嬉しいことがあったときに一緒に喜んでくれる
のと
悲しいことがあったときに一緒に悲しんでくれる
どちらも、そんな人を大事にしたいものですね
どちらも大事なのですが、どちらの方が、信頼度が
高まるかといえば・・・・
嬉しいことを一緒に喜んでくれる人なのです。
たしかに
「ねぇ・・きいて!きいて!」と近しい人に
嬉しかった出来事を話して
自分ごとのように喜んでくれると
この人は、私の味方
という気分になりますね。
もしかすると、人の喜びごとを、心から喜ぶって
難しいことなのかもしれません。
だからこそ、本当に「よかったねー」と喜んでくれると
私のことを、大事に思ってくれてるんだ
と思えるのでしょう。
人の嬉しいことや、幸せな出来事は
うらやましい・・という気持ちが高じて
嫉妬が入ったりすることがあります。
あるいは、自分と同じような環境や生活であることで、
安心感を得たいのに、それがなくなって不安を感じたり
自分が負けたような気もちになったりして
純粋に喜んであげられないこともあります。
相手の不幸を願ったりするわけではないけれど
幸せを100%祝うことはできない・・・
人の心境って複雑なものですから・・・
そういう深層心理があるからこそ、目の前の人が
心底自分の喜びごとを、祝ってくれていることがわかると
信頼感が増すのでしょうね。
相手の喜び事を一緒に喜んであげる!
とくに子どもの場合は、ものすごく大事なことですよね。
ところが!!
母親がやってしまうこと あるある!
子どもが、ものすごくいいことがあって喜んで
報告してくれているのに
「後でね」
「よかったね・・・そんなことよりテストの結果は?」
「クラスでどのくらいの順番なの?」
(相対的に低いとがっがりした顔をする)
「それくらいで満足していたら、すぐに追い越されるわよ」
「もっと○○のほうをがんばったら?」
親にしたら、子どもの好機をのがさず、もっと伸びてほしいと
思うからこその助言をしたいのかもしれません。
でも、子どもにすれば、
他と比べられたり、まだまだだと言われたり、
喜ぶのは早いみたいに言われたりすると
喜びの気持も、萎えてしまいます。
純粋な気持ちで喜べなくなると
もっとがんばってやってみよう~という気持ちが
失せていきます。
そして、自分と同じような気持で喜んでくれなかった人に
対して、また、喜び事があったら一番に話したい!
という気持ちにはなりませんよね。
つまり、ものすごく大きな信頼関係や、動機付けや
伸びるチャンスなど、得られないこと・失うことが
多々出てくるのです。
人、あるいは自分の子ども、配偶者から
「こんないいことがあったんだ!」という報告があったとき
その人とますます深い信頼関係を結ぶチャンスと思って
しっかりと話をきいてあげて
それも・・・「それでどうなったの?」「どんな気持だった?」
みたいに、興味関心があることを徹底的に示して
「よかったねー」「頑張っていたものね」
「しっかりと取り組んでいたよね」みたいに
相手を認め
嬉しい・喜ばしい声のトーンや明るい表情で
喜んであげましょう
やることは簡単だけど、
お互いハッピーになれて
得られるものは思う以上だと思います