【歎異抄】第5条です~

 

 

 

【歎異抄】第5条(原文)

 

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。

そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり。

いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。

わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁を度すべきなり、と云々。

 

 

 

 

 

歎異抄を最後にやったのが2年前ですが

 

詳しくはこれまでのリンク記事にゆずりまして

 

歎異抄について、まずはごく簡単に振り返ってまいります

 

 

 

 

 

『歎異抄』(たんにしょう)は

親鸞(しんらん)聖人亡き後2,30年のちに

弟子の唯円(ゆいえん)が書いたもの

(以下シリーズを通じて敬称略)

 

 

その内容は親鸞亡き後にその教えが歪み

てんで勝手に広がってしまったことに唯円が怒り

親鸞の教えが「異」なって伝わっていることを「嘆」いて書いた「本」

である

 

ですですw

 

(↑唯円の想像図w)

 

 

 

 

以前やった「第3条」「第9条」と違って

 

第5条はけっこうストレートに読めます

 

 

 

ただ

 

「フォーカス27(以上)」

「生まれ変わりシステム」

「レトリーバル」

「夢告と女犯偈」

 

などの「非物質の世界のすがた」を知っておきますと

 

とても理解が深まります

 

 

 

なぜなら

 

親鸞自身が「非物質の世界」をちゃんと体験したから

 

です

(これが世間で言われるいわゆる「悟り」であり、ヘミシンクの用語でいえばフォーカス27以上の体験です)

 

 

 

これ、誰も言っていないのが不思議なのですが

 

このシリーズの後半で、ガッツリ触れることになるでしょう

 

 

 

 

すこし先取りして言えば

 

ヘミシンク体験者の「ヘミシンカー」さんらーは

 

非物質の世界はあり

非物質の世界を体験し

非物質の世界を共有する

 

ってことを現在も世界中で行っており

 

 

親鸞自身が「非物質の世界」をちゃんと知ってしまった

 

と聞かされても「ああ、言われてみればたしかにそうなんだろうねw」って感じでしょう?w

 

 

 

 

ただ、ヘミシンカーの皆さん!

 

ヘミシンクは非常にマイナーな世界

 

ですよ~w

 

 

 

ときに基地外扱いされたり

 

バッシングの対象になったりしますよ~w

 

 

 

で、それはそれw

 

イイタイコトは

 

 

 

親鸞は非物質の世界を体験し

その体験をもとに語っている

 

のに

 

 

 

歎異抄の解釈者の方は

非物質の世界を体験せずに語る

(あるいは非物質の世界の体験や知識はあっても、ヘミシンクのように体系的客観的にまとめられたモデルがなく、各宗教各宗派各スピリチュアルによって、非物質の世界がこれまでてんでバラバラに記述されてきた歴史があり、語ると特定の教義などにかたよってしまうので「逆に語れない」)

 

ので

 

 

 

歎異抄は分からない!

でも、分からなくていいのだ!

 

ってなっちゃってるのが「現状」なのですね

 

 

 

ですので

 

親鸞は本当は悟っていなかった

親鸞は悪人である自分に悩んでいた

親鸞は燃え盛る煩悩に苦しんでいた

 

などの迷?解釈も、まかり通ってしまっているわけですw

 

 

 

 

 

さて

 

親鸞自身が「非物質の世界」をちゃんと知ってしまった

ってことがなぜ分かるんだい?

 

って疑問はごもっともですw

 

 

 

その理由は、これまでも書いたことがありますが

 

第5条の冒頭

 

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。

(親鸞は亡き父母の追善供養のために念仏したことは、 かつて一度もありません。)

 

これだけでも分かるのです

 

 

 

 

参照: