おはーっちょん!すいーっちょん!
(↑これのファンがおらりたので再掲)


ご質問をいただきましたので、見解を述べます。

巷で言う霊のことはどのような事になるのでしょうか?よく成仏していない霊を成仏させるお祓いみたいなのあるでしょう?

あと、悲惨な死を遂げられる方もいますが、不慮の事故だったり自殺だったり。それでも同じ死ということで学びを終えてC1から高次フォーカスとかに行けるのですか?



ご質問は2つですね。

「霊について」と、「悲惨な死を迎えても高次のフォーカスへ行けるのか」

いろいろ言いますが、異論は受け付けます。


まず、後者のご質問から。


「悲惨な死を迎えても高次のフォーカスへ行けるのか」

ですが、行けます。

と言いますか、どのフォーカスにいようとも、

すべての存在は「おおもとの1つ=ワンネス」に還る旅路

なのです。


「おおもとの1つ」というのが、へミシンカーでいえばとりあえずトータルセルフ=I/Thereという存在です(人によってさまざまな呼び名があります)

ヘミシンクでいうF35にあたります。


しかし、思いますにこの辺の探索は凄腕へミシンカーの方々にお任せして、知識として知っておけばよいと思います。

C1がウソであろうと、客として来ているのであろうと、私たちの「いまここ」はC1の現実を生きているわけですから。

このC1を安心感、幸福感、充実感を感じて生きていくことが、結局「おおもとの1つ=ワンネス」に還るもっとも早い道なのです。
(↑これすごく大事です)


なので、C1に即して考えると、

「悲惨な死、不慮の事故死、自殺は大丈夫なのか?」

ということだろうと思います。

大丈夫です。


一番やってはいけないのは(ちゃんと言うと、やってもいいけどね)見た目の死に方に引きずられてレッテルを張る(評価する)」ということです。

カルマなどを持ち出すのは危険です。いや、持ち出してもかまいませんが、「ちゃんと分かっておられる方」限定です。

他人にカルマを呈示する方は「愛、感謝、調和、循環、親切、法則、奉仕」などについて、きちっと理解し、ある程度経験を積んだ方限定です。

でないと、他人をますます不幸に落としかねません。



カルマ?イラネッ(゜Д゜=)ノ⌒゜


さあ、この辺から、ご質問の「霊について」にも入っていきますよ。

ざっくりいうと

「霊」=「ガイドさん」

ですwそういう認識でかまいません。

細かいことを言うと違うのでしょうが、フィルターが違うだけで「同じ非物質のもの」を指しています。

これはへミシンカー向けのブログなのでこういう表現ですが、もちろん人によってさまざまな呼び方をします。


ところで、みなさん普段の生活で「霊」は見えますか?ヘミじゃなくて。

私は見えません。なぜでしょう?

チャンネルを合わせていないからです。

それで全然困りません。

私は「ガイドさんを知覚する」方にチャンネルを合わせただけです。

それで人生が豊かになりました。

ヘミシンクのお陰です。モンローさんありがとうございます!


みなさんが見えないのでしたら、気にする必要はありませんね。わざわざチャンネルを合わせる必要がないのです。

見える方は、見える方です。

それはまた別のお話。


何を言いたいのか、話を単純にしますね。

早い話

霊?=怖~い!ブルブル!
ガイドさん?=楽ち~い!ワクワク!


なのですよ。

「霊」という表現は、一般的にひたすら「怖い」のですね。


「あなたね、ひいおじいさんの霊がいますよ。うん、今背中にいてね、こうやってあなたを見てますよ・・・ワーッ!」

と言われるより(↑いや、最後おどかしてましたよ?)

「あなたのガイドさんはこんな男性です。ガイドさんはこんなことを言っていますよ。ウッキ~!」

の方が楽じゃないですか?


これは笑い話ではなくてですね、結構本気で私思うのですが、高校野球で「21世紀枠」ってありますよね?

これはいい言葉。

使い方は違いますが、

私たちって「21世紀枠」に生きているのですよ!

21世紀と言ったら、誰がどう言おうと「新しい」のだ!

つまり、それ以前の考え方は、同じことを示していても「古い」のです。
(↑これ大事です)

私に言わせると「カルマ」「業」「タタリ」「バチ」「障り」などの非物質界のとらえ方は

「古い!」

のです。ダサい、ナウくないのです。

それらは20世紀以前のとらえ方です。


非物質界の「古い」とらえ方= 怖い
非物質界の「新しい」とらえ方=楽しい


のです。

異論は受け付けます。はね返しますが。


長くなりましたので、私が一番怒っていることを例に出して終わります。

ちゃんと傍証はあるのですが、それはまた別の機会に(←引用が面倒w)



「あなたが身体障がい者なのは、前世で人を殺したからだ」
「あなたのその病気(貧乏、不幸)は、前世で自殺をしたからだ」



これ、実際にあるんですよ!まだまだ現在のC1にはびこっています。

単純に怖いでしょう?
楽しくないでしょう?
救いがどこにもないでしょう?

循環も調和も愛も感謝もありません。

ただひたすら恐怖と罪悪感を植え付けます。

恐怖と罪悪感、これ人生で真っ先に要らないものです。


「いや救いはある。これを信心なさい」

という「信仰=自分以外の何かに願う」に必ずつながるのです。


こんな言い方は20世紀以前の「古い」とらえ方なのです。


決しておススメしませんが、

「人を殺しても、自殺をしても、時間はかかりますが、いつか必ずF27へ行けます。成仏します」

とても面倒なことになるのでおススメはしませんが。

でも、これが「真のすがた」です。


長くなりました。まったく語り足りませんが、別の機会にしましょう。