病気発覚まで④ | 5歳娘 脳腫瘍でお空へ ずっとずっとあいしてる

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娘、4歳の夏、脳幹部のグリオーマDIPG になりました
頑張りぬいた娘の姿と家族の日常を綴ります
病気の周知と治療法の発展を願って!
ブログに助けられました
このブログがどなたかのお役に立てれば幸いです

娘の病気が発覚したのは昨年の夏です

7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました

 

最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です

発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます

 

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ここまでと時系列は前後するところはありますが、その他のことも記していきます。

 

ママっ子が強くなってきた娘。

朝はほぼママの抱っこで1階へ

そして朝はご機嫌斜めが多い

着替えや支度は甘えてくる

が続きました。

 

5月頃からは、朝連絡帳を書いていると

「お風邪だから保育園のお外はバツ(×)にしてね。」

と言ってくるようになりました。

 

熱はないし、風邪の症状もない。

なんなら家の中や家族のお出掛けの際は走り回っている。

 

うん?これは、保育園が嫌になってきたのかな?

 

そう考えた私は、ほぼ全て娘の要望をききました。

そして担任の先生には事情を話し、もしも娘が外で遊びたい!と言い出したら遊ばせてしまってください!とお伝えしました。

実際に、楽しくなると、言ったことを忘れて外で遊びまわっていたこともあったそうです。

進級?成長?においてバランスが少し崩れてしまった娘の気持ちが整うまでは、できるだけ見守ろう、そんな想いでした。


そんな中であった保育園での面談で言われたこととして

・給食の時に1週間に2回はスープをこぼす

がありました。

普段から座ってても動いているような娘です。

その姿は想像ができて、特に違和感は感じませんでした。


そういうば、この頃家でも

「ママー、こぼしちゃったよー。」

と食べ物をよくこぼしていたな。

私は

「気をつけて食べようね。」

と言って、こぼしにくい食べ方を教えたりしてたっけ。


多分なんですが、この頃から左手足が使いにくかったんだと思います。

だから外遊びも、以前のようにできないことが増えていて、遊びたくなくなってしまったのかもしれません。


当時のことを振り返ると全て胸が痛くなるんですが

特に給食の時のことは、どんな思いで雑巾で床を拭いてお片付けしてたのかなあと考えると、今でも、ずっと、苦しいです...。


細かなことをあげるとキリがないのですが

 小さな「あれ?」が並び始めた頃から、娘はなんとなく元気がない日々でした。

動き回ったり、喋ったりは健在だったので、その時だけの娘だけしか知らない方にとっては、元気な子供だったと思います。

でも以前からの娘

元気が溢れてる娘のこと

を知っている私は、日毎に不安が増していきました。