養父母と記憶 | 5歳娘 脳腫瘍でお空へ ずっとずっとあいしてる

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娘、4歳の夏、脳幹部のグリオーマDIPG になりました
頑張りぬいた娘の姿と家族の日常を綴ります
病気の周知と治療法の発展を願って!
ブログに助けられました
このブログがどなたかのお役に立てれば幸いです

0歳から始まった

私と養父母との生活。

 

正直

最初数年の記憶はほぼありませんので

ある記憶と

聞いた話と

事実

で書いていきます。

 

あと

「お父さん、お母さん」

と呼んでいた伯父伯母が養父母の関係となったのはずっと大人になってからです。

 

だからこそ

「お父さん、お母さん」

と呼んでいる人が

「伯父と伯母」

であるということが

説明する時は余計にややこしかったです。

 

0歳から養父母に育てもらって

いつまでがっつりお世話になったのかは

定かではありません。

 

多分3歳頃ぐらいまで?

とは思っていますが

保育園に通っていた記録もあるので

行ったり来たりしていたのだと思います。

 

実母(以下母)から聞いた話としたは

私は聞き分けがよかったということで

親の手を煩わせた記憶はないそうです。

まあ、なんと立派な(笑)

 

エピソードとして

退院をして安定していた母が

再度入院になった時のこと。

多分3歳くらいかな?

 

ある程度自分の家で生活していたのに

母がまた入院になり

養父母宅へ。

 

そんなある日

養父母と共に母のお見舞いに行った私。

母のベット際で

「せっかくよくなったのにね」

とつぶやいたそうです。

でそれ以上なにか言うことも

駄々をこねることもなく。

 

そして別れ際。

その時もニコニコしながら母ともお別れしたそうで

養父母に連れられ帰ることに。

母も別れを惜しみ玄関まで見送ってくれたそうです。

 

でも

やっぱり3歳。

たくさんのことを我慢していたのでしょう。

 

病院の玄関でのバイバイで

なにかの糸が切れたように

ついに大泣きしたと。

 

全然記憶にはないんですが…

本当は離れたくなかったのだろうなとは

思います。

 

この話は何度か母から聞きました。

幼いころの自分を思い胸がギュッとなることもありましたが

自分が母親になってからは

育てられなかった母は

すごく悲しかっただろうなと思うようになりました。

 

自分の子どもってかわいいですもんね。

本当に目に入れても痛くない。

 

当時子どもだった私も辛かったとは思いますが

きっとそれ以上に母は辛かったと思います。

 

しかも他の人を

「お父さん、お母さん」

と呼んでいたのですから。

 

これをどう思っていたのか

実の父母に聞いたことはありませんが

物心ついた時から

「お父さん、お母さんも大切にしなさい」

とは言われていたので…

まあうちの親は

なんかいろんな意味ですごい人たちですww

 

親になって

本当にそう思います。

 

あと

この話は

記憶ではなく聞いた話ではありますが

私が子育てをしていくうえで

教訓なところもあります。

 

子どもは分かっているということ

考えているということ

そのうえで選択し

頑張っているということ

 

それを頭におきながら

子どもたちには接するようにしています。

 

ダブルケアまではもう少し先ですが…

そこに至るまでの気持ちということで

今後ともよろしくお願いします。

 

幼き頃の私

「ここちゃんと似てる!」

と言われますが

心菜が私に似てるんです(笑)