知恵を求める人のためのブログです。
世の中は「力」が支配しています。
知性で支配することを人々は考えますが、大抵は「力」に屈するものです。
それでも、「力」に知性が加われば、いわゆる「鬼に金棒」となるでしょう。
つまり、権力者に有能な参謀が付けば大抵の物事は思い通りになるということです。
この場合、権力者が望めば平和な社会を築くことは可能です。
では、宗教で平和を実現出来るでしょうか?
古代イスラエルや現在のアフガニスタンやイランなど中東のイスラム教国などは宗教、つまり、神が支配しています。
イスラエルでは、神のおきてを守っている限り「平和」は維持されました。
キリスト教国ではそうではありませんが、イスラム教国では戒律や祈りや食事などに厳しい規則があり皆それを守っています。
しかし、どちらの国でも様々な問題が出現し平和は程遠い状態です。
その原因の一つに人々の不満があります。
宗教は政治ではないので、世の中のあらゆる事柄に関わっている訳ではありません。
従って、宗教で平和を築くことは困難です。
それでもブータン王国のように信心深い人が多く平和な社会を築いている国もあります。
これは希な国の一つでしょう。
平和ということは「争いがない状態」です。
国内では、宗教の教えを守ることで平和を維持出来るかも知れません。
信者の行いの代表的なことは「教えを守る」ことと「祈り」です。
では、宗教による「平和への祈り」は実現するのでしょうか?
宗教の「祈りに力」はあるのでしょうか?
結論から言えば、
祈る相手が「真の神」で、その神が祈りを聞いて下されば「あらゆることが可能となります」
しかし、祈る相手が「真の神」でなければ、例えどんなに祈っても実現することは決してありません。
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今の世の宗教は平和には全く無力だという証があります。
先々代ローマ教皇の故ヨハネ・パウロ2世が冷戦時代の1986年10月に宗教指導者をアッシジに招き、「世界平和の祈りの集い」を開いたことは有名な出来事です。
世界平和を祈願するサミットに世界約60カ国からキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、神道などの宗教指導者511人と約1万2000人の巡礼者らも集まったとされています。
彼らの祈りは聞かれたでしょうか?
結論は否です。
その後世界はどうなったでしょうか?
1980年以降世界の主要な紛争は以下の通りです。
1980年~1988年 - イラン・イラク戦争
1982年 - フォークランド紛争
1983年 - グレナダ侵攻
1979年―1990年 - 中越国境紛争
1990年~1991年 - 湾岸戦争・Category:湾岸戦争
1991年~2000年 - ユーゴスラビア紛争
1991年~1995年 - クロアチア戦争
1992年~1995年 - ボスニア紛争
1999年~2000年 - コソボ紛争
1991年~(継続) - ソマリア内戦
1994年 - イエメン内戦
1994年~1996年 - 第一次チェチェン紛争
1999年~2009年 - 第二次チェチェン紛争
2001年 - 2001年バングラデシュ・インド国境紛争(英語版)
2001年~2021年 - アメリカのアフガニスタン侵攻(対テロ戦争)
2001年~(継続) - パキスタン紛争
2003年~2011年 - イラク戦争
2006年 - イスラエルのガザ侵攻・レバノン侵攻
2006年 - エチオピアのソマリア侵攻
2006年~2009年 - スリランカ内戦
2008年~2009年 - イスラエルのガザ紛争
2011年 - リビア内戦
2011年~(継続) - シリア内戦
2012年~(継続) - マリ北部紛争
2014年 - イスラエルのガザ侵攻
2014年〜(継続) - ウクライナ紛争
2015年〜(継続) - イエメン内戦
2017年 - マラウィの戦い
2020年〜(継続)2020-2021ミャンマー反乱
2022年〜(継続) - 2022年ロシアのウクライナ侵攻
2023年~(継続) - 2023年パレスチナ・イスラエル戦争
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戦争がなくなるどころがむしろ増えていることは事実です。
世界は、平和よりも自己主張と争いを激化させています。
これらの国には国教もあり、また、戦ったすべての人々はアッシジに集まった宗教指導者と同じ宗教を持つ人々です。
一体何のために宗教指導者はアッシジに集合したのでしょうか。
皆同じ平和と言う願いを「各々自分たちの神に祈った」と思われることから、彼らの神はどれ一つとっても「真の神」ではなかったことを証明したようなものです。
つまり、彼らの「平和の祈り」に「力」がなかったことは明白です。
彼らは一体「何」に祈ったのでしょうか?
目はあっても見えず口があっても利けず足があっても歩けず手があっても触ることもものをつかむことも出来ない、
いわゆる「偶像」に祈ったのです。
あるいは、存在しない「幻想の神」に祈ったのです。
祈りが聞かれるはずはないのです。
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彼らの祈りを見て思い出すのは、列王(一)18:17-40の記録です。
エホバを崇拝するエリヤとバアルの預言者450人との、互いの神に対する「祈りの力の対決」です。
バアルの預言者の祈りにバアルは全く何も応えません。
一方、エホバはエリアの祈りに応え天からの火をもたらし全焼の捧げ物と石と土を焼き尽くしました。
これを見てイスラエルの民は「エホバこそ真の神です!エホバこそ真の神です!」と言ったのです。
アッシジの祈りによって「世界に平和」が訪れるどころか紛争が頻発していることは、アッシジに集まった宗教と彼らの神はバアルと同じ「無力な神」だと断言出来ます。
ところが、最近ローマ法王がアッシジでしたことと同じことをまた繰り返そうとするかも知れないというニュースを耳にしました
結果は以前と同じになることは明かです。
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聖書には「事物の体制の神」という言葉が出て来ます。
別の言葉では「世の支配者」-ヨハネ14:30
「空中の権威の支配者、不従順の子らのうちに働いている霊」-エフェソス2:2
「全世界が邪悪な者の支配下にある」-ヨハネ(一)5:19
これはバアルとは異なるものです。
一般的には、バアルは嵐と慈雨の神とされています。
その像は偶像です。
聖書には他にも「糞像」という言葉が多く出て来ます。
この像も偶像です。
これらは、列王記やエゼキエル書に記されているような「無力」の存在です。
古代に於いてこうした「物」を崇拝し、その崇拝者たちは、時にはエホバに滅ぼされています。
大半の宗教の神は「バアルや糞像と同じ」で「無力な存在」ですが、
この「事物の体制の神」は実際に存在し、また、力ある者で、別名「悪魔、また、サタン」と言い、
真の神エホバに逆らう者です。
世の宗教は、いわゆる「悪魔」に祈ったりすることはありません。
したがって、
力ある「事物の体制の神」に祈る宗教は存在しないということになり、この神が「力」を表すこともないわけです。
実際、この「事物の体制の神」は自分を光の使いに変様させていると記されています。-コリント(二)11:14
つまり、「キリストについての良いたより」を惑わす存在として現れるのです。
更に「事物の体制の神」は「真の神との戦い」のために世に三つの汚れた霊感の表現を「人の住む全地の王たちのもと」に送り込んで「全能者なる神の大いなる戦争に彼らを集める」と記されています。
「13 そしてわたしは,かえるのように[見える]三つの汚れた霊感の表現が,龍の口から,野獣の口から,偽預言者の口から出るのを見た。
14 それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである。」
-啓示16:13-14
従って、
アッシジに集まった様々な宗教指導者たちの「平和の祈り」に、この「力」ある「事物の体制の神」が応じることはないのです。
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しかし、終わりの日の今日、真の神エホバは「世界平和」の祈りに応えることはありません。
そうであれば、アッシジに集合した宗教指導者たちが祈った「偶像」と同じではないかと言うかも知れません。
そうではなく、真の神は、彼らを含めこの事物の体制を滅ぼすことを意図しておられるのです。
そのための「しるし」も示しています。
それゆえ、今の世では「世界平和」に対する祈りには応えないのです。
更に、
ものみの塔の代表である統治体やエホバの証人が「信者の安寧」をエホバに祈っても聞かれることもないのです。
彼らの間には「信仰と直接関わりのない数々の悩みや問題が山積」していますが、それでも彼らがいくら祈っても聞かれることはないのです。
これをどのように捉えるかですが、
聖書では、真の崇拝者たちには「信仰に直接関わりのある苦難や忍耐や試練」が起こることが示されています。
-【参考】マタイ10:16-21
ですから、真の崇拝者たちは「神に守られる」ことはあっても「自分たちの祈り」は聞かれないのです。
信仰には、忠実と忍耐が求められます。
ですから、今の体制内で生きている限り「平和と安寧」の願いは決して達成されることはないのです。
今は忍耐しながら神とイエス・キリストの再臨を「待つべき」時なのです。
天において再臨していても、地上に再臨することはまだだからです。
その時を「ずっと見張っていなさい」とイエスは言われ、更に、「終わりまで耐え忍んだ者が救われる者です」と断言されたのです。-マタイ25:13、マタイ10:22
加えて、その再臨は直接目にすることは出来ません。
なぜなら、「雲と共にやって来る」からです。-マタイ24:30、ヨハネ14:19、啓示1:7
つまり、
イエス・キリストの再臨を【見る】には霊的識別力が必要なのです。
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【最近の事例】
神道・仏教・キリスト教で合同の祈り 東日本大震災 鶴岡八幡宮で祈願祭
2020/3/11
東日本大震災の発生から9年を迎えた11日、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で、神道・仏教・キリスト教の3つの信仰による合同の復興祈願祭が開かれ、僧侶・司祭・牧師ら約80人が舞殿で祈りをささげた。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、事前の周知を避けるなど規模を大幅に縮小して実施したが、境内には市内外から多くの人が集まった。震災発生時刻の午後2時46分に黙祷(もくとう)した。
同市では、震災発生の1カ月後にあたる平成23年4月11日、鎌倉宗教者会議の主催により、同神社で合同祈願を実施。以降、毎年3月11日に建長寺や円覚寺、カトリック雪ノ下教会などが持ち回りで開催し、今回が10回目。同神社での開催は4回目となった。
同会議の朝比奈恵温事務総長(浄智寺住職)は、「震災時のことを思い出し胸が痛む。復興はまだ道半ば。これからまた頑張らないといけない。信仰は違っても被災者の希望のために祈る気持ちは変わらない」と話した。
凝りもせずに同じことが繰り返されています。
世の中では、こうしたことは「良いこと」として認識されているということです。
これに異論を唱えるのは、エホバの崇拝者(ものみの塔に属さない)とエホバの証人位(ものみの塔に属する)でしょう。
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参考:キリスト教の信者が仏陀やアラーに祈りをすることは考えにくいことです。
他の宗教も同じです。
なぜなら、自分が信じている「対象」もその「手段」も異なるからです。
聖書の神とイスラム教の神アラーとは、特に戒律においては大変似ています。
なぜなら、イスラム教の原点はモーセの律法だからです。
いわば、ユダヤ教キリスト教イスラム教は「兄弟」のようなものです。
(そのため、今のエルサレムにおいて、これら三つはある意味共存しているのです。)
しかし、キリスト教の信者は決してアラーには祈ることをしません。
ところが、大抵の宗教は「信仰合同」を認めているのです。
良く言われることは、
宗教を道に例えて、道は異なるが「目的」「願い」は同じだと。
確かに、どの宗教でも大抵は、平和と安全と物事の成功などの達成を祈ります。
人々や信者はそれを信じ、日本では神仏に日々祈っています。
別の言い方をすれば、
これは、同じことを異なる神に祈っているだけだということになります。
アッシジの集まりはこうしたことが「背景」としてあるということです。
ちなみに、「信仰合同」という言葉は1953年(英文 同年日本語版)にものみの塔が定義した言葉です。
しかし、その後この「信仰合同」という言葉を頻繁に使っているにも関わらず、その定義は全く説明されてはいません。
ものみの塔は「信仰合同」という言葉の定義について「自明」であるとでも言うのでしょうか?
「信仰合同」の定義
1 すべての人は神の子供だから、どんな方法を用いて崇拝しても良いという考え。
2 誠実であれば何をしても神は受け入れて下さるという考え。
3 共通の目的のためであれば異なる信条の制度(異なる宗教)と合同出来る(祭祀を共に行うこと
が出来る)という考え。
この三つの考え、および、その行いを「信仰合同」としているのです。
ものみの塔はこうした考えの基に信仰合同という言葉を用いています。
ものみの塔は「信仰合同」を否定しています。
そのため、エホバの証人であれ、元エホバの証人であれ、大抵はエホバ以外の神を崇拝することはなく、また、偶像崇拝もしないのです。
こうしたことをどのように考えるかはあなた自身の問題です。
これは信仰の問題だからです。
ただ、すべての人は「結果責任を問われる」という事実には変わりはありません。
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追記
第二次世界大戦後、世界はいわゆる東西に分裂しアメリカとソ連の冷戦時代の入りましたが、
それでも紛争や戦争は無くなりませんでした。
現在の世界の紛争を見ていると、
1 イスラム過激派などのアメリカの「自分たちの領域に対する侵攻」に対する反撃でした。
その象徴がウサーマ・ビン・ラーディンでした。
つまり、アメリカが他国に余計な口出しをしたから生じたこととも言えます。
2 ソ連のいわゆる南下政策がアフガニスタンやチェコ侵攻などを引き起こし、ソ連解体後ロシアに
なって、プーチンはいわばソ連時代の地域を奪取しようとして独立したかつてのソ連の共和国を
自分の支配下に置くためにバルト三国やウクライナやロシア南部地域でも度々紛争を起こしてい
ます。
3 これに加え、ハマス(イスラム教)が「パレスチナの長年の虐げ」に我慢できずイスラエル(ユ
ダヤ教)に戦争を仕掛け戦いが続いています。
卑怯にも「人質」を取って戦っているのです。
これは、いわゆる「テロ」と言える行動です。
(「パレスチナの長年の虐げ」、これはイギリスの責任でもあります。
当時、イギリスはイスラム勢力を抑えるために、「二枚舌」を使ったことが発端です。
いわゆる、「アラビアのロレンス」を利用(潜入させた。スパイのような存在にさせられた)し
たのです。)
かつて、捕虜以外で人質に取られた戦争はありませんでした。
この点、如何にハマスが悪質であるかが理解出来ます。
イスラエルのガザへの攻撃で残虐だと非難されていますが、ハマスの人質作戦が原因なのです。
もし、これがイスラエルではなくアメリカだったら、
おそらく、人質解放のためハマスの要求を飲んだでしょう。
しかし、アメリカはその後の反撃の機会を「いつまでも」窺っていて、いつの日か「大義名分」
をでっち上げハマスを壊滅に追い込むのです。
イラクのように。
アメリカとはそういう国なのです。
いすれにしろ、アメリカとイギリスはイスラエルの支援を止められないのです。
これは、いわば、チャーチルとルーズベルトの思惑に端を発する「因縁」でもあるのです。
3番目が加わったことで、
世界はキリスト教とユダヤ教とイスラム教の、いわば宗教戦争になりました。
キリスト教とユダヤ教は手を結んでイスラム教と戦っている構図です。
こうした状況を鑑みて言えることは、
ロシアとイスラム過激派の存在が無ければ、これらが紛争を起こさなければ、現在の戦争はおこらなかったと言えます。
それ以前に、アメリカが世界の覇権のために「力の誇示」をしなければ、小さい紛争はあっても現在のような世界を巻き込む戦争にはならなかったのです。
(これが、ロシアやイスラム過激派などの「火種」になったことは明白です)
こうした点で、宗教は世界平和に全く役に立たなかったのです。
あなたはどう思いますか?