古文書講座入門初級クラスでは手も足もでない、中級クラスでなんとか・・上級者向け崩し字。北白川宮能久親王殿下富子妃御歌碑、
台北市中正區和平西路一段55巷3號 南福宮 南昌公園に面した壁面


國のため たてしいさをは もりそにの
     山より高く おもはゆるかな
注:(もりそ)=摩里遜=新高山=玉山



乙未戰爭で亡くなった近衛師團長・北白川宮能久親王。北白川家と台湾とのつながりは深かった。北白川宮大妃島津富子や長男・長男竹田宮恆久王らが何度も台湾に参拝に訪れた。 1901年、児玉源太郎の指導の下、剣潭(現在の圓山大飯店の敷地)に北白川宮能久親王を偲んで台湾神宮が建立されました。 神社の完成後、総督邸は北白川宮の大妃である島津富子を台湾に招き、式典を主宰しました。 島津富子さんが南部菜園に立ち寄り、和歌を歌いました。 後世、この和歌は石に刻まれ「永華碑」の名で南菜園に現存した。 今日でも南府宮の壁に見られます。

MRT古亭站8番出口から西へ徒歩三分。