わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。
ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。
クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。
法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。
ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。
世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。
イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。
いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。
また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。
しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。
人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。
聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。
更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。
前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。
その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの
ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。
七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
とになっています。
その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の
最後の災いとなります。
参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです)
テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7
ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24
エフェソス6章10
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18
エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。
-エフェソス5:1-7
ガラテア6章
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9
コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
用されます。
したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)
コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34
創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
なぜなら、命は血によって支えられているからです。
つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
となのです。
「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
ます。
したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。
では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ
うか。
全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること
なのです。
参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で
示されています。
女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。
ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り
返しある生きものはいません)
今回は、人間はなぜ裸を恥ずかしいと思うのでしょうかという話です。
裸を見られるということは誰でも恥ずかしいものです。
この恥ずかしいという感情は他の感情と同じなのでしょうか。
怒り、歓び、自己満足、恨み、憎しみ、嬉しさ、楽しさ、・・
突き詰めればすべて心や思考や記憶や感覚(いわゆる五感)と感情は一体のものかも知れません。
これらと感情は別々に存在するものではなく、常に何らかの関係性があることはおそらく誰しもが実感していることだと思います。
一方で、裸を見る方には道徳や人格が大きく関係しているものです。
人間が性に関心があるのは子孫を設けることで生活を安定させるために止むを得ないことです。
それは、人間の創造者の命令でもあります。
しかし、無秩序に男女が関係を持っても良いということではありませんでした。
なぜなら、最初の人間アダムに次のような命令をしているからです。
28 さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。-創世記1:28
しかし、人間は時に、必要以上に性を求めていることは事実です。
実際、人類はその初めから性に関して多くの問題を抱えているのです。
加えて、どの時代にも、お金を得るという手段として、安易に売春をする女性もいるのも事実です。
こうしたことは、裸に対する人間の意識と感情の問題でもあります。
これとは逆に、仕事の能力と人格は別物であることはハッキリしています。
例えば、優秀、有能な人でもお金や地位や名誉などに関する欲望はあるもので、時に犯罪を犯すこともあるのです。
優秀な人がお金持ちであることは希ですし、結婚はこうした能力とはかけ離れたものです。
親の遺産などによる裕福ではない、いわゆる「叩き上げで裕福になった人」は大抵「抜け目がない」ものです。
こうした人のことを「賢い」とか「運が良い」と言ったりするものです。
こうした能力と人格は別のものです
それでも、裕福になるには人格を含め様々な要因となるものを「持っている」ものです。
儲ける人がすべて「悪人」とは限りません。
宝くじのような「一攫千金」では当てはまりません。
アメリカンドリームはこの一攫千金を狙った「博打」つまり賭けなのです。
その象徴がマイクロのビル・ゲイツであり、フェイスブックのザッカーバーグであり、アマゾンのジェフ・ベゾスなどのような存在です。
エジソンもこの部類に入るかも知れませんが、ビル・ゲイツのような存在はロックフェラーやスティーブ・ジョブズのような存在とは全く異なるものです。
ロックフェラーやスティーブ・ジョブズに似ているのは、日本ではソフトバンクの孫正義やトヨタの豊田章男のような存在かも知れません。
あるいは、日清食品の商業者・安藤百福、江崎グリコの創業者・江崎利一のような存在かも知れません。
こうした人々は、その経営理念も人格も優れていたので大企業として今も存在しているのです。
しかしながら、大抵は、人間は能力と人格は個別に評価されるものです。
有能な指導者は能力よりも人格を重視するものです。
能力は指導の仕方で向上するものでもあるからです。
しかし、人格や性格は殆ど変わることがありません。
人格は殆どの場合人生の経験と個人の能力と知識や理解力と法や道徳を遵守するかどうかなどの性格で形成されていくものです。
いわゆる正義感が強いというのは性格から来ているものです。
仕事は能力と希望によって自ずと定まって来ますが、性格は遺伝的要因も加わって来ます。
例えば、短気な性格は遺伝するものです。
それでも人は誰でも自分の性格をコントロールしているものです。
すべてを心の思うが儘にする人出来る人はいません。
善いことに付け悪いことに付け、必ず自制心を働かせるものです。
いわば、自分の先天的性格をコントロールすることが人格であり、人格は後天的に形成されていくものです。
さて、本題に入りますと、
実は、最初の人間アダムとエバは裸で生活していました。
創世記を読んだことのある人なら誰でも知っていることですが。
それでも二人は恥ずかしいとも思わなかったのです。
当時は、ノアの大洪水前だったので、地球全体は温暖な気候だったのです。
北極も南極も今のように寒くもなく、赤道も今のように暑くもなかったのです。
しかも、雨も降っておらず、おそらく強い風が吹くこともなかったのです。
今ほどの高い山も深い谷もなく比較的平地が多かったと考えられます。
エバが創造され罪を犯し恥ずかしいと思うまでどのくらいの期間過ごしたかは分かりません。
いずれにしろ、その時点ではアダムは地上の生き物に名前を付ける作業は終えていて、畑を耕していたかも知れません。
そして、自分が名前を付けた生き物たちをどのように従わせるかを考えていたと思われます。
創世記2章
2章
こうして天と地およびその全軍は完成した。
2 そして,七日目までに神はその行なわれた業を完了し,次いで七日目に,行なわれたすべての業を休まれた。
3 それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その[日]に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである。
4 これは,天と地が創造されたとき,エホバ神が地と天を造られた日におけるその歴史である。
5 さて,野の茂みはまだ地に見られず,野の草木はまだ生え出ていなかった。エホバ神は地に雨を降らせておらず,地面を耕す人もいなかったからである。
6 ただ,霧が地から立ち上って地の全面を潤していた。
7 それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
8 さらに,エホバ神はエデンに,その東のほうに園を設け,ご自分が形造った人をそこに置かれた。
9 そうしてエホバ神は,見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ,また園の真ん中に命の木を,そして善悪の知識の木を[生えさせた]。
10 さて,川がエデンから発していて園を潤し,そこから分かれ出て,いわば四つの頭となった。
11 第一のものの名はピションという。それはハビラの全土を巡るもので,そこには金がある。
12 そしてその地の金は良質である。そこにはブデリウム樹脂やしまめのうもある。
13 また第二の川の名はギホンという。それはクシュの全土を巡るものである。
14 また,第三の川の名はヒデケルという。それはアッシリアの東を行くものである。そして,第四の川はユーフラテスである。
15 それからエホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた。
16 また,エホバ神は人に命令を与えてこう言われた。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。
17 しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。
(参考:この時アダムは死とは何かを理解していなかったと思われます)
18 次いでエホバ神は言われた,「人が独りのままでいるのは良くない。わたしは彼のために,彼を補うものとなる助け手を造ろう」。
19 さて,エホバ神は野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが,人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため,それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして,人がそれを,すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも,それがすべてその名となった。
20 それで人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていたが,人のためには,これを補うものとなる助け手は見いだされなかった。
21 そこでエホバ神は深い眠りを人に臨ませ,彼が眠っている間に,そのあばら骨の一つを取り,次いでそこの肉をふさがれた。
22 それからエホバ神は,人から取ったあばら骨を女に造り上げ,それを人のところに連れて来られた。
23 すると人は言った,
「これこそついにわたしの骨の骨,
わたしの肉の肉。
これは“女”と呼ばれよう。
男から取られたのだから」。
24 それゆえに,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである。
25 そしてそのふたりは,すなわち人もその妻も共に裸のままであったが,それでも恥ずかしくは思わなかった。
その後、
最初にエバが、次いで、アダムが神に禁じられた木の実を食べてしまいました。
創世記3章
6 そこで女は見て,その木が食物として良く,目に慕わしいものであるのを知った。たしかに,その木は眺めて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた。その後,共にいたときに夫にも与え,彼もそれを食べはじめた。
7 すると,その二人の目は開け,ふたりは自分たちが裸であることに気づくようになった。そのため,彼らはいちじくの葉をつづり合わせて自分たちのために腰覆いを作った。
(参考:人間は昔から今に至るまで、裸を隠す時には全身ではなく腰と胸(女の場合)です。
アダムとエバもそのようにしたのです)
これが人間が裸を恥ずかしいと思うようになった原因です。
そして、神の宣言通り罪による死と共にすべての人に裸を恥ずかしいと思う感情も遺伝したのです。
ローマ5章
12 それゆえ,一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が[入り],こうして死が,すべて[の人]が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がったのと同じように―。
13 というのは,律法以前にも罪は世にあったからです。ただ,律法がなければだれも罪の責めを受けないのです。
14 それにもかかわらず,死はアダムからモーセに至るまで,アダムの違犯と同様の罪をおかさなかった者に対しても王として支配しました。
生まれたての赤ん坊を見ていると裸でも恥ずかしいと言うそぶりを見せません。
人が裸を恥ずかしいと思うのは10歳ぐらいになってからです。
それまでは男の子も女の子も一緒にお風呂に入っても無邪気に戯れているのです。
誰も恥ずかしいとも思わず裸だからと言って特に意識をすることもないのです。
こうしたことをすべての人は日常的に見て知っています。
ただ、恥ずかしいと思わないのは「まだ子供だから」と考えていることが殆どだと思います。
それもありますが、わたしの考えは少し違います。
この10年間は、もしかするとエバが創造され罪を犯すまでの期間だったのではないかということです。
これ自体に重要な意味はありません。
ただ、
人間は初めから裸を恥ずかしいと思わなかったことの証となるのではないでしょうか。
裸を意識することと知能が関係していると現代の人は考えていると思います。
10歳ぐらいになると誰でも、いわゆる反抗心が芽生えるものです。
こうした「自意識」が恥ずかしいという感情を生じさせているとも言えます。
反抗心はいわば親離れの最初の兆候です。
つまり、子供は次第に親から自立して生きるように造られているのです。
神は女を創造した時に次のように宣言されています。
創世記2章
24 それゆえに,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである。
大人になっても裸を恥ずかしいと思わない人もいます。
それは理性でそう思っているだけです。
温泉地で同性の人が皆裸で(当然ですが)入浴したり体を洗ったりくつろいでいます。
また、誰かに見られなければ、大抵の人は恥ずかしいとは思わないものです。
実際、家の中に誰もいなければ裸で過ごす人もいるのも事実です。
家のお風呂に入る時も同様です。
健康法の一つとして裸で寝るというのもあります。
冬でも温まると裸の方が温かさを実感するものです。
ただ、布団に入った直後しばらくは寒いです。
修行僧などは薄着ですし冬でも余り暖房に当たることはありません。
つまり、動いて寒さを凌いでいると言った方が正しいのかも知れません。
繰り返しになりますが、裸に関して、人は「誰かに見られるので恥ずかしい」と思うのです。
他方、人間以外で裸を恥ずかしいと思う動物や生き物はいません。
人間に近い姿をしているチンパンジーやゴリラなどでも、人間の生活圏にいる犬や猫も裸を恥ずかしいという仕草を見せることはありません。
多くの場合体全体が毛で覆われています。
つまり、初めから隠されているのです。
恥ずかしいと思わない動物は毛で覆われて見えにくくされているのです。
加えて、人間以外の動物にはいわゆる子供を産む時期が定められており、互いに裸だからと言って年中子供を産んでいる訳ではありません。
人間だけが年中子供を産んでいるのです。
なぜ、最初の人間は、二人は当初裸でも恥ずかしいとは思わなかったのでしょうか。
それは、神が恥ずかしいという人間の意識を制限、あるいは封印していたからです。
それを人間が神が禁じていた木の実を食べることで自らこの制限を「解除」してしまったのです。
神は人間をそのように造られたのです。
いわば、開けてはならない「扉」を開けてしまい中を見てしまったようなものです。
その「扉の中は人間の苦悩で満たされていた」のです。
神が食べてはならないと制限した樹は、いわば、人間を守るものだったのです。
つまり、人間が裸を恥ずかしいと思うことは、人間が神によって創造されたことを証するものなのです。
こうした点は他にも沢山あるのです。
ただ、人間は他の生き物とは異なる多くの「人間の特徴」を「当然」と見なしているのです。
この「当然」こそが、神が人間を創造したことの証なのです。
皆さんも考えて見て下さい。
他の生き物とは異なる、人間として当然の事柄を。
また、こうした事柄は「人間は進化によって誕生した生き物ではない」ことの証明でもあります。