塗潭假日線
新北市新巴士、新北市がバス会社に運行させているタダバスのひとつ。


休日運行なのでハイカーが利用するのかと思いきや、乗客は皆沿線の住民でキャスター付き ショッピングカートを持っている。おそらくは朝の便で新店まで出て買い物をして還るのであろう、乗客は皆知り合いのようにバイバイと言って降りていった。そして最後に残ったのはワラワ一人、終点で降りる。



清朝時代の台湾は全島が統治されていたのではなかった。
日本列島に日本人が日本という國に暮らしている、ところがコレは珍しいことで、世界ではパレスチナにユダヤ人がイスラエルという國で暮らしている。


険しい梯子を登る・・・・
新店獅仔頭山隘勇線の碑があるところまで行くのが目的だった。そこまで行くのもテクテク、バス停から30分以上も山を登った・・・天気が良くないが、この景色が見られたらそれで良かったのだが・・・
「いらっしゃ~い」と言ってる入り口が見える・・


「まあ~しゃあないなあ・・登るか・・」登り30分下り25分・・
険しい梯子を登る・・高校生時代に山岳部のクラスメイトから聞いた三点ホールドを実行する。手足四か所の三か所は常にグリップして一か所だけで前進する。ボルダリングみたいなアホなことは決してやってはイケマセン!。。。


生蕃と熟蕃
苗族は、南部・タイ北部・ビルマ・ラオス・ベトナムの山地に住む民族で、一般にはミャオ族と呼ばれています。アマテラス女神を主神とする日蝕神話の分布する民族でもあり、夫婦は別居し、訪婚が行われ、子女は母のもとで成育する、まるで日本の平安時代みたいな民族です。台湾だけでなくチャイナには統治されていない民族がありました。
生苗とは漢化されていない苗族をさし、熟苗とは漢人になった苗族グループを言います。
台湾でも同様に生蕃は日本統治に反抗する原住民であり、日本統治に従う原住民を熟蕃と言いました。・・・

新店獅仔頭山隘勇線
清朝は台湾を制圧したが、原住民の居住地域までは実効支配が及ばなかったので「境界線」を設けた。
隘勇制度(あいゆうせいど)は、日本統治時代までの台湾に存在した台湾原住民の襲撃に備えるために設けられた一連の防衛組織のことで、
「隘勇線」とは、先住民族の住む山地を砦と柵で包囲して閉じ込めるものでした。日本統治時代になり、台湾総督府は隘勇制度の必要性を認め、官費で維持されることになった。
総督府は、「隘勇線」を圧縮して先住民族の生活圏を狭め、その武装抵抗を誘発した。樟脳の採取により生活圏を荒らされていた原住民側も反乱を起こした。
新店獅仔頭山隘勇線では1903(明治36)年に泰雅(タイヤル)族と日本警察との間で激しい戦いがありました。
今でも烏來におる泰雅(タイヤル)族・・今は首狩り族ではありません。

1909年(明治42年)には、軍隊を投入して総攻撃を行い、全島の「隘勇線」を圧縮して包囲網を狭め、「生蕃」を標高3000メートル級の高山が連なる山系に追いあげ、追いつめ、餓死か降伏かの択一を迫るという作戦を展開し1914年(大正3年)に5カ年計画を終了させた。

ところが最近テレビで国会中継見てるとね・・・
日本統治に反抗する「生蕃」が台湾じゃなくて日本列島におるやないかい!
出ていけ境外敵國勢力生蕃ども・・・

ごきげんよう・・・