神社仏閣巡りの質が変わってきたような気がします。
最初は友達を誘ったり、誘われたりでお参りしていたことが多かったかもしれませんが、1人で参拝する方が神様の歓迎にすっと気づくことが多いようです。
自分の感覚に集中できるからだとは思います。
普段から自分の考えと、自分の直感と、何か別の自分の感覚があります。いつもは考えたり直感を信じるところまではするのですが、ここぞと思えば別の自分の感覚に聞いてみることがあります。どうするかというと、自分の胸の前あたりにある自分に聞いてみる感じです。どうしようか迷った時に胸の前あたりの感覚が喜んでれば、これはやっていいんだと判断しているといった感じです。
神社で画像に何か写ったとか、蝶などの虫や動物があらわれたとか、お祓いや太鼓がなったとかということを気にしている友達が何人かいますが、それはおまけとか粋なプレゼント。悪いものを呼んでしまってることもあるみたいです。
大切なのは自分で考えること。それから直感と何か別の自分の感覚を感じること。失敗を恐れずに。その方がずっと自分が成長します。
先日ブログに少し書いた出羽三山神社の画像に顔が写っているんじゃないかという友達や、以前映像に不思議なものがいっぱい映ったといって見せてくれた友達がいたからこそ気づいたのですが、スピリチュアルが好きというのと、神様のメッセージを理解することはまったく別なのです。奇跡を欲しがると神様のメッセージから逆の方向に行ってしまっても気がつかないことがあると思うのです。
こんな風に考えられたのも、庄内への旅からもらった自分へのお土産なのかもしれません。
