乙未戦争,(いつびせんそう)と言ひます。

1895529日,北白川宮能久親王率いる近衛師團、前衛及掩護部隊は三貂嶺鹽寮に初上陸。

  當時、能久親王露營地には木製紀念牌が建てられた。その後18964月に花崗岩で「北白川宮征討紀念碑」が建てられ,その上部には清軍から奪った戰利品の砲弾がついていました。戦前までは臺灣總督府指定史蹟として大切に保存されていました。

  

 

1975(民國64)台北縣政府は荒廃した記念碑を改修し、「鹽寮抗日紀念碑」として改建しました。

 ところが、最近になって、サンドアートの「北白川宮征討紀念碑」が登場しました。鹽寮から南へ5㎞が海水浴と福隆国際サンドアートフェスティバルで有名な福隆です。鹽寮にもサンドアートが造られ、「北白川宮征討紀念碑」が本家「鹽寮抗日紀念碑」の隣に、鎮座しております。

 [おいコラ、そこはオレの場所だって!]

     

紀念碑建造完工於明治三十年(1897),碑文如下:

 明治二十七八年戰役之後,台灣全土歸我版圖矣。而土匪起,頑抗我,北白川宮以近衛師團長,遂能奏討賊之功,其偉勳赫赫,耀于萬世,三貂嶺我軍初上陸,置師團司令部之地,今乃建石此地,以傳後世。  

  明治二十九年四月 台灣總督海軍大將伯爵樺山資紀謹誌。

 

《一八九五 乙未》

https://www.youtube.com/watch?v=LGXoG6LJWO8

樺山資紀台湾総督は台湾に残った清国の兵が下関条約に違反して攻撃を仕掛けてきている危険な現状を報告し、台湾勤務者の待遇改善を具申した。伊藤博文内閣はこれを817日付けで承認した。

   ところで現在台灣には多くの日本人駐在員が居るが、ほとんどの企業は駐在員や家族に安全だからという理由で[危険手当]を支給していない。領事館も大使館もない首狩り族の島でも安全なんだそうですヨ。

ごきげんよう。