「市民」のための市民体育祭か | 地域コミュニティに明日はある

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10月21日に「戸田市民体育祭」が行われる。紛らわしいが、これは市が主催するわけではなく、戸田市内の町会やスポーツ推進委員が主催するイベントということになっている。だから、グランドや駐輪場、運営スタッフ、用具、賞品などはすべて町会役員やスポーツ推進委員が手配する。市は補助金を出し、事務方としてプログラムを作り、当日、市長が挨拶に回る。「市」にとっては実績になるが、果たして「市民」のためになっているのか。負担感しか感じない「市民」もいるのだ。

 

町会が市民体育祭を主催するということはどういうことか。

・運営スタッフとして協力する(前日の準備から当日の片付けまで)

・町会テントを設営する

・町会対抗競技の出場者を揃える

・昼食を用意する

・片づける

ただ競技に参加して、楽しみ、汗を流そう、ということではない。運営に協力しなければならないのだ。

 

市民体育祭に協力できる人を回覧で募ってみた。協力を表明してくれたのは7人ほど(現時点)。各町会の分担である12名の運営スタッフもまともに出せない状況だ。テントや机をトラックに積み込んで運び、それらを設営し、昼食を用意(買い出し含む)する…。7人ほどで一体、何ができるというのか。

 

ある役員は「テントを出すくらいはやろうよ」という。他の町会のテントがずらりと並ぶ中で、二丁目だけのテントがないと格好悪い。それに、二丁目在住の人が参加した場合、待機したり、食事したりする場所がない。肩身の狭い思いをする。

他のことはご容赦いただいて、ただ大会の体裁を整えるためにテントを出す―。そういう選択もないわけではない。

 

ただ、そうすると、一体、誰のための市民体育祭なんだ、ということになる。体裁が整えば「市」は喜ぶ。でも、テントを運搬して、設営して、片づける。ただそれだけをやる「市民」はどうなる。こんな馬鹿らしい活動はない。

大会の主旨は「スポーツ、レクリエーションを推進し、体力の保持増進とスポーツ精神の高揚を図るととも、人と人、地域と地域の交流を促進し、明るく潤いのある社会の形成を目的とする」というもの。テントだけの一日は、この主旨には適(かな)っていない。


役員たちが「どうしてもテントを出したい」と声を揃えるなら仕方ない。でも、無理してまで参加したいとは思わない。参加しないのも恥だが、テントだけの参加も恥ずかしい。

市は当日、大会会場以外の小中学校を市民に貸し出すことを禁止する。「市民」は市民体育祭へ参加しろ、というわけだ。

そうまでしなければ、人が集まらない。それって、本当に「市民」のためになってるの?

 

「市民のためになっている。問題なのは二丁目だけだ」と言う人がいるかもしれない。確かに、協力を惜しまない市民が二丁目に少ないだけなのかもしれない。実際、イベントには参加したいが、協力はしたくない(できない)、という人が多い。

 

もし、市民体育祭に参加して、二丁目のテントがなく昼食にありつけなかった、と文句を言う人がいたら、こう言おう。

「あなたは町会に入っていますか。町会のテントが出ないことは町会員には伝えてありますよ」

「町会のアンケートに協力を表明されましたか。あなたが協力表明してくださっていれば、テントを出せたかもしれないのですが」