昨日は

 

○『歎異抄』は会話文も文語体で書かれている。そのために現場の雰囲気は読者にゆだねられている

 

ということについて述べました

 

 

 

「会話」を文章にする場合

 

現代はかなり「現場の雰囲気」が分かりやすくなっています

 

 

 

なぜなら

 

「会話の発音そのまま」を文字にしているから

 

です

 

 

 

なんなら文末に

 

(笑)(怒)

 

なーんてつけちゃう文化も生まれましたw

 

 

 

あ、「w」もそうですねw

 

 

 

これはなぜかといいますと

 

より分かりやすく読者に伝えたい

 

という「願い」が潜在的にあるからです

 

 

 

『歎異抄』の筆者唯円も

 

その「願い」は現代人とまったく同じです

 

 

 

ただし、文語体の弊害として

 

現場の雰囲気が読者にゆだねられている

 

ので

 

 

 

厳しい雰囲気

悲しい雰囲気

 

などを「勝手に設定」できるわけです

 

 

 

現代で言えば

 

文末に(怒)(悲)(涙)

 

などを自由に付けられるのですw

 

 

 

 

 

3年前も同じことを書きましたが

 

ここからは完全に私のオリジナルの解釈になります

(すんません、議論はしませんm(__)m)

 

 

 

『歎異抄』の「現場の雰囲気」は

 

明るく

笑顔が絶えず

カラッと爽やかな

楽しい雰囲気

 

だったのです

 

 

 

逆に言えば、「歎異抄の解説書」の多くは

 

暗く

笑顔もなく

ジメジメした

残念な雰囲気

 

を濃厚に感じるのです

(もちろん、それもアリです)

 

 

 

 

 

ただし、筆者唯円、あるいは親鸞の話を聞いている人々は

 

「親鸞の教え」を

完全に理解している

あるいは、完全に再確認できた

 

という現場なのです

 

 

 

具体的に言えば

 

特別の宗教儀礼によって人為的に感動をあたえ、恍惚状態に導く「専修賢善」

 

が加えられてしまった関東の念仏者のやり方に疑問をもって

 

はるばる京の都まで親鸞に会いにやってきて

 

 

 

「ですよねえ!」

 

って膝を叩いている「現場の雰囲気」なのです

 

 

 

 

 

もちろん

 

「厳しい雰囲気」

「しんみりした雰囲気」

 

の解釈を否定するものではありません

 

だって「そのようにも読める」のですからw

 

 

 

ただ、シリーズ⑧で述べたように

 

○「覚者」のイメージは「陰キャ」よりも「陽キャ」のほうが、人前で説法する外面的なイメージとしては正確である。すなわちユーモアがあり、エロスを理解し、カラッとしている

 

のです

 

 

 

浄土真宗という集団に「ヒエラルキー」を持ち込むのは

 

親鸞の周囲の人々

 

であり

 

 

 

親鸞自身は

 

「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」

 

って言っており

 

 

 

現在のスピリチュアルにも通じますが

 

これこそ

 

完全に分かっちゃった人の言葉

 

なのです

 

 

 

 

 

お寺などでの

 

「ヒエラルキーが完全に確立した後」

 

の視点で『歎異抄』を読みますと

 

 

 

師とは厳しいものであるw

 

といったイメージなのでしょうが

 

 

 

このとき開祖の親鸞自身はまだ存命であり

 

周囲に親鸞の世話をする人はいても

 

親鸞自身は「ヒエラルキーを持ち込ませなかった」はずなのです

 

 

 

なぜなら

 

「分かっちゃう」とは

「ヒエラルキーは真理ではない」と分かる

 

ことでもあるからですw

 

 

 

 

 

ヒエラルキー組織に必ず生じる

 

真剣、深刻、マジメはなく

 

 

 

人間は自由であり

人生は楽しむものだよ~

 

って「分かっちゃった」人との会話なので

 

 

 

『歎異抄』全体に漂う「現場の雰囲気」は

 

明るく

笑顔が絶えず

カラッと爽やかな

楽しい雰囲気

 

に決まっているのです

 

 

 

 

 

もちろん「厳しい覚者」さんもいらっしゃいますが

 

こと親鸞に限っては違います

 

 

 

シリーズ⑳で述べましたが

 

「このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、 面々の御計らいなり」

 

という親鸞の言葉は、たしかにかなり強烈でして
 

 

 

五木寛之さんの翻訳ですと

 

「ここまで正直にお話ししたうえで、みなさんがたが念仏の道を信じて生きようとなさるか、またはそれをお捨てになるか。
その決断はどうぞ、あなたがたそれぞれのお心のままになさってください」

 

となって、なんとなーく湿っぽいですが

(もちろんこれも素晴らしい翻訳です)

 

 

 

念仏やるか、やらないか

そんなことは人に聞くんもんじゃなく

自分で選ぶものだぜ?

 

てな感じで

 

 

 

「分かっちゃった」親鸞のスタンスは

 

とにかく「自由」であり

「押し付ける」こともない

 

のです

 

 

 

 

 

「かなり強烈」というのは

 

念仏1万回唱えましょう!

 

などといった、既存の宗教にありがちな修行的な押しつけがなく

 

 

 

俺は念仏を選んだ

それだけだ

お前も自由に選べば?

 

って開祖が言っちゃってるからですw

 

 

 

ここのところを「残念な雰囲気」で読みますと

 

なんだか自信のない親鸞像

問題に悩み、問題解決に消極的な親鸞像

 

みたいな感じに読んでしまうのですねw

 

 

 

 

 

 

ちなみに述べますと

 

とにかく「自由」であり

「押し付ける」こともない

 

という親鸞のスタンスは

 

 

 

浄土真宗の衰退

 

をもたらせましたw

 

 

 

なので、蓮如は

 

「浄土真宗再興の祖」

 

などと呼ばれているわけです

 

 

 

あれこれ「縛り」があるほうが

 

「組織の存続」という視点では有効なのですねw

 

 

 

 

 

今日は

 

○『歎異抄』全体に漂う「現場の雰囲気」は明るく、笑顔が絶えず、カラッと爽やかな、楽しい雰囲気である

 

ということを確認しました~

 

 

 

 

ここまでの【まとめ】

○『歎異抄』は理解できなくてよい、という空気がある
○『歎異抄』には「等身大の親鸞」の姿が描写され、後世の人々にはそれが驚きであった
○『歎異抄』の筆者唯円は「読者に分かってもらえる」と確信して筆をとったので、後に発禁処分になったり、『歎異抄』は理解できなくてもいいという雰囲気は、筆者唯円にとってかなり想定外であるはず

○「覚者の姿」の一般的なイメージは「聖人君子」である
○神格化された「覚者のイメージ」は後年つくられた思い込みであり、覚者たちは「普通の人間」であった
○「人気のある人」の条件は現代と鎌倉時代とでは大きく異なるが、「面白い人」という点は共通している
○「覚者」のイメージは「陰キャ」よりも「陽キャ」のほうが、人前で説法する外面的なイメージとしては正確である。すなわちユーモアがあり、エロスを理解し、カラッとしている

○『歎異抄』が成立した鎌倉時代の平均寿命は24歳。なぜ現代と比べてかなり低いのかといえば、新生児医療が未発達で赤ちゃんが亡くなりやすい環境だったから

○「女性はたくさん子どもを産む」ことを求められていた時代が長く続いた

○鎌倉時代の庶民は「ワンシーズン経つと、知り合いが死んでいるのが当たり前」の時代に生きていた

○鎌倉時代の庶民の人生観は「楽しいことしたい!」という「享楽的なスタンス」「享楽を求めるスタンス」であり

人々は笑い合い、祭りや収穫を心待ちにし、生きるエネルギーに満ち溢れていた

○子をしつけ、叩く慣習などそもそも日本に無く、少なくとも戦後に生まれた思想

○子をしつけ、叩く慣習は「朱子学」「軍国主義的雰囲気」「戦後の左翼教育の台頭」と関りがあり、それは戦後の日本人の長寿化によるものである

○第2次大戦以前の子どもは「親からのコントロール」が現在と比べるとかなり少なく、それは親(大人)自身が享楽的だったからである

○鎌倉時代は「若者ばかり」で賑やかで活気があった。そして、若者は流行が好きで、ブームをつくり、新しいものに目がないという一面がある

○「あの世に地獄極楽がある」と信じられていた時代、「念仏や題目を唱えるだけで極楽浄土へ行ける」という情報は、享楽的なスタンスの民衆に広く受け入れられた

 

○親鸞が去った関東で、親鸞の教えがゆがめられた。その1つは「専修賢善」と呼ばれ、特別の宗教儀礼によって人為的に感動をあたえ、恍惚状態に導くものであった

○親鸞は「念仏だけ唱えればOK」と説き、「専修賢善」は説かなかった。「第9条」は「それは違うのだよ」という親鸞のスタンスを筆者唯円が取り上げたものである

○『歎異抄』は会話文も文語体で書かれている。そのために現場の雰囲気は読者にゆだねられている