこともなかったので、あたふたしていると、空港内に日本語を話せる韓国の方が。
聞けばササンに行けばホテルや飲食店がいっぱいあるとのこと。やたらとロッテリアが24時間やっているよ、と3回ほど連呼された。
取り敢えずササンに行ってみたけど、汚いのなんの。
日本の渋谷みたいなところなのか。にしても汚い。。
宿泊したホテルは凄く綺麗で快適だったけど、ホテルの前の公共道路なんかは×だった。
ちなみに、そこのホテルで受付スタッフと初めて英語でコミュニケーション。片言過ぎる英語でも意外と話は進む。
ああ、海外に来たんだなあと。外国人と意思疎通が出来たことが凄く嬉しかった。
なんだか、1日目は東京から福岡へ単身立ち上げに行くときの気持ちと一緒だった。
行った方がいいのは頭ではわかっていても、身体が付いて来ない事って結構多い。
緊張と不安で頭で考えていることと真逆の方向に引っ張られる。
だからこそ、僕の場合は逃げられない環境を先に作ってしまう。航空券もあまり気が進まないまま予約した。
行くか行かないか、やるかやらないか、考えている時間が1番無駄。
すぐに頭であれこれと考えてしまう僕にとっては、これが1番良いやり方だと思っている。
◎2日目 8月11日 韓国発→ラオス(ヴィエンチェン)着
昼過ぎに到着し、ホテルを先に取った。
場所は全く分からないので、まずはホテルへ行き、そこを拠点に活動範囲を拡げることに。
そのホテルへ向かうために、ワットタイ空港からタクシーを拾う。
57,000kpと言われた。高いか安いかわからないのでOKしてGO。
後で分かったのだけど、これは適正価格だったけど、最初の方は色々ボラれていた。
例えば簡単な箱に入れてある小鳥を渡されて、笑顔で空けるジェスチャーをされた。
自分で空けてみて小鳥が羽ばたいていく。その直後に、笑顔でフォー、って言われて何言ってんだと思っていたら40,000kpくれと。
ふざけんなと思ったけど、料金を確認しなかった自分が悪い。
2日目以降はまず最初に料金を確認することと、ほぼ全てに対して値段交渉を行うようになった。
ちなみに、1番ボラれたのはまさかの空港内のエクスチェンジ。
金海空港とワットタイ空港かどちらかわからなかったけど、30,000円渡したけど1,600,000kp程度しか返ってこなかった。
本来のレートでは2,300,000kp弱。空港内は完全に信用していたので、甘かったなと反省。
ホテルに着いた後は、適当にラオスの首都であるヴィエンチェンを歩き回っていた。初海外の僕にとっては、歩き回るだけで刺激的。
よく言うのだけど、本当にここは昔の日本のようだった。生まれてもないけど、年代はたぶん1970年代くらい。
なんというか、凄く雑多。普通の田舎。村の社会が急激に都市化しているような感じ。
都市としての完成度は全然高くなくて、まさに都市を作ろうとしている最中。
オフィスビルは未だほとんど無くて、基本は自分たちが作ったもの(飲食、花屋、織物など)を売ったり、海外輸入物(車、タイヤ、バイクなど)を売ったりしていて、みんな商売っ気がある。ただ、ラオスらしいなと思うところは、都市化が進んではいるものの、基本みんなのんびりとしていて、店主は寝ていたり、携帯をいじっていたり。トゥクトゥクのおっちゃんはハンモックですやすやと寝ていたりする。
(行ったことないけど)たぶん中国や韓国はもっとガツガツしていて我が我がという感じだと思うけど、ラオスは内陸国で、戦争を好まない穏やかな国民性が現れている気がする。
歩き回って疲れたので、適当に食事を取って、少しだけ夜遊びを。。
詳しくはここでは書かないけど、暇だとそうなるよな。男だしな。
その後は、メコン川を見に行こうとまた適当に歩き回っていた。
暗過ぎて何も感じなかったけど、途中、ひときわ目立つ大きな人の像がライトアップされていた。
その人の名は「アヌウォン」。昔あったヴィエンチェン王国の最後の王だそう。メコン川を向かいに立っていて、右手を前に突き出している。
メコン川はタイとの国境になっていて、ヴィエンチェン王国はタイの進行によって滅ぼされ、アヌウォンはタイでさらし首にされた。
「タイ人よ、この先へは来るな!!」と言っているようで格好の良い像であった。
何より良かったのが、地元の人たちの信仰心。
仏教文化特有のマットが引いてあって、お辞儀(?)をして供え物を供えるのだが、
「ラオスの為に戦ってくれてありがとう」「これからもラオスを守ってください」「平和でありますように」
何も言葉は交わさなかったけど、所作だけでそんな声が聞こえてきそうだった。
(どれだけの本気度かは知らないけど)老若男女問わず、夜遅くに次々とお供え物をしていく姿はとても印象的で、30分くらい延々と彼らを見ていた。
またアヌウォン像の周りには無数の(ややこしいけど)象と馬の中~小像が置かれていて、かつて100万頭の象の国、と呼ばれていたように、動物たちと一緒に闘っていたんだなあ、と感慨に耽っていた。ラオスの歴史を見ると、基本的にタイやカンボジア、ベトナムなどの強国に挟まれて、防衛を強いられてきたので、なんだか肩入れしてしまう。
最後はナイトマーケットをブラブラして終わり。ここ数年で1番歩いたかもしれない。
◎3日目 8月12日 滞在+ラオス(ヴィエンチェン)発
昨日はブラブラして観光名所には一切行かなかったので、今日は計画的に回ってみようと決意。
まずは金ぴかでビエンチェンのシンボルと言われるタート・ルアンへ。初トゥクトゥクで、(ちょっとだけど)初めて値引き交渉が出来た。
ただのトゥクトゥクのおっちゃんでも、ラオスの人と意思疎通を出来たことが旅を通して毎回のように嬉しい。
タート・ルアンは壮大で、よくこんなものを作ったなあ、とただただ関心。
個人的には、タート・ルアンよりも周辺の寺院に当たり前のように犬や鶏、リス(?)が生息していることの方が発見だった。
当然ながら地元の人は「おお、鶏やん!」とはならず、人間と人間以外の動物との共存が成立している。
その空間がとても自然で、どこか居心地が良かった。
次に、ラオス人民軍歴史博物館や人民安全保障博物館を回ろうとしたけど、まさかの日曜日で休み。
そりゃそうか、と。まあこれも旅だしな、と思い直してパリの凱旋門に酷似しているパトゥーサイへ。
展望台があるので、1番上へ。ちなみに当たり前のように全て階段。逆に階段だから良いんだけれども。
そこから見えた景色はあまり印象に無いけど、風が気持ちよかった。
なんとか戦争に触れたかったので色々探していたら、コープ・ビジター・センターという不発弾や地雷の恐ろしさを訴える建物を発見。
最初にベトナム戦争の6分程度のビデオを見て、展示を色々とみていたのだけど、爆撃の凄まじさに唖然。
展示の一つはクラスター爆弾(一つの爆弾がパカっと開いて、中には野球ボール程度の大きさの小型爆弾が300個内臓)が3Dで降ってくるような作りになっていて、とても逃げられんなと。人を殺す為だけに作られた武器。エグイものを作ったもんだと。
その後はホテルに戻って、ルアンプラバン行きのバスを待つことに。
飛行機でも行けるんだけど、安いしせっかくなら地を走り見たいと思ったので夜行バス。
ホテルに手配してもらったけど、1時間半ほど待っても来ない。。
まあこの辺りは東南アジアクオリティやなあ、とさほど期待もしていないのでイライラせず。
ただ、やばい明日着けないなあ、と焦り出してスタッフに何度か掛け寄ったら、なんとか夜行バス行きのバンが来た。
若い兄ちゃんが運転していたけど、その運転が凄まじく粗くて(夜行バスに間に合うよう相当急いでいる様子だった)、
日本中のどのジェットコースターよりもスリリングだった。
ヴィエンチェンは首都で人口急増している割に、公共交通機関が未発達で皆中以上の移動はトゥクトゥクか車か原付が基本。
だから車線はみ出し当たり前、明らか1車線の道も2車並行で通っていたり、荒くれ運転だった。
ヴィエンチェン、治安は良いんだけど、自分で運転はしないと心に決めた。ちなみに到着間際、猫が飛び出してきて、轢いていた気がする。。
で、夜行バス場に到着するも、多分定員オーバー。。なんとか、兄ちゃんが無理やり交渉して乗ることができた。
バス内は2段別途になっていて1番前の2段目だったので、景色は最高。寝転んで、ラオスの地を見ながら移動することができた。
移動して30分後くらいにエンジンが壊れて30分ほどストップ。これも東南アジアクオリティやなあと、トラブルは逆に楽しんでいた。
ちなみに、意外と日本人も何人かいたけど、大麻の話をしていてげんなり。くだらんなあと。
そんなこんなでなんとか第2の目的地ルアンプラバン到着。
◎4日目 ルアンプラバン着+滞在
ヴィエンチェン同様、取り敢えずホテル(今回はゲストハウス)へ。
8:00頃に到着したけどチェックインは12:00からのようで、ルアンプラバンのシンボルであるワット・シェントーンへ。
王様の葬儀に使用したとされる霊柩車があったりと、見応えもあったけどそろそろ寺院に飽きてきた。
仏教への理解の浅さと、自分の感度が低いせいだろうけど、頑張って理解しようとしてもあまり面白くない。
※さっき、村上春樹のルアンプラバン旅行記を読んでいたけど、彼は寺院巡りをとても楽しんでいた。
ゆくゆくは勉強して感度も高めたいけど、違うことをしたいなあと思って寺院に行くのはここで最後にした。
ルアンプラバンに何があるかわからないので展望台へ。当然のように階段が328段ある。
ただ頑張った分だけ感じるものがある。エレベータで楽して上に上がったら感じれないだろうな。
目前に見えるのは大きなメコン川で、茶色の屋根をした家、所々に寺院がある。
この展望台で、何がどこにあるのか把握した。ルアンプラバンは町全体が世界遺産になっているけど結構小さい。
昼からは、そろそろ徒歩が面倒になってきたので、原付を借りることに。走りながらラオスの地を感じたいなと思って。
色々回って調べてを繰り返していたら、クワーンシーの滝というのがあるらしい。通常はトゥクトゥクやバンで行くらしいが、原付でも行けるじゃないか。Gmapを見たら片道1時間弱だったので、Gmapを辿りながらGO。走りながら、右も左ももっさりとした山、森で日本には見ないような木々も。流石アジアの内陸国、と思いながらなんとか1時間掛けて到着。(ほとんど原付で行っている人がいなかったので、到着できるか結構不安だった)
到着したら道中とは打って変わって人も店もたくさん。ただ、到着時間が結構遅くて、(16:00くらい)みな帰るところであった。これから滝を見に行こう、という人は1人もいなかった。
丸焼きの鶏を食べて、滝を見に出発。歩いて5分程度で到着するはずだったけど、歩いている途中で二手に分かれる道が。一つはいかにも舗装されていて、もう一つは舗装はされていない。ただ人が歩いた跡は十分ある。後者に6歳くらいの地元の子供が言ったタイミングでもあったので、後者の道へ。でもこれが完全に失敗で、滝ではなくて、地元の人たちが釣りをするスポットに繋がっていた。一応、道なき道がずっと続いているので、滝があると思って先に進むも、これ以上は帰れなくなる・危険だ、と判断して帰還。山の中を登って行ったけど、下がヌルヌルになっていたりして、サンダルでは先に進めないほど。途中から裸足で足を踏ん張りながらなんとか進み、戻っていった。にしても、凄いね。6歳で危ないところ釣りスポットをすいすい行くなんて(僕はそこには近付いていない)。地元の人とのレベルの差を痛感した。ちなみに戻れた時は、少し登山家の気分だった。あれ以上進まなくて本当に良かった。
舗装された道へ戻ったら、すぐに到着。爆水噴射、大迫力の滝であった。滝の近くにあるつり橋を渡ると服はびしゃびしゃ。4日目に特に思うことになるけど、自然ってすげえなと。そして、また1時間掛けてルアンプラバン市内へ帰った。
ヴィエンチェン同様、ナイトマーケットへ。こちらは規模がさらに大きくて、悠に100は超える店を出していた。買いたいものは特になかったけど、子供も商売をしていたり、売る人がやる気の無さそうな人が多かったりするのはラオスらしくて個人的には良い。
◎5日目 8月14日 ルアンプラバン発~ヴィエンチャン着
早朝の托鉢・朝市を見たかったけど、睡魔に負けて起きれず。今でもちょっと後悔してるけど、またルアンプラバンへ行けばいい。
原付の返却時間が15:00までだったので、回れるところを午前中に回ろうと。
まずはラオス不発弾処理プロジェクト、ビジターズセンターへ。唯一の戦争関係。
実際に掘り出された不発弾がケースに入れられることなく展示されていた。
こちらでは20分程度のビデオを見ていたのだが、あまりに凄惨で開いた口が塞がらなかった。
不発弾を誤って手に取り、手足等を失った方々のインタビューも入っていたのだけれども、
のどかな日常と戦争とがあまりにも相容れなく、異常な事態であった事がよく分かる。
その傷跡は深く、今でも不発弾が埋まっており、探査が完了していないエリアには入ってはならないそうだ。
その後は適当にフラフラしていて、最後にナイル川をボートで上ってパークウー洞窟へ。
行こうとしたんだけど、ボートは8:00に出ており、前日に予約をしないといけないらしい。
原付でも行けるのか?と聞いたら、行けるような行けないような。。
many peopleと言っていたので、クオーンシーの滝のように、洞窟近くには人と店がたくさんあるのだろう。
そう思い、またしても原付で行くことにした。これが結構大変な選択だった事には行ってから気づく事になる。
Gmapで調べたら50分程度だったので、原付を走らせたら、いつの間にか道を間違えていて、遠回りをしてしまっていた。
ただ少し時間が多くかかる程度で、洞窟まで一応行けるようだった。
しかし道を進めていくほどに道路の舗装が無くなり、道が雨の残りでドロドロに。
道自体は危ないとかは無いんだけど、常にスリップのリスクを背負いながら、体幹をフルに使って少しずつ前へ進んでいった。
これが大変な作業で、山を自転車一つで走り回る人たちの凄さを知った。
途中、景色が素晴らしく、また牛たちが普通に道を歩いていたり、泥に浸かっていたりして、逆にこっちの道で良かったなと、目的地に到着してから思った。
Gmapが指す場所へ到着したものの、洞窟は無く、(おそらく)ラオ族の村であった。アフリカの先住民ほどではないけど、いかにも、行ってQに出てきそうな村。すぐに駐車代で笑顔で25,000kp払えと言われて、ここでも金取るんか、と思ったけど支払って探索。洞窟の場所がわからず迷子になっていると、住民の1人が案内してくれた。最初はどこへ連れて行かれるんだろうとドキドキしていたけど、船主を呼んで、この男を連れて行っておくれ、と多分言ってくれたんだろう、洞窟はメコン川を挟んだ向こう岸にあるようで、ボートで岸を渡らせてくれることに。ここで気づいた。あの25,000kpはボート代でもあったんだ。洞窟の近くには、欧米人を中心に何十人も載せた船が3つあって、そこへ小さめのボート一つ、乗客一人で渡らせてくれた。洞窟には仏像がたくさんあって、特に感じるものはなかったけど、ボートの行きと帰りの乗っていた時の感覚はたぶん忘れないだろう。僕がその時渡ったメコン川って、たぶん200mくらいの幅があって、両岸にはもっさりとした木々が生い茂っているんだけど、なんかこう、自然の偉大さ・雄大さのようなものを肌身で感じて、「ああ、おれはなんてちっぽけなんだ」って思った。もっと適切な言い回しがあるんだろうけど、自分がメコン川を渡った程度では、何一つ傷跡が残せないような感覚。周りにいる人間も船主一人で、360°ビクリとも動かない絶対的な大自然に相対したあの感覚。感動(?)なのか分からないけど、今までに味わったことのないものであったことは間違いない。
それから、船主と村の人たちとお別れをして、次は遠回りではなく近道コースへ。まさかのこっちの方が大変で、道中で林業真っ盛りだった。トラクターとかたくさんあって、道は凸凹。途中、エレファントライドを楽しむ欧米人を前にして、懸命に体幹をフルに使って原付を動かしていた。たぶん、地元の人でもあの道は原付では決して渡らないだろう。林業作業中の人は不思議な顔で僕を見ていた。昨日同様、本来の王道ルートから外れて、裏ルートから回ってしまって苦労も多かったけど、結果的には色々体験出来て満足。
帰ったらもう16:00。ご飯を食べたらすぐにルアンプラバン空港へ向かわないといけない時間だ。
どこか食事処無いかな、とウロウロしていたら、地元の人が声をかけてくれて、安くて美味しい店知ってるぞ(たぶんそう言ってた)、と奥まった店に連れて行ってくれた。こじんまりとした店で値段も安い。その時は女の子が一人で店を切り盛りしていたんだけど、その女の子の笑っている顔が今でも忘れられない。たぶん、15~18歳くらいなんだろうけど、笑った時の表情が輝いていた。アイドル的に可愛いとかそんなことが言いたいのではなくて、赤ちゃんや5歳児くらいの屈託の無い笑顔があると思うけど、あの笑顔をその年になっても解き放っていた。日本では絶対に見られないだろう。ラオスの山奥で大事に、嘘偽りなく、心綺麗に育てられたからだと思う、最高に感動した。
ご飯を食べたら、最後は帰れと言わんばかりの豪雨に遭い無事トゥクトゥクで空港へ。ビエンチェンへ戻った。
◎6日目 8月15日 ビエンチェン発~韓国~日本着
本日12:00頃、帰国。
以上。初海外。ラオス旅行記であった。
最後に、文章に落として咀嚼しておきたいことをいくつか記す。
●「豊かさ」と「便利さ」について
否が応でも、豊かさとは何か、について考えさせられる。
日本は生きていくには非常に便利な社会だけど、ラオスよりも豊かなのだろうか。
今回の旅で、豊かさとは何か、思うところは二つある。一つは体を動かすこと。もう一つは人との関わり。
少し書いたけど、展望台がエレベータだったら、感じるものは絶対に違う。
階段だからこそ、苦労があるし、ちょっとした励ましや挨拶、達成感だったりがある。
例えば洗濯はどうだろう。今は乾燥機も付いていて洗濯機のボタンを押すだけで服の汚れが取れるけど、川(メコン川は汚かったけど)で服を洗う事と、どちらが豊かなのだろう。
例えば買い物。Amazonでパソコンのボタンを押すだけでほぼ何でも買えるけど、直接店に行って、自分の目で見て、お店の人と挨拶やちょっとした会話をして買う事と、どちらが豊かなのだろう。
便利になったことで、合理的で生産性の高い社会になった。でも、人間はそもそも合理的ではないし、便利さ=豊かさだとは到底思えない。生産的になって、時間が余ったことで、何をしているんだろう。テレビを見る?スマホをいじる?勿論、さらに勉学に邁進して、仕事に精を出して、自己実現欲求を満たすような豊かさもあるのだろうけど、豊かさを履き違えている社会は多いと思う。
とても難しい問題だろうから、今答えは出ないし出す気もないけど、生きていく上で大事にしたいテーマであることには違いない。
●旅とは何か
初旅で何を偉そうに、と思うだろうけど少し書く。
旅では、計画が無いことが良い。全て計画された旅なんて旅じゃない。
村上春樹は「ラオスにいった何があるっていうんですか?」という本を書いているが、
僕もラオスに行く事を色んな人に言ったら、まずみんな知らないし、何しに行くの?と思った人も多いかもしれない。
僕自身も、何をしに行くのかわからない。でも、それを探しに行くのが旅である。(すみません少し村上さんの言い回しをパクってます)
探しに行って、たくさんの発見があったし、無計画だからこそ体験できた事がたくさんあった。最後の日の女の子の話なんて特にそうだ。
無計画すぎるのも少し考えものだけど、旅とはそういうものなんだ。
もう一つは、確かにメコン川の圧倒的な大自然など凄まじかったけど、1番の思い出はラオスの人たちとのかかわり。
大して話はしていないけど、挨拶だったり、ちょっとした会話だったり、はたまた会話のない意思疎通だったり。
素朴で人のいいラオスの人たちとのかかわりが1番だし、少し前にラオス南部であったダム決壊事故のニュースなんかは、
今日改めて見返すと本当に心が痛む。
特定の誰かと仲良くなったわけではないけど、ラオスの人たちとのかかわりが1番の思い出で1番嬉しかった事。
これからの旅も、きっと同じで、旅の中心にいるのは現地の「人」なんだと思う。
さて、次は年末。また旅することはもう決断した。
次は南米かアフリカか。仏教文化以外の東南アジアにも行ってみたいけど、次は違う大陸に行ってみたい。
次の旅も絶対に自分の世界が拡がると確信している。
それまでに、語学力が課題。DMM英会話なんかで、旅前の1か月程度は英語学習をする。
英語がもっと話せたら旅がさらに充実したものになる。
以上