知恵を求める人のためのブログです。

人が宇宙に行く科学の時代となっても、いわゆる「地球外生命」は発見されていません。

特に地球に最も近い惑星である火星や太陽系の小惑星に「生命の存在」を探そうと懸命になっていることは多くの人は知っています。

その根拠としているのが、やたんぱく質のもとであるアミノ酸の存在かその元となる物質の存在の発見です。

しかし、この探索は「徒労」に終わると断言出来ます。
なぜなら、
人間が創造された時のことを聖書から読んで見れば分かります。
神は地面の塵から人間を形作りました。
つまり、地面に存在する物質(有機質、無機質、菌、ウィルス、酵母などを用いて)から「人を創造」しました。
しかし、
それだけでは「生きた人間」とはなりませんでした
人が生きるようになったのは、神が人の鼻孔から「命の息」を吹き入れたからです。

創世記2章には次のように記されています。
7 それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。

8 さらに,エホバ神はエデンに,その東のほうに園を設け,ご自分が形造った人をそこに置かれた。
9 そうしてエホバ神は,見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ,また園の真ん中に命の木を,そして善悪の知識の木を[生えさせた。
10 さて,がエデンから発していて園を潤し・・
この記述を読んでも分かるように、
いわば「地面の土(成分)」で人間を造り、さらに、「命の息」が必要だったことも分かります。
加えて、食物を食べることと水も必要であることが分かります。

 

地球上のあらゆる生物は「酸素」を必要としていることは誰でも知っています。

しかし、

成分や食物は人間でも作ることは可能ですが「命の息」は人間には不可能です。

従って、

宇宙を探索し水やアミノ酸の元になる物質を発見しても、それ自体だけでは「生命」の可能性、あるいは、痕跡とはならないのです。

 

それゆえ、

人類がいくら宇宙を探索しても「徒労」に終わるのです。

生命に関しては、今現在、人間が「自覚」している「そのまま」で、創造の初め以来「全く変化」していないのです。

 

この聖書の記述はBC1513にモーセによって記されたものです。
今から、3537年前のことです。
およそ人類が科学ということを全く知らなかった時代です。

 

こうした肉体的なこと以外に、

人間の「精神」はどのようにして存在するようになったかについては、未だに全く分かっていません。

特に「思考、感情、思い、良心、罪悪感、欲望」などの「存在理由」は未知の領域です。

動物の脳と人間の脳は形態は似ていても、「全く異なるもの」です。

余りにも複雑で今でも解明途上です。

 

更には、

交感神経と副交感神経の働きやホルモンなどの分泌物の作用が「肉体」を生かしている「恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスターシス」についても、その機能は分かっていても、その「存在理由」も分かっていません。

分かっているのは、それが機能しないと「死んでしまう」ということだけなのです。

 

人間が人体について分かっていることは、

原因と結果だけなのです。

中身は「ブラックボックスのまま」です。

人間は、人体を分かっていると「思い違い」をしているのです。

 

実際、人間が生きて行く上に於いては原因と結果」だけ分かれば生きて行けます。

しかし、それだけでは人間を解明したとは言えません。

特に、人間そのものよりも、人間の内部に働いている様々な機能の存在理由とそこに見出される「高度な知恵」の存在でについては「全く不明」です。

 

人間の科学技術の進歩発展は目覚ましいものがあります。

人間がこれだけのことを成し遂げるのに多くの時間と「知恵」と「技術の向上」が必要であることに「疑問」を抱く人はいません。

つまり、「優れたもの」には、「高度な知恵」が働いているということは、すべての人間が自覚していることなのです。

高度な知恵」が働いているということは、それを持つ「存在」がいるということです。

 

人間は「優れたもの」です。

人間を造った存在がいることは明白です。


あなたはどう思いますか?

従って、宇宙を探査して、水やアミノ酸の元となる物質を発見しても、それが宇宙に、地球以外に生命が存在するという証拠にはならないということです。

繰り返しますが、
それゆえ、冒頭でこうした探索は「徒労」に終わると書いたのです。

その根本原因は、

進化論」が間違っている「嘘の理論」だからです。

昆虫記で有名なファーブルも進化論に異論を述べています。

ファーブルは神の創造物を丹念に調べた結果、進化論に異議を唱え、ダーウィンに手紙を送っています。

あなたは知っていましたか?

 

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私は常々、人間は実に不安定な状態にありながら、それをある範囲に維持することで「生きることが出来ている」と考えています。

 

例えば、

水は溜まったままだと「腐敗」し、つまり、雑菌が繁殖し「汚れて」しまいます。

水は絶えず「循環」しているので、「きれい」な状態を作り出しています。

ずっと座ったままでいられる人や動物はいません。

様々な活動をしているから「生きていられる」のです。

人間の思考も思いも感情も常に変化しています。

これらについても、ある限界点を超えると「病気」「異常な状態」になってしまいますが、

常に同じ状態を維持することは困難」です。

短期間では可能でも人生のような長期間では不可能です。

この点分かり易いのは「恋愛感情」でしょう。

付き合う前と付き合っている時と結婚するかあるいは分かれた後では「気持ちも感情」も全く違ったものになっています。

結婚した場合でも、直後と数年後と老齢となった時では全く異なっています。

人は、これを進歩とか成長などと言っていますが、

絶えず変化していることに間違いはありません。

 

三つ子の魂百まで」と言われますが、これは主に性格や性質のことを言っていますが、

親などから言われた「一言」などや「本の一節」や誰かの「一言」などを「生涯」忘れない人は多いものです。

ある意味、精神の「柱」のような「一言」です。

あなたもそのようなものを持っているかも知れません。

大抵は誰でも持っているものです。
決して「忘れない」あるいは「忘れることが出来ない」ものです。
これは、船で例えれば人生の方向を決める「」のようなものです。
人生と言う船は絶えず変化していますが、その時の状況に応じて」を操っているのです。

そこには「知恵」「道理」「道徳」も関係しています。

は天地人の創造者ですが、同じことを繰り返す循環によって「安定」を保っていると以前書きましたが、

人間の活動もの創造に倣って同じように出来るかも知れません。

ただ、人間は忘れたりするので、繰り返しを「明文化」し常にそれを見ながら1年というサイクルで活動すれば、変化しながらでも「安定」した状態を維持出来るのではないかとも考えています。

 

こうしたことは、

農作業をしている人や年金生活者であれは可能ですが、現役で社会で働いている人たちにとっては「おそらく不可能」です。

しかし、そうした人々でも、一定の「枠」からはみ出ない状態を「維持」することで「不安定」ではありますが「活動を継続」出来ているのです。

 

この「枠」からはみ出たら人間は活動することも生きて行くことも出来ないのです。

 

ちなみに、こうした説明は進化論では有り得ないことです。

進化論では、絶えず、進化に向かっているからです。

それゆえ、循環による安定は、進化論では有り得ないことなのです。

 

進化論は「科学」です。

従って、進化論は「科学」の中では、それが「空想」ではあっても「可能性」として論じられているのです。

 

一方、聖書では詳細は論じられてはいませんが、命、肉体、精神、思考、欲望、善と悪、知恵などに関しては明確に記されています。

これらは「空想」ではありませんし、実際、生きているすべての人間が持っているものです。

 

進化論では、これらに関して「的確」に述べることも示すことも出来ません。

出来るのは、今人間が見ている事柄についての「想像」だけなのです。

 

更に言えば、

ある意味「進歩」や「改善」は、他の人との「競争」を生じさせます。

次いで、能力差は差別を生じさせ人々の間に「違和感」が生まれます。

ある人は裕福になりある人は貧しい生活をしているとか、ある人は組織で出世しある人は下っ端で働かされているとか、ある人はその分野で有能となり有名になったりある人は病気や障害で苦しい生活を余儀なくされているなどということは世界中で生じています。

 

こうした違和感は、考えの違いや振る舞いや行動の違いとして現れ、そうしたことが原因で、争いや犯罪に至ることが多いものです。

 

今の「闇バイト」が若者たちの「正常でない生き方」の結果として現れています。

それは、単にお金がないというだけでもあるのですが、そういう生活、生き方をする人が増えた社会になってしまったのです。

辛抱して真面目に働く人が少なくなったということです。

これは、科学、社会、および、政治の責任です。

若者たちが健全な生き方をするための政策を取って来なかったからです。

今の学校教育は、人間教育でありながら、競争も生み出しているのです。

 

こうしたことの「背景」に進化論があると言っても過言ではないのです。

 

あなたは気付いていましたか?

 

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人間がにより創造された時、地球以外に行ったり暮らすことを想定していないことは明白です。

は人間を創造する時、次のように言われました。
創世記1章
26 次いでは言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。
27 そうしては人をご自分の像に創造してゆき,の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。
28 さらに,は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。
29 次いでは言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。
30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。

創世記2章
7 それからエホバ地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。(これは、いわゆる霊魂になったという意味ではありません。単に、肉体を示しています。生きた、活動する人間になったという意味です。)

8 さらに,エホバはエデンに,その東のほうに園を設け,ご自分が形造った人をそこに置かれた。
9 そうしてエホバは,見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ,また園の真ん中に命の木を,そして善悪の知識の木を[生えさせた]。
10 さて,がエデンから発していて園を潤し,そこから分かれ出て,いわば四つの頭となった。
11 第一のものの名はピションという。それはハビラの全土を巡るもので,そこには金がある。
12 そしてその地の金は良質である。そこにはブデリウム樹脂やしまめのうもある。

13 また第二の川の名はギホンという。それはクシュの全土を巡るものである。
14 また,第三の川の名はヒデケルという。それはアッシリアの東を行くものである。そして,第四の川はユーフラテスである。
15 それからエホバは人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた
16 また,エホバは人に命令を与えてこう言われた。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。

17 しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。
18 次いでエホバは言われた,「人が独りのままでいるのは良くない。わたしは彼のために,彼を補うものとなる助け手を造ろう」。
19 さて,エホバは野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが,人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため,それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして,人がそれを,すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも,それがすべてその名となった。
20 それで人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていたが,人のためには,これを補うものとなる助け手は見いだされなかった。
21 そこでエホバは深い眠りを人に臨ませ,彼が眠っている間に,そのあばら骨の一つを取り,次いでそこの肉をふさがれた。
22 それからエホバは,人から取ったあばら骨を女に造り上げ,それを人のところに連れて来られた。
23 すると人は言った,
「これこそついにわたしの骨の骨,
わたしの肉の肉。
これは“女”と呼ばれよう。
男から取られたのだから」。
24 それゆえに,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである。
25 そしてそのふたりは,すなわち人もその妻も共に裸のままであったが,それでも恥ずかしくは思わなかった。
ちなみに、アダムとエバには「へそ」がなかったと思われます

 なぜなら、神により創造されたので「へそ」は必要なかったからです。

 他のすべての人間は、へその緒によって胎内で成長するために「へそ」が残ります。

 しかし、それでも肉体の構造を形作る遺伝子を考慮すると、アダムとエバにも「へそ」はあったか

 も知れません。)
 

こうした記述から考えても人が地球から宇宙に出て暮らすようになるということは全く示されていません

そして、つい最近までは地球から宇宙に行ったことはなかったのです。
しかも、人間の生活は創造の初め以来全く変わっていないのです。

もし、は人間が将来宇宙に行くことを想定していたなら、それを示唆することを述べていたはずです。
は予告なしには何事も行われないからです。