今回うかがった成田山新勝寺での護摩供養は、私の心にある空海様への尊敬と憧れを呼び戻す体験でした。
護摩の炎を見つめているうちに、平安時代の自分に戻ってしまったかのような思いが溢れてきたのでした。空海様は平安時代に遣唐船で唐から密教を持ち帰ってきたのです。そして日本にその教えを様々な工夫をして努力をして広めました。今も真言宗に空海様の教えが伝わっています。
初めて私が空海様を意識したのは、室生寺の奥の院でした。いただいた御朱印には「弘法大師」と書かれていました。弘法大師はのちに空海様についた尊称。一緒に行った方が「初めてもらった御朱印が弘法大師なんてすごいよ!すごい!」と繰り返し言うので、そんなにすごいならうれしいと思ったのが最初でした。
今思えば不思議なくらいに言われたんですよね。
その後弘法大師の御朱印は結構あちこちにあるみたいと思っていましたが、自分が巡るお寺は真言宗がたまたま多かったからでした。
霊能の方に見ていただいた時に言われたのが、私はやがて菩提樹の前で座っている人になる。その人には知恵や体験の小さな粒が無数にあり、その相手の理解によって大きく見せて、また小さな粒になる手元に戻る。
それを聞いて私は、阿頼耶識(あらやしき)という言葉が浮かびました。阿頼耶識は仏教の言葉で、大切なものや経験を貯蔵する器の役割をするらしいのです。その中に種子(しゅうし)を保持して、宇宙の万物を広げていく器ということをAIは説明してくれました。
霊能の方の話は阿頼耶識と同じことなんだと思いました。
あれ?笑、壮大な話すぎました。
でも空海様から始まって阿頼耶識に辿り着いたのなら素晴らしいことなんだと思うのです。
月が空からそんな私を笑って見ています。
何にしてもこれからもがんばります。
