新莊地藏庵

新莊神社の狛犬さんとされている石獅がオカシイ!!!
石獅さんは左がメスで足元に子供がいて、右がオスで珠を持っている。ココの石獅のオスはコインを持っとる、文字は「昭和〇寶」・・なんでや!!
日本の狛犬さんはオスメスなく、右が「あ」で口を開けて、左が「うん」で口をふさいでいる。そもそも狛犬さんでなく「お狐さん」じゃなかったのか!!


1937年11月17日,新莊神社舉行鎮座祭,祭神は明治天皇、倉稻魂大神「お稲荷さん」、北白川宮能久親王。
二戰後新莊神社は1950年に取り壊され、土地は 1966 年に新荘工場建設のために和泰汽車に売却された。、
狛犬、石燈籠、神輿が近くの新莊地藏庵に保存された。
石灯籠は14基が「昭和十二年十月建之」、6基が新しいもの。
神輿の神紋は「左三つ巴」で最も多く見られるタイプ。


新莊地藏庵は乾隆廿二年(1757年)に建てられた。嘉慶18年(1813年)、光緒元年(1875年)、1912年、1972年に再建された。
当初の主神は武大眾爺、それが地藏王菩薩に変わる。
18世紀半ばから19世紀 末にかけて、先祖代々の故郷が福建省である閩南人、広東省である客家人、および祖先が広東省である潮州人が武装衝突を繰り返していました。当時の死者はここに祀られ日本統治時代になって集団墓地の移設があり地蔵大菩薩の庇護へ次第に信仰は神様へと変化していきました。そして終戦。
壊されたとはいへ、1966年までは残跡は残っていたと想像出来る、神輿や石灯籠、そして石獅がいつ頃移転したのかがワカラナイ。手水鉢が見当たらない。新莊神社の古い画像が一枚残っているが鳥居は神明式。これが明神式なら狛犬でなく「お狐さん」である可能性が高くなる。

 

文化部の「國家文化記憶庫」に2019年の神輿画像はあるが、「國家文化資産網」に新莊神社に関するものはナニもない。
怪しいこと、この上なきなり。

古き写真に残っていた新莊神社

ごきげんよう・・・