本音探しの季節、中間報告。 | ゆるゆる。

ゆるゆる。

自作の陶芸薪窯《風神窯》で独学の塩釉焼食器をつくる陶芸家。
今日もしあわせを見つめて。




 

“本当の自分”に返るって言うけど、どういう事かわからずにいたんだね。

そもそも本当の自分だとか、偽りの自分だとかに悩んでいる時って、本音と自分の生き方にズレを感じている時だと思うんだよ。

だから、ついつい自分の生き方を変えたいというところから入って、「自分には何が出来るのか」と考えてしまうんだ。

けど、それでは見えなかった物が初めて見えた時、僕は全く別のことを考えていた。

“俺が好きなこの風景を増やしていく上で、こんな事が出来たら面白いんじゃない?”

「自分にはこれが出来る」とか「自分はこれが得意だ」とか、そんな事には何の意味もなかった。

だけど、それ以上に大きな可能性のあるモノを、人は持っていたんだね。

“好き”という気持ちほどエネルギーに溢れたものはない。

春、粘土が凍らなくなったら、僕は創作を再開するけれど、その時はもう陶芸家とは名乗らない。

原点とも言える僕の“好き”を思い出したんだ。

僕はやっぱり神々や精靈が好きで、神話が好きで、だからこそ神宮お抱えの工房で、朝夕に神様に食事を捧げるための土器を調製するところからスタートした。陶芸はその延長に過ぎなかったんだね。

“自分が本当にやりたいことは何だろう?”

改めてそれを尋ねた時、心に浮かぶのは、“神様との繋がりを取り戻せる、一点物の神具を制作したい”という想い。

実は去年を振り返った時、一年で一番嬉しかったのは“自分の心の中に神様との繋がりを取り戻せたこと”だと気付いたんです。

神様と言った時、想像するものは皆違うだろうし、極論信じている必要もないと思う。

けれど、命の内側には、やっぱり“神様”としか表現できないものを祀る聖域があって、そこから沢山の叡智を得ていると確信するんだ。

それは見えないから簡単に失われてしまうし、実際僕らはそれを度々失ってきた。

だけど、この気持ちを思い出したからには、心の底から日々大切にして生きたい。

僕を応援してくれている人たちは、そんな想いを共有できる人たちだと思うんだ。

 

“自分を守り導いてくれている神々の存在を確信した時、人は突然自由になる”

 

井上雄彦さんが描くバガボンドから、めちゃくちゃ好きな一節を紹介したい。

“天とのつながり無しに生きるのは苦ばかりなり”

春から始まる僕の仕事の新しい形、今度また紹介するね。

 

宮良太陽 : https://aboutme.style/jinenjo