㋐
お般若心経!
「色受想行識」を行ったり来たりしてまふ。ぱふぱふ♡
ここでいきなり悲報!
般若心経全文を眺めてくださあい!
「またかよ・・・」
という方は飛ばしてくださあい!
でもね・・・
今日お話しすることは、たぶん世界で私だけですよ!えっへん!
今回は「是」という文字に注目です。
下線マーカー文字のところが「是」です。
【般若心経】
摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等咒能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多咒即説咒曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経
けっこうありますね。
さて「是(ぜ)」というのは、普通に読むと
「これ」
となります。
なので、これまで多くの方々が日本語に翻訳される際
「これ」
と言ってきました。
たとえば
「色即是空」=色これすなわち空なり
みたいな。
これで全然かまわないのですが、正直
「この文字、要らないよね?」
というのもあるわけですw
「是」という文字が無くても意味が通じちゃうのですよ。
先ほどので確認すると
「色即是空」=色これすなわち空なり
でもいいけれど
「色即空」=色すなわち空なり
でもいいわけです。
しかし、なぜか入っている・・・
これが意味がないわけがない!(←わからず屋)
「是」という文字は「正しい」という意味があります。
「是か非か!」
なんて言葉もありますね。
分かりやすく言うと
「こっちの方が正しいとらえ方なんですよ!」
みたいなニュアンスが含まれているんです。
「色即是空」=色これすなわち空なり
でいえば
「お前らいろいろ言ってるが、ほんとうは『色すなわち空』が正しいんだぜ?」
ということです。
いろいろ言ってる「お前ら」って誰でしょう?
お釈迦さま、観音さまは、誰に向かって叫んでいるのでしょう?
簡単ですね?
そうです。般若心経が成立した2500年前の
「当時の人々」
に向けて訴えたのです。
(ちゃんと言えば現存するテキストで最古のものは、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『摩訶般若波羅蜜大明呪経』1巻で、402年から413年の間に翻訳されたものですが、そーゆー議論はともかく、ここは気合で)
たとえば、当時の修行僧らーは「苦行」が当たり前でした。
身体を痛めつけることが「悟り」につながるという考えで、当時はこれが一般的でした。
ところが、お釈迦さんは
「易行」でいいんだよ!
身体なんか痛めつけることはなかったんだよ!
っていうか、独りぼっちで修行せず、人間界にもっと積極的にかかわることが大事なんだぜ?
と言い出したので、周囲から猛反発を受けました。
こういうこと以外にも当時はさまざまな概念がはびこっていましたので
「ここでいっちょ、正しておくかにゃ!」
という意味を込めて「是」という文字は入っているのです。
逆に言えば、「是」が入っているところは、2500年前の当時の人々からすると
とんでもなく異端であり、常識から外れまくっている!
ことであることが分かるのです。
こうした事情があって、
「あのね、Q太郎はね、ちゃんというとね、これは正しくはこうなんだよ」
という「再定義」をする方法として「是」という文字が入っているわけです。
今日は
○「是」に含まれるニュアンス
について確認しました。