歎異抄第5条でーす

 

文字ばっかでーすw

(長文はイヤなのですが、どうしても長くなっちゃいます_| ̄|○

このシリーズの間はどうかおつき合いくださいm(__)m)

 

 

 

 


「夢告(むこく)」とは、言葉の通り「夢のお告げ」です~

 

1201年、親鸞29歳のとき

 

聖徳太子創建の京都六角堂で3度目の「夢告」を体験しました
 

(引用元)

 

 

 

上から見ると六角形!

 

(引用元)

 

 

 

 

比叡山を降りた親鸞は、六角堂で100日の参籠を始めました

 

その95日目の夜明け前に観音菩薩(当時は聖徳太子と同じとされた。このブログ的には「ガイドさん(自分と同一・同質の非物質の存在)」)があらわれ、夢告を受けました

 

 

 

その夢告は「偈(げ)」として伝えられました

 

げ【偈】
〈梵〉gāthāの音写。仏語。

経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩ぼさつをほめたたえた言葉。

4字、5字または7字をもって1句とし、4句から成るものが多い。

(デジタル大辞泉)


 

 

 

原文はこんな感じです

 

行者宿報設女犯

行者宿報ニシテタトヒ女犯ストモ
我成玉女身被犯

我玉女ノ身トナリテ犯セラレン
一生之間能荘厳

一生ノ間ヨク荘厳シテ
臨終引導生極楽

臨終ニ引導シテ極楽ニ生ゼシメン

 

(親鸞)上人が女性を犯すのであれば

私が美しい女性になってお前に犯されてあげましょう

そして一生の間お前を守り

お前の臨終に際しては引導を渡して極楽へ導きましょう
(梅原猛「梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍」 より)

 

 

 

 

 

香川県の僧侶、千葉憲文さん

 

当時、女犯への戒めから僧侶は妻帯を禁じられていました。
しかし、縁によってもし戒を破ったとしても仏さまは見捨てないというお告げを受けたのです。
このお告げは親鸞聖人の個人的な問題を解決するだけでなく、一般の民衆をも救いの対象であることを意味します。
『在家にあって妻をめとっていたとしても、本願念仏ひとつで往生できる。』
修行生活を送ることのできない民衆も、お念仏によって往生できることを保証するメッセージだったのです。

 

と言われ、私もその通りと思います

 

 

 

 

 

また、西蓮寺さま

 

人は、煩悩を断ち切れず、欲望に振り回されながら生きています。

煩悩を断とうと仏道修行に励むのですが、どうしても断つことができません。

夢の中での観音菩薩のことばは、性的欲望で表現されてはいますが、あらゆる煩悩を含んだ意味でもあります。

 

と言われていますが、これもまったく同感です

 

 

 

 

 

修行僧さんは、煩悩が「ない」か、アテクシらーよりも「薄い」

 

というのが当時も現在も、僧侶への一般的なイメージです

 

 

 

でも、そんなわけないじゃん?

 

だって人間だものw

(じなを)

 

 

 

 

早ければ10代で寺に入る修行僧たちにとって

 

性欲は最大の煩悩とされました

(当時は男性優位の時代でした)

 

 

 

 

 

ところが、親鸞はこの夢告によって

 

性欲はあって( ・∀・)イイ!!

煩悩はあって( ・∀・)イイ!!

 

煩悩は消せるものではないので

煩悩を消去、軽減するとされる修行も意味がない

 

逆に肉体を持った人間として生まれたのは

煩悩を味わい

煩悩に振り回され

煩悩とうまくつき合う

という面もあるのよね

 

つまり

「悟り」と「煩悩」は無関係

である

 

ということが分かっちゃいましたw

 

 

 

 

で、ここから先が、改行少なめの「ビックリばなし」になるのですがw

 

これ、ヘミシンクでフォーカス27(以上)をゆっくりまったりじっくりとっくり体験してきた人が語る言葉と同じ

 

なわけなのですw

 

 

 

つまり

 

親鸞はヘミシンクでいうフォーカス27を体験した

 

ということが類推できるのです

 

 

 

 

初めて聞いた方は「んなわけがねえだろ!」と言われる方もいらっしゃるのでしょうが

 

これまで「親鸞とヘミシンクを絡めて語った人がいない」のでびっくりしちゃうと思うのです

 

 

 

 

 

ブッダは「ある種の瞑想」にて悟ったとあります

 

瞑想で目指し、到達するところは、もちろん「非物質の世界」です

 

一方、ヘミシンクは、誰もが気軽に簡単に「非物質の世界を歩く」ためのツールです

(ヘミシンクも、一種の瞑想ではあります)

 

 

 

じゃあ当時の親鸞と、現在世界中のヘミシンカーさんが体験した(している)世界は同じじゃ〜んw

 

 

 

 

親鸞は瞑想の達人、あるいはコツをつかんだ人だったのでしょう

 

親鸞はヘッドホンもプレイヤーもなく、もちろんヘミシンク音もない環境で

 

フォーカス27へ到達しました

(ヘミシンカーさんも、たとえばフォーカス27へ何度も行き、その波動域に慣れますと、ヘミシンク音なしの「無音」状態でフォーカス27の波動域に意識を合わせることができます)

 

 

 

ただ、フォーカス27の描写は、現代人でさえ困難をともないます

 

まして800年前の鎌倉時代の親鸞が表現しようとしてもムリですし

 

周囲の理解不足により、誤解されて受け取られる心配も大いにあります

 

 

参照:

 

 

 

 

 

現代用語でさえ、フォーカス27を「ひとこと」であらわすならば

 

普遍愛

無償の愛

無条件の愛

広大無辺の愛

 

って言うしかありませんw

 

これがことばの限界ですw

 

 

 

「概念」「ことば」が極端に少なかった800年前

 

親鸞はフォーカス27をとっくりと体験した後で

 

「偈(げ)」として分かりやすくまとめて

「ひとこと」で表現した

 

のではないでしょうか?

(私だったらそうしますし、逆にそれしかなくない?w)

 

 

 

 

 

 

親鸞の、この「偈(げ)」に関しては、多くの研究があります

 

次回は「研究者の立場」と「非物質の世界を体験した親鸞」との「乖離」をながめ

 

今回の私の主張を補完してみよっかなっとw

(↑もう勝手にしてくれw)

 

 

 

 

 

参照:

流れ的に「フォーカス27をこまごまと説明してみた」ほうの記事を再掲いたします~w

長い引用ではありますが、釈迦や親鸞はじめ、古今東西の覚者と呼ばれる人たちが体験した世界です

現代の概念を使った下の説明でさえ、フォーカス27の1億分の1しか伝えられていないですw

そもそも「圧倒的な愛に包まれる」感覚は、言葉にしようもないのですが…

釈迦や親鸞がぶち当たったであろう壁w、「概念や言葉が極端に少なかった時代、国語算数理科社会の義務教育を受けていない人々に、フォーカス27の世界観をこまごまと説明しようとする」大変さ、無力さが伝われば十分です

 

どうぞ~

 

――――――――――――

 

 

 

 

「悟り」を定義しちゃおう!

 

っていうニッコニコで元気な企画です~w

 

 

 

「悟り」とは「特殊で苦しい修行を経て仰ぎ見る、特別にして深遠なる何かw」

ではなくw

 

目に見えない世界(フォーカス27以上)を正確に理解した上での「気づき」であり「心境の変化」である

 

 

 

で、ヘミシンクの「フォーカス」の概念を用いますと

 

「悟り」についての理解がはかどるんです~

 

 

 

さて、今回はいよいよ「F27」です

 

 

 

いわゆる「成仏」のレベルです

ご存じない方は、ぜひご一読をおススメします

 

後日あらためて述べるでしょうが、F27の存在を証明することはできませんが

世界中のヘミシンカーさんらーがほぼ共通のものを知覚しているのですね

 

 

 

引用元は、毎度TSTさまです

m(__)m

 

 

 

 

F27

 

「輪廻の中継点」といわれるところです。ここに来て初めて次のステップに踏み出すことができるといわれています。次のステップとは、

1) もう一度人間として地球に生まれ変わる

2) F27でヘルパーとして働く

3) トータルセルフに帰還する

4) 地球以外の別の生命系に生まれ変わる

などがあるといわれています。そのために、F27でさまざまな準備をするのです。

準備をするエネルギーの場として、次のようなものがあり、ブルース・モーエンの「死後探索シリーズ」のなかでも、紹介されています。

 

1) レセプションセンター(The Reception Center)

死後、物質世界から非物質世界へスムーズに移行できるように、その人が違和感を持たず安心できるさまざまな状況や場所が再現されているところ。

多種多様な人々を満足させるため、それぞれに合ったありとあらゆる環境が用意されています。

モンローがF27を訪れたとき「公園(The Park)」と呼んだ場所や、初めてここに来る人たちを受け入れる「受け入れの場」、救出活動時に使用する「発着場」などがあります。

また、著者が探索活動中に体験したサミーという名のヘルパーがいる「サミーのレストラン」などもあります。

 

2) 癒しと再生センター(The Healing and Regeneretion Center)

通称「ヒーリングセンター」。肉体を失う過程で受けたショックやトラウマなどを癒すための場所。

病気や怪我で亡くなった人などは、F27に来たとしても地上で受けたダメージを引きずり、そのままでは回復できない場合があります。受けたダメージ自体は肉体の死とともになくなっているのですが、心の想いは消えていません。

そのために、死の過程で受けた精神的・エネルギー体的ダメージを癒し、取り除いていくため、適切な自然環境を整え、病院や温泉、レクリエーション施設といった、その人が一番受け入れやすいさまざまな癒しの場が用意されています。

ここには大きな水晶(非物質的なもの)があり、癒しの大本となるエネルギーを放っているといわれています。

 

3) 教育トレーニングセンター(The Education and Training Center)

通称「教育センター」。ヒーリングセンターで癒しを受け、F27の世界に適応できるようになると、次のステップに向け、自分が得なければならないテーマをシミュレーション体験なども交えながらこの場所で学んでいくといわれています。

 

4) 計画センター(The Planning Center)

地球生命系の活動を調整(コーディネイト)するところ。地上へのエネルギーパターンの流れと、地上からF27への情報の流れを管理しています。地球上で起こる事象について、タイミングをアレンジしながら導入やリセットを行ないます。

「発明の場」で創られた新たな考えやエネルギーパターンに対し、タイミングを調節しながら誰でもアクセスが可能な意識のネットワークを使って地球に導入したり、地上の人間意識から上がってくるすべての情報をモニターしながら、C1からF27もしくはそれ以上の領域を含む地球生命系の活動を調整しているといわれています。

 

5) そのほかの場

計画センターでふれた「発明の場」は、この世の中に必要とされるあらゆるものが生み出される場です。物だけでなく、アイディアや技術などが、あらゆる要望に応じて生み出されます。

また、エントリーディレクター(通称エド)と呼ばれる存在が人間界への入国を管理している、「人間界への入国管理場」と呼ばれる場があり、人間界へ転生を果たすまでのプロセスを観察することもできます。

「データの場」と呼ばれ、人類のデータや、地球上で起こったすべての出来事が納められている場もあります。アカシックレコードとも呼ばれるところです。

さらに、コーディネイティング・インテリジェンス(通称CI/シーアイ)と呼ばれるF27全体を維持管理し、調整し、コーディネートを行なっている存在たちからさまざまな情報をもらうこともできます。

 

6) 向こうのモンロー研(TMI/There)

F27にもモンロー研究所があります。ここにも水晶があり、探索時の集合場所や活動拠点として親しまれています。

 

7) 地球のコア(アースコア)

ここを訪れる理由は、地球コアの意識と各フォーカス・レベルの意識をつなぎ、お互いのエネルギーやその世界だけでは得られないさまざまな享受をもたらしあうためです。

さらに、F34/35へ行く前には、この地球のコアのエネルギーと結びつくことが必要といわれています。

地球のコアには、鉄の結晶があるといわれています。また、そこにいる知的生命存在たちとコンタクトし、地球についての情報をもらうこともできます。

 

 

 

ブルース・モーエンさんの「表現」とは違うものもありますが、私が探索したもので「あ、これ同じやつじゃん」っていうのがけっこうありましてw

上の引用と共通するものもありますが、私の「表現」で一部ご紹介しますと…

 

 

「レトリーバルの門」(鳩にエサを与えないで!)

レトリーバルした存在さんをここに連れてきますw

門のところには、その方のガイドさんや縁者さんたち(C1=この世で生きていらっしゃる方も含める)が大勢でお出迎えしてくれまして、拍手と大歓声の中、その方はたいてい「えへへw」って笑ってますw

こっちは「なー!ウソじゃなかったろーん!来てよかったろーん!」ってニヤニヤしてますw

 

 

「サミーのレストラン」(明太子スパゲティ1400円)

他のフォーカスでは「交信ポイント」という活動の拠点を作るのですが、私の場合F27には作りませんでした

なんかすごすぎて、作る気が起きなかったんですよねw

で、すでにある施設を利用させてもらっていましたw

サミーのレストランもその1つでして、以前やらせていただいた「ガイドとの対話」や「ガイド拝見」などはここでやらせていただきました〜(ガイド拝見をまったく別の方に目撃されたこともありまして、へぇ~、やっぱすつながってるねえとw)

 

 

「総合湯治システム・富士の湯」

モーエンさんのいう「癒しと再生センター」の、私バージョンですw

しょーがない、そう知覚しちゃったんだものw

ここではありとあらゆる形態の温泉があり、ゆっくりと傷ついた魂を愛そのもののエネルギーで癒します

私は富士山を眺めながらの露天風呂が好きで、よく入りますw

風呂上がりに瓶のコーヒー牛乳飲みながら、ガイドさんと卓球とかねw

日本ですなあw

 

 

「いのちの図書館」(はだしのゲン上映中)

「教育トレーニングセンター」にあたるところでしょうか(もはやどーでもいいw)

F15にあった「いのちの球体」は私個人の情報でしたが、この「いのちの図書館」は地球人全員バージョンですw

超巨大なドームで、果てがありませんw

中に入ると白が基調の部屋があり、壁にはディスク様のものががずら〜っと並んでいます

このディスクは情報記録体でして、ディスクを取り出して手をかざすと、知りたい情報がやって来ます

もち「悪用厳禁w」なのですが、ここに入れる存在さんは「普遍愛」を理解した方ばかりなので「逆に悪用なんて怖くてできねえよw」って分かってますw

ここは他にもたくさんの部屋があり、ある部屋では映画館や劇場のような空間もあり、そこでは今回の人生を振り返ったり、また、生まれ変わる際に前もっていろえろなシミュレーションを行ったりします

 

 

「フォーカス移動発射システム・Get back Jojo」

F27より波動の軽い、あらゆるレベルの場所へ行けるところです

ここではすべての存在は「人間のかたち」から離れ、「緑の球体」になります

明日ご紹介するF34~49へも、ここから出発します

 

 

 

 

 

我慢できないのでw先取りして少し書いちゃいますが

 

早い話、ブッダもイエスも親鸞もF27(以上)をしっかりちゃっかり体験しちゃったわけですw

 

ただ、当時は「フォーカス・レベル」はもちろん「概念」自体が極端に少なかった時代で、「こんなん言えるわけねえだろw」と、とうてい言葉で説明できるものではなかったのですね

 

 

 

また、ちなみにですが

 

「私はもう輪廻を終えました」

「私はもう人間に生まれ変わることはありません」

「私はこれで最後の人間の世界を過ごしています」

 

とかっていう方は

 

善悪優劣なく、100%もう一度人間やりますよw

 

 

そういうことさえ言わなくなるんですよ~w