大晦日の夜に“ジーン”と感じたこと | ゆるゆる。

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自作の陶芸薪窯《風神窯》で独学の塩釉焼食器をつくる陶芸家。
今日もしあわせを見つめて。


大晦日から元旦へと切り替わる夜、晦日参りと初詣を一緒にすることを“二年参り”と言うそうですが、その帰り道でジーンと感じたことがあります。

日頃は随分寂しい神社でも、この日ばかりはおめかしして本殿で御神酒の振る舞いだってしちゃう。

単にめでたいからと言えばそれまでだけど、今年の僕はそこに結構感慨深く感じたんですよ。

中には真夜中でも太鼓を叩いたり、舞ったり、神楽を奉納したりするところもあるでしょうし、そんな風にして喜びを表現せずにはいられない“特別な日”。

でも多くの人が、普段は神社も神様も意識しないで過ごしている。

暦の中で伝えられる季節の行事だって知らない。

だからこそ、そこに改めて“めでたい”という意識を持てることが凄いなと感じた元旦。

日頃は神様なんて知らないよという風に生きていながら、心の中では実は当たり前の存在や概念として大切にしている日本人が、神社に列をなして夜中からご機嫌に笑い声を響かせている。

そんな様を見た時、僕の胸にはこんな想いが。

 

“どれだけ大変な出来事があっても、心に神様が宿る限り、日本が潰れることはないな”

 

小学生の時、元旦に新年の目標を書初めしたことを思い出します。

とは言え小学生の僕だから、そんなことはすぐ忘れたよね(笑)

今年は明確に目標にしたいことがある。

“今まで「自分にはこれが大切」と思い込んでいた物を全部捨てて、自分の心に宿る神様の声にちゃんと耳を傾けて、その声だけを実現すること”

「自分の本音を聞いて生きる」ってこれまで全然出来ていなかったなぁと気付いた昨年末、今年の目標が決まったんです。

というよりも、今後はこれこそを大切にするんだと決意することが。

そんな訳で、日々色々あるけれど、笑顔で言えていると良いな。

あけましておめでとう。

今年こそよろしく、自分。