※順番が前後してしまいましたことをお詫びいたします。



もし京都のお寺に住めるならここがいいな。


実際に昔はやんごとなき奥方様たちが、夫亡き後に住むために寄進したりお寺を建立されたそうですね。

山門には運慶が作ったと言われている仁王像がありました。

そして本堂。戦国時代の小早川秀明が桃山城から移築したものだそうです。運慶作の仁王像を山門に置かれたことからもそうですが、ここは小早川秀明がとても大事にしていたところだったということが伝わってきます。

そして妙見菩薩のお堂。

妙見とは北斗七星のこと。

宇宙を司る菩薩様。とてもロマンチックです。

このお堂の前で海外の方が手水舎で手を洗ったり、暑くてお堂の前で横になっておられましたが、宇宙規模の妙見菩薩はそんな細かいことで怒りません。もっと広い視点で私達を見守ってくださっています。


現在の世は人の間違いやルールにとても厳しい雰囲気があります。私自身もそうところがあると思います。おおらかさが足りなくなりがちです。


子供が公共の場ではしゃいでも目くじらを立てず元気だね楽しそうだね、と見守れる自分でいる。外国の方が日本のルールを守らなくても笑える自分でいたっていい。

小倉山の小倉池にはまだハスの花が咲いていました。

美しいですね。

平安時代に貴族の別荘が沢山あったようで、その庭に竹を植えていたのが最初だったそうです。今は群生していて情緒的な道を作っています。


このお寺のもっと上には化野(あだしの)という風葬の埋葬場所がありました。野晒しの死体が山積みだったそうです。そこを空海が念仏寺を作り成仏を祈ったそうです。空海は本当にいろいろなことをしていた人だったのですね。


貴族の別荘地のすぐ近くに埋葬場所があったのも驚きです。昔から私達は生きることと死ぬことがすぐ隣にある感覚だったのかもしれません。匂いだって風になってきたでしょうし。


そんなことを私達は忘れてしまっているから、大らかになれずに些細なことに怯えて怒ってしまうのかもしれませんね。