先日、薬師寺のお坊様の講演会にうかがいました。
子供対象なので子供でもわかりやすい例えで心のありかたを教えてくださっていました。子供達は背筋を伸ばして夢中になって聴いていました。
先日、成田山新勝寺にうかがった折に感じた阿頼耶識(あらやしき)について、薬師寺のお坊様に直接お話をうかがうことができとても感激しました。
どんなお話だったかというと、
自分が今どこにいるかと考えると、〇〇県の〇〇市の〇〇にいてこんな仕事をしている、そして親がいて伴侶とその親がいてそれぞれ先祖がいるなどといった、それぞれ私達一人一人が待ち合わせている種子(しゅうじ)が詰まっており、その全体が阿頼耶識。(体験や知識の保管貯蔵庫とホームページでは説明されていました)
そしてそこにいる私達が感じていることや考えていることが末那識(まなしき)。
そこに今までになかった、例えばありがたい教えという種子が入ってきて、末那識がぱっとひっくり返るように変わることがある。
同じものを見たり聞いたりしても感じ方は人それぞれ。それが唯識。その人それぞれのものの見え方で阿頼耶識がある。
そのように説明してくださいました。
薬師寺の大事な教えで唯識(ゆいしき)という言葉があります。唯識はそのままその人が見たことを言いますが、私の見た世界唯識が感謝であったのなら、私の阿頼耶識は感謝に満ちているということになりますよね。
私にわかるように噛み砕いたお話をしてくださって、嬉しくて涙が出ました。
この日講演会を聴けたのはまったくの偶然で、たまたまうかがった先で行われていた講演会で、私も参加しても良いと言ってもらえたから参加できたのでした。
まるて薬師寺さんからお迎えに来てくれたような偶然!
「来週、薬師寺にうかがうことにしていたんです!」とお坊様に声をかけたことで、直接お話をする機会をいただけたのでした。
