昨夜遅く流れた訃報。涙より目頭が熱くいたくなった。

宝塚歌劇団の脚本演出家として、目を悪くされ演出が出来なくてなっても、脚本執筆されておられた。


兎に角、脇役までキャラがしっかりしていて、男役だけでなく、その頃おざなりにされがちな娘役をクローズアップされた方でした。そしてどんな膨大な話も独特な省略方でまとめ上げ、美しい名シーン、名台詞も忘れられません。


万葉ロマンシリーズ、「さぶ」「ちいさこべ」山本周五郎を舞台化したのも柴田先生が初めてでした。「うたかたの恋」「紅はこべ」や古今東西の原作物だけでなく、漫画家木原敏江さんの「アンジェリク」「紫子」「大江山花伝」も舞台化させておられます。


お名前を意識したのは高校の時、地方ファンで舞台が見られず、パンフレット集めをしていた。当時のパンフレットには脚本も掲載されており、その中にあった「赤と黒」を読んでる途中、後ろから頭をガーンと叩かれたような衝撃を受けた。あの膨大なな作品を1時間ちょっとにまとめて上げながら面白くってキャラがたっていて言葉にならなかった。集めていた好きな脚本の殆どがが柴田作品なのに驚きを覚えた。

どうしても生の柴田作品が観たくて、親に資料を並べ、三つ指立てて許可を得て友人達と旅立ち観た。初演「あかねさす紫の花」。感動のあまり終わっても座席が立てなかった。


学生時代になり、「誰かために鐘が鳴る」の舞台化前にあった講演会は新聞で見つけて必死で行った。

ところが劇団の宣伝不足で司会とカルチャースクールの会員の人以外、純粋なファンは私一人だった。急遽お茶会になり和やかな中、独り占め状態

で過ごせた事、その贅沢な時間は私の自慢です。

舞台の感想を書いたら、返事も下さいました。

今でも大事にとっています。優しいお方でした。


宝塚は新劇ではないとか、大階段を使わなかったら、宝塚じゃないとか、叩かれた時期もありました。でも、今の宝塚で先生の再演を見ない年はありません。必ずと言っていい程あります。

先生が仰っていた、「座付作家なので、」本当に宝塚を愛し作品を作って来られたのだと思います。


私に脚本演出の面白さを教えて下さった方でした。作家さんをさんづけで言う私が唯一先生とお呼びする方でした。

その作品名も全部あげたい、まだ先生がおっしゃった事など語りたい事はつきません。

夢をいっぱい下さりありがとうございました。

心よりお悔やみ申し上げます。