“安全支配”の恐怖 | 地域コミュニティに明日はある

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防災訓練説明会でのこと。ある町会長が「火を燃やして消火訓練をしたい」と言った。「実際に火を燃やさないと、消火訓練にならない」「町会が自主的にやる訓練なのだから、町会の判断でやらせてほしい」と。これに対して市の危機管理防災課は「過去にも事故があり、それは辞めてください」と回答。町会長は「事故から学び、事故が起きないようにすることが大事なんじゃないか」と主張した。私は同感した。こうした時、行政は「事故の起きないこと(安全)」を盾に、市民の自主性を抑え込む。安全による支配。なんか恐ろしさを覚える。

 

埼玉県は海なし県。海水浴に行くには遠いし、川は汚いので入れない。プールは限られているし、特に幼児向けのプールとなると、保育園や児童センターにもなかったりする。そこで、幼児のいる世帯に喜ばれているのが、地域の公園に併設されているちびっこプールだ。ママに見守られながら、思う存分、水遊びができる子供たちはさぞ嬉しいことだろう。そんな貴重な施設が、行政の“安全”指導によって開設できない状況になりつつある。

 

うちの町会では、何年も前から「利用者(幼児)の保護者が監視員」ということでプールを運営してきた。ところが、35度を超える暑さで問題が起きることを恐れた市の職員がプールを見に来て「開設するな」と言ってきた。理由は「監視員がいない」から。「保護者が監視員です」と説明しても、それは認めないという。

 

猛暑の中、利用者がいようがいなかろうが、開設時間中、監視員としてそこにいなければならない。そんな奇特な人が、どこにいるだろう。保護者が監視すれば、済む話ではないか。市は責任を持ってくれるであろう「監視員」に安全を担保したいわけだ。マンパワーの少ない当町会では、保護者以外の監視員など立てることはできない。今後はプールがあってもいつも閉まっている、ということにならざるを得ない。

 

安全であることに越したことはない。でも、その一方で、火の恐怖を知らない、水遊びの楽しさを知らない、といった別の問題が起きている。危険から学ぶことは多くある。熱さを肌で感じるからヤケドを恐れるようになるわけだし、プールの水を飲んだり足を滑らせたりすることで溺れる恐怖を知るわけだ。「安全」でぬくぬく育った人間は危険に直面した時、パニックで命を落とす可能性が高いのではないか。

 

行政がいちいち「危険だからダメ」と介入していたら、市民は危険を学習し、生きる力を身に着ける機会を失ってしまう。町会の中にも安全至上主義者はいる。町会の議論の中で「辞めよう」となることもあれば「やってみよう」となることもある。行政の“安全指導”はこうした議論すら許さない。これでは、いつまでたっても自己責任、自主防災という主体的精神は育たない。

 

日本ボクシング連盟の山根明会長が、暴力団との関係をチラつかせながら、人事や判定に介入していた可能性が取りざたされている。ボクシング経験のない山根氏が終身会長になったり、いわゆる「奈良判定」が繰り返されたり…。その背景に“恐怖支配”があったとなると、納得できる。「事故があってはいけませんから」という“安全支配”で得をしている人がいるのかもしれない。これに屈していていいのだろうか。