【人生名言集】1585号 目次

1.今日の名言 その人の生きる価値
2.読後感想 『国盗物語』(16)
3.編集後記 最初の頃の緊張感


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【今日の名言】
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「賢治は、農学校の先生をしていたとき、生徒に尋ねたそうよ。

 『人間は何故この世に生まれたか?』って。


 賢治自身は、こう答えているわ。

 『人間は何故生まれてきたか、ということを知らなければならな

 いために、この世に生まれてきたのです』って。


 そして、この問題を本気で考えるか考えないかによって、その人

 の生きる価値が決定するのだと思うって。」

         (野村美月『“文学少女”と慟哭の巡礼者』)


「その答えを知るために生きている」と答えた人は、私も何人も知

っています。

しかし、その後、本気で考えていたと感じた人はわずかです。


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【読後感想】
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『国盗物語』(その16・秀吉の働きぶり1)


国盗物語の後半、信長編で、際立っているのは、秀吉がいかに優秀

な部下であったか、という点です。信長の下で秀吉が、いったい何

を考え、いかに配慮し、己の任務に徹したか。

美濃攻略を例に、その働きの凄まじさが書かれます。


「さて、秀吉である。

 この男は、人の心を読むことに長けている。名人といっていい。

 信長の関心が、一にも二にも美濃攻略以外にないと見、自分自身

 も一将校の身分ながら、かれの範囲内で美濃攻めのことに没頭し

 ぬいた。

 いや、範囲外にまで出た。


 美濃攻めの橋頭堡(足掛りの野戦要塞)を築くにあたって、

 『ぜひやつがれに』

 と、志願し、危険をおかして国境線の河中の洲で築城作業をし、

 ついに築きあげた。世に『墨股の一夜城』といわれる手柄である。


 信長はよろこび、

 『藤吉郎、汝が番をせい』

 と命じたので、一躍、秀吉は野戦要塞の指揮官になった。この要

 塞にはかれの才覚でかきあつめた野武士を多数入れておいた。蜂

 須賀小六らである。


 この墨股に駐屯したことは秀吉の前途を大いにひらかせた。なぜ

 といえば、美濃への最前線である。

 『よく守っておれ』

 と信長はそれだけの任務をあたえただけだが秀吉は任務を拡大し

 た。美濃への秘密工作に乗り出したのである。


 美濃侍の竹中半兵衛を口説いて自分の家来にしたのもその一例で

 あった。

 半兵衛には、利用価値がある。

 かれを通じて、美濃衆の切り崩しを秀吉ははじめた。さらに情報

 もあつめた。


 『猿は、美濃の政情にあかるい』

 と、信長に認められるようになった。事実織田軍のなかで秀吉は

 ずばぬけた美濃通になり、信長は何事も秀吉に相談せざるをえな

 くなった。」


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【編集後記】
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少しの間、日本に帰って来ています。移動も、少しずつ慣れて来た

ようで、機内でも、経由地の空港でも、要領よく過ごす方法が分か

って来ました。


最初の頃の緊張感が薄れてきているのが、逆に怖いですね。

もっとも気を抜けないのは、サンパウロの空港です。盗難に遭った

話は、山ほど聞きます。