おは恍惚!

 

 

 

今日は「老子」です。

 

老子は完全に「コード(暗号)」で書かれています。

 

 

 

この世界は常識・価値観・正義感・倫理観でガッチガチで

 

真実は「その逆さま(=般若心経でいう顛倒夢想てんどうむそう)」

 

であることが多いので

 

分かるやつにしか分からないように書くわけです。

 

 

 

たとえば・・・

 

「道徳」って言葉があるじゃないですか?

 

ウィキ先生によると

 

【道徳】とは

 

人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。社会性とも関わる。

 

んだそうです。分かりやすいですね。

 

下線は私が引きました。

 

 

ひと言で言えば

 

道徳=正邪、善悪の規範および社会性

 

ってことです。

 

 

 

 

で、ですね・・・話はここからなのですが

 

結論から言いますと、ウィキ先生の【道徳】は

 

「表の意味」

 

なんです。

 

ちゃんと「裏の意味」が隠されているのですね。

 

 

 

般若心経にも

 

「表の意味」=観音さまが舎利子に教えを説く「物語風」と

 

「裏の意味」=真の仕組みを「コード(暗号)」に組み込んで説く

 

という表と裏の顔がありましたね?

 

 

こういうことを仕掛けてくる例は、聖書など他にもけっこうあります。

 

 

 

 

さて、【道徳】です。

 

小学生でも知っている【道徳】って言葉、

 

誰が言い出したかご存知ですか?

 

 

 

 

・・・はい、そこまで!

 

 

【道徳】は老子が言い出しました。

 

 

老子・・・といえば

 

「TAO(道)」

 

の人じゃないですか!

 

 

老子の生きた時代の中国は「春秋戦国時代」と呼ばれ

 

中国全土が多くの国に分かれ

 

各国は生き残るために全国の才ある者たちを集めていました。

 

 

そのため、「論者」らーがたくさん排出されました。

 

これを「諸子百家」と呼びます。

 

老子もまた、その一人だったわけです。

 

 

 

老子はどこかの国王に自分の説を採用させて

 

自分の説を広めてもらいたいわけです。

 

 

なので

 

「表の顔」として【道徳】は「人々を統制する言葉」になるのです。

 

 

 

ウィキ先生おっしゃる通り

 

道徳=正邪、善悪の規範及び社会性

 

でよろしいわけです。

 

 

 

 

でもでもでもね・・・

 

老子は「ちゃんまぐ(ちゃんとしたまぐ愛)」の第一人者ですw

 

「性エネルギーの使い方」が分かっちゃったのですね。

 

 

 

普通は「仙人」みたいに山に籠るところを

 

同時代や後世の人々に向けて

 

わざわざ文字を残してくれたのです。

 

 

宇宙は無限の、無条件の愛と感謝とエロスであり、人間もまたしかり。

 

 

それは老子の言葉を借りれば

 

「恍惚(こうこつ)」

 

です。

 

 

 

現代用語でいえば

 

「変性意識」よりも数段深い

 

「体感をともなう悦楽感・愉悦感・多幸感」

 

でしょうか。

 

 

 

まぐ愛で言えば

 

たんなる愛欲で得られる会館の絶頂

 

とちがって

 

普遍意識と重なり合う「至福」

 

ともいえます。

 

 

 

「恍惚」にいたると、人間は宇宙とつながることができる!

 

そのため、これまで

 

ヨーガや座禅、滝行、護摩行、断食など

 

さまざまなものが見出されました。

 

 

これらはやればわかりますが

 

「恍惚状態」

「変性意識状態」

 

を体験できます。

(霊性が一定に達していれば「魔境」になりません)

 

 

 

変性意識だけでいうならば

 

ヘミシンクもその一つかもしれませんね。

 

 

変性意識下で行う「ガイドさんとのまぐ愛」ですと

 

さらに宇宙との一体感に近づきます。

(これにも「段階」「卒業」があります)

 

 

 

 

さてさてサティ・・・

 

 

老子が見出したのは、ご存知のように

 

「性」

 

でした。

 

 

人間に男女という「性」があり

 

男女が結ばれると新たな「いのち」が宿る

 

すさまじいパワーがある・・・

 

 

 

「これに意味がないはずはない!」

 

のですねw

 

 

 

老子は「性エネルギー」こそ人間の力の源であり

 

これを活用することで「恍惚」にいたることを見出したのです。

 

 

 

私も全面的に賛成です。

 

 

老子がコードとして隠した、もう一つの【道徳】の意味・・・

 

それは

 

 

【道】=男性器

【徳】=女性器

 

 

でした。

 

 

とても信じられないかもしれませんが、本当なんですよw

 

 

 

これは全編そうなのですが一つ例を出しておきます。

 

興味がある方は同じように【裏の意味】で翻訳を味わうと楽しいですよ?

 

 

 

 

「老子」第21章に不思議な言葉があります。

 

ネットから意味を借用します。(ちょんまげ英語日誌

 

なんのことやら分からないと思いますが、【現代語訳】をお読みください。

 

 

【原文】
孔徳之容、唯道是從。

道之爲物、惟恍惟惚。

恍兮惚兮、其中有物。

恍兮惚兮、其中有像。

窈兮冥兮、其中有精。

其精甚眞、其中有信。

自今及古、其名不去。

以閲衆甫。

吾何以知衆甫之然哉、以此。

 

 

【書き下し文】
孔徳(こうとく)の容(よう)は、ただ道にこれ従う。

道の物たる、これ恍(こう)これ惚(こつ)。

恍たり惚たり、その中に物有り。

恍たり惚たり、その中に像有り。

窈(よう)たり冥(めい)たり、その中に精有り。

その精甚(はなは)だ真、その中に信有り。

今より古えに及ぶまで、その名は去らず。

以(も)って衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。

吾れ何を以って衆甫の然(しか)るを知るや、これを以ってなり。

 

 

【現代語訳】
真の徳を備えた人の在り様はひたすらに「道」に従うばかりである。

「道」というものは、ひたすらにぼんやりとして捉えどころが無い。

ぼんやりとして捉えどころが無いのだが、確かに何かが存在している。

ぼんやりとして捉えどころが無いのだが、確かに何かが見えるのだ。

奥深くてほの暗くて、その中に何か精気が存在する。

その精気はひたすらに純粋で、その純粋さは最も確かなものである。

はるか大昔から今に至るまで、その「道」は存在し万物の始原である。

何故私が「道」が万物の始原であるか解るかと言えば、以上の様な理由からである。

 

 

 

へへへ・・・

 

【現代語訳】を読んでもさっぱり意味が分からないと思います。

 

こんなの王様に読ませてどーすんのよと。

 

 

 

この文章はとりわけ「裏の意味」が強く

 

「表の意味」ではなんだかよく分からなくなっているのですね。

 

 

「見えない世界」の話をしていることは、何となく伝わってきます。

 

 

 

ここでは露骨に「男性器」「女性器」で訳してみましょう!

 

 

大変かと思いますが、興味のある方は「書き下し文」を

 

「道」=男性器

「徳」=女性器

 

に置き換えて読んでみてください。

 

 

 

・・・どうせ面倒くさいんでしょう?

 

ええい!俺がやってあげる!

 

 

【ジーナ訳】

孔徳(こうとく)の容(よう)は、ただ道にこれ従う。

女声器という入れ物は、ただ男声器に従う。

 

道の物たる、これ恍(こう)これ惚(こつ)。

すると男声器は、ただ恍惚となる。

 

恍たり惚たり、その中に物有り。

恍惚は、女声器に男声器が入っているときなのだ。

 

恍たり惚たり、その中に像有り。

さらに恍惚のときは、ビジョンが見える(知覚が拡大される)。

 

窈(よう)たり冥(めい)たり、その中に精有り。

神秘体験は、その中に精子を出すときだ。

 

その精甚(はなは)だ真、その中に信有り。

その精子はひたすらに純粋で、その純粋さは最も確かなものである。

 

今より古えに及ぶまで、その名は去らず。

以(も)って衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。

吾れ何を以って衆甫の然(しか)るを知るや、これを以ってなり。

はるか大昔から今に至るまで、その「道(男声器)」は存在し万物の始原である。

何故私が「道(男声器)」が万物の始原であるか解るかと言えば、以上の様な理由からである。

 

 

ちょっと露骨ですけれど、そのまま置き換えてみました。

 

 

なーんか「男性目線」なのが気になりますが

 

当時は男性優位の社会ですし

 

「老子」を読む読者も男性で

 

老子さんご自身が男性ということもあるのかもしれませんね。

 

 

 

 

【おまけ】

リプたんの結弦愛♡

日本の実況解説とはかなり違いますね