すんません、議論はしません
m(__)m
仏教には「大前提」がありまあす!
それは?
すべての人間は肉体を持ちながらにして
今生にて悟りを得なければならない
というものです~w
これ、釈迦は実際には「言わなかった」のですが
オシエが歪められちゃって、現在までしつこく残っていますw
なので、既存の仏教団体はもちろん
「修行系スピ」では、いまでも
覚醒しよう!
目覚めよう!
真理を知ろう!
って頑張っているわけですw
(もちろん、それはそれで素晴らしい体験です)
ほかならぬ仏教者さんらーも
歴史的に、現在までも
この「大前提」の罠に潜在的に苦しまれてきましたw
この「大前提」があるせいで
なぜか「修行」をせっせこしなければならないからですw
そして、「悟り」を得ないまでも
「悟った」風な態度でいなければならないからですw
(とくに信者さんの前では「それ」が求められます)
釈迦はすべての修行をやめて
瞑想しているときにフォーカス27(以上)を感知しました
(フォーカスはヘミシンクの概念で、フォーカス27は輪廻の転換点であり、このブログではいわゆる「悟り」の領域です)
で、釈迦は「気づいちゃった」のです
何に気づいたかといえば
あ、すべての人間が今生で「悟り」を得ることはムリだわ!
ってことですw
これは決して「悪いこと」ではなく
「悟り」って誰もがいずれ「悟る」し
それはその人の決めたタイミング次第なので
今生での「悟り」にこだわることはなかったんだ
ってことです
「悟り」と「修行」は関係ない
ってことは釈迦自身を見てもフツーに分かります
って話は次回w