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新北市瑞芳區猴猫村

なんで名前はサルなのにネコなんでしょうか?現地の案内板を見ると、やはり昔は猴(お猿さん)が多く居た土地柄だそうですが、鉱山の開発で、お猿さんは少なくなったそうです。戦後に國民党は猴はイヤシイとして候硐に名前を変えたそうです。しかし地元の人達は歴史を守りたいと民主化とともに皆で協議して猴硐に戻したということです。

なんで今はネコなのか?ネコに聞いても知らんと言ってました。イメージ 2イメージ 3 * ランゲージスクールの老師が言ってゐたことですが、九份は常磐ハワイアンセンターだということです。十分の天燈飛ばしもそうですし、猴猫村も同じ。鉱山が廃坑になって村が廃れていくなかで、みんながなんとか村おこしをしようと発展したのです。サルよりネコの方が、安全ですからネ。

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イメージ 8イメージ 9*猴硐神社

今日は鳥居だけでも・・と神社跡が整備されている處の紹介です。明神系鳥居であることから主祭神は天照大神とされていますが、創建など詳しいことが判っていません。猴猫村が観光地化するに従って鳥居と参道と本殿跡が修復されました。

*鳥居に刻まれた創建年は塗潰されていますが昭和の文字は読み取れます。大正五年頃から瑞芳附近には炭鉱が多く造られました。猴もその一つです。安全祈願と増加する人口の信仰のために、造られたものと考えられています。

イメージ 6火車站前の陽春麺湯、ほとんど期待していなかった豚肉・レバー・ちくわにかまぼこ、もやしにねぎ。スープも透明でイケル。
* 搭乘百年運煤老礦車  猴猫村

 皆さんが洞窟のなかへ強制連行されていきます。


中は鉱山の過酷な労働現場です。生きて帰れるか心配してましたが三十分程で出て来ました。後から自分も入ってみましたが、過酷な労働が待っており、トロッコを動かしたり、削岩機の実習やら岩石運搬機を自分で操縦したり、それはそれはオモロイ体験をして出て来ました。脱線しても大きなケガはしません。
公道を跨ぐ線路なのに踏切はない。オニイさんが手を揚げて車やバイクを停めていました。
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バスより遅い台灣鉄路、そもそもが弁当屋さんなので早く走ったり時刻通りの運行は要求してはイケマセン。そうすると脱線しますので、遅れた列車で駅弁を食べるのが台灣鉄路の楽しみ方です。

・・・それでは、ごきげんよう。

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