どこまでがんばれるかな。。。 -5ページ目

明日やらないといけないこととやりたいこと

明日、雨が降らなかった、11時に市大センター病院の神経内科に行かなくてはいけない、

「いかがですか?」

「、、相変わらず痛くて、、」

「お薬いつもの出しときます、8週分、次回も8週間に予約いときます」

効かないんだけど一応治療の意志があると言うことを示しておかないと、、。

いつもこのパターン、

でも明日は特定疾患の更新の診断書をかいてもらわないといけないので

この会話プラス「役所の書類お願いします」が入ってくる

「はーい、わっかりましたー」

これが終わったら

ジングル連れて

山下公園の通りのマクドナルドの外のテラスでなんか食べて

大桟橋にいきたいなあと思っている

状況報告

さっきまで蒸し暑くかった

汗をかくことが出来ないので体温が上がって目の前が白かった

少し風が入ってきて体温が落ち着いてきたので目が見えやすくなってきた

頭が痛い、足がいたい、腰痛い、、

妻はお出かけ、夜中まで戻らない予定、

ジングルは足元でまだバテ気味

ベルはどこか涼しいところを見つけて寝ていると思う

こんな夕方、、、

心は元気!

これが一番大切

慣れ、、?開きなおり、、?

よく病気と仲良く付き合ってと言う言葉をもらう時がある

言ってくれる人はその言葉で僕が救われたーって思って欲しいのかもしれないれど

それが本当の前向きなのか、それを簡単に口に出している人達は

自分がそうなったら本当にそうできるのだろうか?

僕は以前この状況に押し潰されそうになったことがなんどもあった、

あったと言うよりこれからもあるのかもしれない

こんな痛みと一日中仲良くできるひとっているのだろうか

やぱりこんなことと仲良く付き合っていくなんてぼくにはクレージだ

無視することには慣れてきたのかもしれない

今朝も足がむくんでいるかどうかを確かめるまでわからなかったけれど

やっぱりむくんでいた、、

僕は世界中で一番、自分から望まないない痛みをこらえることが出来る人間じゃないかと勝手に

自分で、自分を自慢している、、。

けして仲良くはできない、、。

かなり

足がむくんでいる

針で刺すと水がピューって飛び出してきそう

画像はちょっと気持ち悪いから載せるのはやめとこ

そういえば父が亡くなる前はこんな足になっていたなあ

天敵が前にいたので

天敵は前にいたので、写真撮り放題だった、、。

高崎さんは頑張った、

前半はパワーを感じた、、「~でしてねぇ」が多かったけれど、それが僕には親近感がわいた。

高崎さんと昨日話をいろいろ聞いて、

説教をすることが彼にとってどのくらい緊張するかをしていたので、

僕も少し緊張したけれど、、、

高崎節がはじまった、「~でしてねぇ」、、いいぞ~、、

途中で,原稿の順番を飛ばしてしまったみたいで 「あっ すいません、」ってとこがあったけど
またそこが楽しかった

後半は、また天皇陛下節にもどったのだけれど、気のせいか彼自身、

原稿をそのまま追って行くのに飽きちゃったのかな?って感じがした、、、。

内容はやはり、僕の心に残る、励ましは感じた、、

「神は、その人に乗り越えられない試練は与えない」

この言葉はよく耳にするのだけれど、僕には「ふーん、そうなんだあ」

ぐらいしか思えかなった、

でも、今日の彼の話の中に

「神はもはや昔の方法はとらない,
自らの力で解決できるようになったことは力を発揮させない」

と言う言葉があった、

同じ意味なのかもしれないけれど

この言葉の方が、僕の人生にはピンとくるかな、、、。

僕はきっとこの障害を解決できる人間になっているから、手を貸さないんだって、、、。

お疲れさまでした、

僕の友人高崎さん



行ける、、

このブログの住所を高崎さんも知ている

高崎さんは今日の説教は僕のために考えたと言っている

牧師の説教はきっと特定のだれかに伝えるメッセージとして存在するものだろう

でも、ここで僕が書いていることは、誰かに伝えるメッセージではなくて

自分のからだや、頭で経験したことを、もう一人の自分が眺めていることを書いている

きっと、自分に伝えるメッセージをかいているのかもしれない

そして、これをよんで、心から「がんばって」って応援してくれる人達がいる

僕はとても幸せだなあと今感じる

天気がいいので、僕へのメッセージを聴きに行くことができる

ガタガタ道と、急な坂とのい格闘しながら行こう

先週、教会で写真をと撮っていいかと、田内さんに尋ねたら

スキンヘッドのおじいさんが来て

「説教の時はみんなが集中して聞けるように、撮影はちょっと控えてください」

と言われた、、このスキンヘッドのおじいさんは

前に教会で僕が、そのへんのおば様と普通に話しをしていたら

「基本的に礼拝所の中では、私語は謹んでください」と言ったひとで

それいらい僕は、おとなしくしている、、、。

もしかして、僕のあそこでの天敵かもしれない、、、。

でも今日は、高崎さんの晴れ舞台を絶対に写真で撮ってこようと心に決めている

あの、天敵が、そばにいないことを願おう

みつかっても「あ、すみません」って、ごまかすつもりでいるけれど、

これが本物の人生、、。

トシちゃんの事で感傷に浸ってる余裕を与えてくれないのが僕の人生

やはり一滴がが余分だった、、、、

急にきた、、、、ううぅぅ、、

急げー  、、、、間に合った。

出たア、、、  マシンガンのように、、、。

また、スノコライダーでトイレとパソコンを行ったり来たり、、。

永遠のメールアドレス

これは、もうひとつのほうのブログにかくべきなのか迷ったけれど

今朝のことなので、こっちに書くことにする。



入院の初日ナースステーションの前に小柄なショートカットの妊婦さんが、

ハスキーな声で始めましてと声を掛けてくれた

今にも生まれそうな大きなお腹だった、とてもニコニコしていていい感じの人だった

それがトシちゃんとの最初の出会いだった

トシちゃんは実は男の人だった

半年も入院している、

原因不明の心臓病で,お腹に水がたまっていて臨月の妊婦さんみたいになっていた

トシちゃんはお寿司屋さんの板前見習いで、よくベッドの上で、寿司を握る練習をしていた、

たまに親方が寿司を差し入れに持ってきてくれて

「田中さん、いっしょに食おうよ」って僕のベッドまで持ってきてくれて、いっしょに食べた、

病院では一番の仲良しだった

「田中さん、いま一番なにやりた?」

「、、、歩きたい、、かな?」

「オレは、Gパン履きたい、この腹じゃさ、、」

僕が入院している間は一度もなかったのだけれど

トシちゃんは心臓が止まりそうになってICUにはこばれることがあっったらしい、

「ICUに入ったらさ、会いに来てよね、もしかしたら、会えなくなっちゃうかもしれないからさ」

と笑ってよく言っていた、

「いくけど、言っといてくれないとICUは簡単にい入れないんだからさ」

「うん、言っとくからね」

僕が退院するまでの間はトシちゃんはICUには行かなかった

退院してもメールはたまに「生きてるか?」 「まだ、生きてるよ」

その程度のやり取りだった、でも必ず、返事はお互いに書いていた

AUからドコモに変えたってメールが来た、登録し直した

アドレスはonside_we are,,,

ずっと前に,トシちゃんから、メールが来た

「今、ICU、携帯を、使わせてくれるってことは,オレもうでれないかも」
ときた、

「必ず出て来い!」それだけ、返した、、。

返事はなかった、

ときどきメールをしても、返事はこなかった

今朝、「生きてるか?」とメールした

メールが戻ってきた、「アドレスが見つからないか~」

涙で文字が打ちにくい

このアドレスは消さないで、残しておこう

天国に行ったらこのアドレスにメールするから、。

指までか、、、ナンギやなあ

指の微妙な力加減が出来なかったのでラキソベロンを17滴の予定だったのが

多分19滴分ぐらいになったので、捨ててやり直した

でもまた、たぶん18滴入ったかもしれない

今夜は扉を閉めないようにしよう

小指

今日は左足の小指が特別の痛さがある

どんなふうかというと、ガラスの破片が刺さっているのはいつものことだけれど

その状態で指をペンチで挟んでギューっはさまれている感じ、

左足の小指はにはちょっとしたエピソードがあって

その影響なのか、、。

この小指のことは、もう1つのブログに詳しく書こうと思っている

そっちを参照、、ということで、、。

しかし、小指が怒りたくなるほど痛い、、。(><)