俺もヤなのよ?w

 

ウンザリなのよ?w

 

 

 

でもねえ、どこかで

 

難しい語句の説明はそのときにして…

 

って書いてたのよ~w

 

 

 

 

ってことで

 

面倒くさいけどやる!

やっておかないと俺が気持ち悪いシリーズ!

 

ですです

(長いけど1回で終わりますw

お忙しい方は最後の雑感だけでもどうぞ〜)

 

 

 

 

 

第5条の後半

わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも助け候わめ、

ただ自力をすてて急ぎ①浄土のさとりを開きなば、②六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、③神通方便をもってまず有縁を度すべきなり、と云々。

             

(それが自分の力で励む善なのであれば、念仏をさしむけて父母を助けることもできましょう。しかし、善などできる私ではなかったのです。

ただ、自力をすてて阿弥陀仏の本願に救われ、仏のさとりを開けば、迷いの世界でどんな苦しみに沈んでも、仏の方便によってご縁のある人を救うことができるでしょう、 と親鸞聖人はおっしゃいました。)

 

 

「ジーナ訳」

 

もし、念仏というものが「私は良いことをしているぅぅぅ!という自力で頑張っちゃう善」であるならば、亡き両親をも救えるという理屈なんだろうが、それはそもそも念仏を勘違いしているぞ。

 

念仏は「ありがてえなあ」という感謝の心境の発露であり、それは自力でも他力でもなく、ただガイドさんに任せ切る「絶対他力」の心境なんだ。

 

「非物質の世界」に思いを馳せ、ガイドさんをはじめとする「非物質の存在たち」の応援を感じれば、この物質の世界でどんな苦しみの人生を歩もうとも、時間・空間・物質の制限を超えた縁がはたらき、結果的に他人を救うということもあるだろう。

ただね、初めから「人を救わん」というのは傲慢であり、お前が自力でそいつを救うのではなく、そいつが絶対他力に目覚めたら、そいつは自然に救われるんだよ。

と親鸞はおっしゃった。

 

 

 

 

 

フォーカス27(以上)を体験した奴が口にする素晴らしいことばです

 

 

 

原文に番号を振りました

 

①浄土のさとりを開きなば

②六道四生

③神通方便をもってまず有縁を度すべきなり

 

 

 

 

①浄土のさとりを開きなば

 

は第5条の重要箇所になりまして、前回までに書かせていただきました

 

すなわち

 

①浄土のさとりを開きなば

=F27の世界があると理解し、安心感が湧けば

 

ってな感じです~

 

 

 

②六道四生

③神通方便をもってまず有縁を度すべきなり

 

が難しい言い回しなので、ここをチャッチャッチャッーっとw

 

 

 

まず、②六道四生ですが

 

【六道四生】ろくどう‐ししょう
〘名〙 仏語。六道のどこかに、胎生・卵生・湿生・化生の四つの生まれ方のどれかをとって生まれること。

(精選版 日本国語大辞典より。以下引用も同じ)

 

 

 

具体的には

 

【六道】

仏語。すべての衆生が生前の業因によって生死を繰り返す六つの迷いの世界。

すなわち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいう。

 

【四生】
仏語。生物をその生まれ方から四種に分類したもの。

 

胎生(母胎から生まれる人や獣など)

卵生(卵から生まれる鳥類など)

湿生(湿気から生まれる虫類など)

化生(他によって生まれるのでなく、みずからの業力によって忽然と生ずる、天・地獄・中有などの衆生)

の四種の生まれ方。

 

てな感じで、ものすごくつまらないです、はいw

 

でも、いちおうやっておかないとさw

 

 

 

まあ、当時の仏教者の

 

「生まれ変わり(輪廻転生)」の言い回し

 

と思って下さい

 

 

 

すなわち

 

(原文)

六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも

(直訳)

生まれ変わりの間、どのような苦しみの状態にあっても

(ジーナ訳)

この物質の世界でどんな苦しみの人生を歩もうとも

 

くらいでw

 

 

 

 

次に

 

(原文)

③神通方便をもってまず有縁を度すべきなり

(翻訳)

自由自在で不可思議なはたらきにより、 何よりもまず縁のある人々を救うことができるのです

(ジーナ訳)

ガイドさんの導きで自然にレトリーバルされるから安心してね

 

ですです〜w

 

 

 

ここも私ジーナのオリジナルの解釈になります

 

なに、ヘミシンカーさんなら完全にご理解、ご同意いただけますよw

 

むしろ、仏教を「勉強」されている方のほうが怒っちゃうかもしれませんw

 

 

 

翻訳は上の通りです

 

「神通」が聞きなれない言葉ですが、仏教者にとっては普通の言葉のようです

 

神通じんずう

仏教における奇跡にあたる概念であり、宗教家のもつ自由自在な不思議な能力をいう。

 

神足(じんそく)(ジーナ注:思い通りのところへ行く能力)

天眼(てんげん)(ジーナ注:いわゆる千里眼)

天耳(てんに)(ジーナ注:世間のすべての声や音を聞くことのできる能力)

他心智通(たしんちつう)(他人の考えていることを知る能力)

宿命智通(しゅくみょうちつう)(過去のできごとを知る能力)

の五神通

 

仏陀(釈迦)は一般に五通を悟りに関係がないとして否認したが、仏陀観の発展に伴い、教化のための方便として使用されるようになった。

(日本大百科全書)

 

 

 

というわけで、いわゆる「超能力(霊感、サイキック能力)」のことですw

 

「天眼」といっても、この方ではありません

 

(引用元)

(↑はいよw)

 

 

 

 

 

上の「五神通」の能力は、ヘミシンクを体験されると開ける人も多くいらっしゃいます

 

っていうか、ヘミシンクの「ゲートウェイ」では「浮揚」や「リモートビューイング(封筒入れられた6桁の数字を読み取る遠隔透視・別室の綿を燃やす等)」「体外離脱」などを練習させられ、けっこう積極的に能力を開かせにかかってきますw

 

 

 

これらの能力の1つでも開けちゃいますと「私は悟った!」と勘違いしちゃう人も古今東西多かったのですが

 

それは全然違いますw

 

 

 

上の辞書にも「仏陀(釈迦)は一般に五通を悟りに関係がないとして否認した」とありますように

 

私も上記のようないわゆる超能力は「ツール」として認識しています

(私見ですが、上記の「五神通」いわゆる超能力は、ヘミシンクでいうフォーカス10、12、15で体験、体得しやすいので、そのことで間違いないと思われます。たとえば、フォーカス10は「肉体は眠り、意識は目覚めている状態」ですが、体外離脱を体験しやすいのもこのフォーカスと言われています(体験談が多数あります)。体外離脱をしますと時間、空間、物質の縛りが薄れますので、上記の「五神通」いわゆる超能力を体験、体得しやすいわけです)

 

 

 

 

「フォーカス27をじっくりとっくり体験する」のが「悟り」であり、その無限の愛の波動を体感されますと、逆に

 

 

 

超能力で威張ってるの?w

ショボ〜w

 

って自然に分かりますw

 

 

 

 

 

 

いわば超能力は「ガイドさんの分野」なのですねw

 

なので、人間の分野外のこと(非物質の世界による調整や応援)は「ガイドさんにすべて任せておけばいい」のです

 

 

 

肉体のない、あなたと同一・同質のガイドさんは「時間」「空間」「物質」の縛りがありませんので、人間から見たら上の「五神通」を使いまくれるわけですw

 

肉体ある私たち人間は、能力が開けたからといって威張る必要も、ましてや能力が開けた人をアガメタテマツル必要も、1ミリもないのです

 

「依存する、依存される」ことこそ、普遍愛からもっとも遠いものです

 

 

 

「五神通」は「ガイドさんの分野」であり、あなたも肉体を卒業したら、どうせ使いまくれますからw

 

「死」を楽しみにして、「いまここ」を楽しく過ごーす!のがいい感じなのですね

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は、私の雑感になります〜

 

 

 

このシリーズのポイント③に

 

③親鸞のフシギ体験と、ヘミシンカーさんの非物質体験は同じ

 

と挙げました

 

 

 

気づけば当たり前だったのですが

 

「歎異抄」や「般若心経」と「ヘミシンク」は

 

メチャクチャ相性がいい

 

のですねw

 

どちらも結局「非物質世界の探索の話」なわけですから、ベクトルが全く同じなわけです

 

 

 

ヘミシンクをシコシコはじめたときはもちろん

 

ブログで般若心経や歎異抄を書かせていただくようになった時は、まだ

 

ヘミシンクとの「相性の良さ」

 

に気づかなかったのですが

 

今年に入ってやっと気づきましたw

 

 

 

 

皆さんは

 

ヘミシンク×歎異抄

ヘミシンク×般若心経

 

で語る解釈を、たぶん世界で初めて読んでいる人ですw

 

 

 

で、このシリーズを、異論反論はあれども

 

これまでの、何だか結局ケムに巻かれたようなアイマイでモヤモヤした読後感や感想で終わるのではなく

 

きっと少しは分かりやすく読んでいただけたのではないかとw

(つまり、「異論反論しやすい」でしょうw)

 

 

 

 

いや、ハナにつく表現っぽいですが

 

これは私が威張って言っているわけではなく(マジで)

 

キリスト教のお国で育ったヘミシンクの開発者ロバート・モンローさんが

 

 

 

上で見たように、仏教の

 

「五神通」の能力開発の練習

 

を入れ込んできたり

 

 

 

般若心経の

不生不滅(F15)

不垢不浄(F12)

不増不減(F12)

の波動域がある

 

ことに気づいたり

(「F」はヘミシンクでいうところのフォーカスのことです)

 

って

 

 

 

国も人種も時代も宗教的背景も全く異なる人たちが

 

こと「目に見えない非物質の世界」のことになると

 

同じものを見出した!

 

わけですw

 

 

 

モンローさんも

般若心経作者の鳩摩羅什(くまらじゅう)さんも

その漢文の翻訳者の玄奘三蔵さんも

親鸞さんも

 

お前らマジですごすぎんだろ!とw

 

 

参照: