知恵を求める人のためのブログです。

当然ですが、人は体を覆っているので恥ずかしく思わず自由に振る舞うことが出来ます。

人は体を覆っているから自由に振る舞えるものです。
性を意識しなくても裸だといろいろと不自由なことも少なくないものです。

南国で暮らしている人々でさえ体の一部を覆っています。
その方が活動し易いからです。

これが高じて、
人はファッションを、自分の個性の表現だとして他の人に見せることを好んでいます。
服装は、その人の自尊心の現れでもあります。

人間以外の動物は体を衣服で覆ってはいませんが、それでも恥ずかしいとは思っていません。

人が衣服を身に付けるようになった経緯が創世記に記されています。
創世記2章
15 それからエホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた。
16 また,エホバ神は人に命令を与えてこう言われた。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。

17 しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。
18 次いでエホバ神は言われた,「人が独りのままでいるのは良くない。わたしは彼のために,彼を補うものとなる助け手を造ろう」。
19 さて,エホバ神は野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが,人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため,それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして,人がそれを,すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも,それがすべてその名となった。
20 それで人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていたが,人のためには,これを補うものとなる助け手は見いだされなかった。
21 そこでエホバ神は深い眠りを人に臨ませ,彼が眠っている間に,そのあばら骨の一つを取り,次いでそこの肉をふさがれた。
22 それからエホバ神は,人から取ったあばら骨を女に造り上げ,それを人のところに連れて来られた。
23 すると人は言った,
「これこそついにわたしの骨の骨,
わたしの肉の肉。
これは“女”と呼ばれよう。
男から取られたのだから」。
24 それゆえに,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである。
25 そしてそのふたりは,すなわち人もその妻も共に裸のままであったが,それでも恥ずかしくは思わなかった。

創世記3章
さて,エホバ神が造られた野のすべての野獣のうち蛇が最も用心深かった。それで[蛇]が女にこう言いはじめた。「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」。
2 それに対して女は蛇に言った,「園の木の実をわたしたちは食べてよいのです。
3 でも,園の真ん中にある木の実を[食べること]について,神は,『あなた方はそれから食べてはならない。いや,それに触れてもならない。あなた方が死ぬことのないためだ』と言われました」。
4 それに対して蛇は女に言った,「あなた方は決して死ぬようなことはありません
5 その[木]から食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです」。
6 そこで女は見て,その木が食物として良く,目に慕わしいものであるのを知った。たしかに,その木は眺めて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた。その後,共にいたときに夫にも与え,彼もそれを食べはじめた
7 すると,その二人の目は開け,ふたりは自分たちが裸であることに気づくようになった。そのため,彼らはいちじくの葉をつづり合わせて自分たちのために腰覆いを作った。

20 この後,アダムは自分の妻をエバと名づけた。彼女は生きているすべての者の母となるからであった。
21 それからエホバ神は,アダムとその妻のために皮の長い衣を作って,ふたりにお着せになった
-創世記3:1-7、20、21

はじめは、動物のように裸でも恥ずかしいとは思わなかったのです。
(人間はおよそ10歳ぐらいまでは、自我が芽生えるまでは裸でも恥ずかしいとは思わないものです。)
しかし、罪を犯し恥ずかしいと思った時、覆ったのは「腰」でした。
つまり、今でいう「恥部」「性器」を見られないように隠したということです。
これは、今でも変わりません。
人はまずブリーフやショーツなどをはいてから衣服を身に付けるのが普通となっています。

これに対して、神は二人に皮(動物の)で長い衣を作って着せています。
長い衣がどのようなものかははっきりしていませんが、体の大部分を覆う衣だったのではないかと思います。
当時、地球は温暖だったので、冬に着るような厚い衣ではなかったと思われます。
それで、天のみ使いが神の使いとして地上に現れた時に身に付けていた白くて長い衣のようなものだったと想像されます。
しかし、動物の皮は大抵厚く重いので、おそらく薄くて軽いものにしたと思われます。
ただ、この衣だと畑作業には不都合ですから、アダムはこれを少し改良し短くした衣を着たと考えられます。(例えば、ノースリーブのような形に)
また、ノアの時代には動物の皮ではなく麻など皮より柔らかく軽い物で作られた衣服を身に付けていたと思われます。
後に、イスラエル人たちは羊毛か亜麻布の衣服を着ています。
エホバはモーセに羊毛、亜麻布、雄羊の皮、山羊の毛、あざらしの皮などを寄進させるようにと命じています。
出エジプト25:4、5

麻糸(大麻草から作られた繊維)と亜麻糸(亜麻という植物から取られた繊維)は全く異なる植物から作られた糸です。 
麻の繊維は、通気性に優れ、 伸びにくく、強靭、という特性があります。
亜麻の繊維は、通気性と吸湿性に優れ、柔らかく、強靭、という特性があります。肌触りがいいので衣類はもちろん、下着、シーツ、タオルなどに重用されています。

は啓示18:12で一度だけ出て来ますから、ユダヤ人が絹で衣を作ってはいなかったと思われます。
綿は聖書には出て来ません。

神が長い衣を着せたことは、後の律法の中でも「裸」(必ずしも恥部とは限りません)を晒してはならないということと関連があります。
性器もしくは恥部に関しては「彼女の血の源」と述べられています。
-レビ記18章、20章

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」に関する「律法」は以下の通りです。
レビ記18章
18章
エホバは引き続きモーセに話してこう言われた。
2 「イスラエルの子らに話しなさい。彼らにこう言わねばならない。『わたしはあなた方の神エホバである。
3 あなた方の住んでいたエジプトの地の風習に従ってはならない。また,わたしがあなた方を携え入れるカナンの地の風習に従ってもならない。彼らの法令によって歩んではならない。
4 あなた方は,わたしの司法上の定めを実行し,わたしの法令を守ってそのうちを歩むように。わたしはあなた方の神エホバである。
5 それであなた方はわたしの法令と司法上の定めとを守らねばならない。それを守り行なうなら,人はそれによって必ず生きるのである。わたしはエホバである。
6 「『あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも,自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない。わたしはエホバである。
7 あなたの父の裸,また母の裸をさらしてはならない。それはあなたの母である。その裸をさらしてはならない。
8 「『あなたの父の妻の裸をさらしてはならない。それはあなたの父の裸である。
9 「『あなたの姉妹,すなわちあなたの父の娘あるいは母の娘の裸については,同じ家に生まれたにしても外で生まれたにしても,あなたはその裸をさらしてはならない。
10 「『あなたの息子の娘または娘の娘の裸については,あなたはその裸をさらしてはならない。それはあなたの裸だからである。
11 「『あなたの父の妻の娘,すなわちあなたの父の子の裸については,それはあなたの姉妹であるから,あなたはその裸をさらしてはならない。
12 「『あなたの父の姉妹の裸をさらしてはならない。それはあなたの父の血縁である。
13 「『あなたの母の姉妹の裸をさらしてはならない。それはあなたの母の血縁だからである。
14 「『あなたの父の兄弟の裸をさらしてはならない。その妻に近づいてはならない。それはあなたのおばなのである。
15 「『あなたの息子の嫁の裸をさらしてはならない。それはあなたの息子の妻である。その裸をさらしてはならない。
16 「『あなたの兄弟の妻の裸をさらしてはならない。それはあなたの兄弟の裸である。
17 「『女とその娘の裸を共にさらしてはならない。その息子の娘や娘の娘もめとってその裸をさらしてはならない。それらは血縁の関係である。それはみだらな行ないである。
18 「『また,女をその姉妹に加えて,それに張り合う者としてめとり,その裸をあらわにしてはならない。つまり,彼女の生きている間に彼女のほかに[これをめとってはならない]。
19 「『また,不浄である月経の期間中に女に近づいてその裸をさらしてはならない。
20 「『また,あなたの射精をあなたの仲間の者の妻に与え,それによって汚れた者となってはならない。
21 「『また,あなたの子のいずれかをモレクにささげるようなことを許してはならない。あなたの神の名をそのようにして汚してはならない。わたしはエホバである。
22 「『また,あなたは女と寝るようにして男と寝てはならない。それは忌むべきことである。
23 「『また,あなたは獣に対して射精し,それによって汚れた者となってはならない。女も獣の前に立ってこれと交接してはならない。それは自然に背くことである。
24 「『これらの事のいずれによってもあなた方の身を汚してはいけない。わたしがあなた方の前から去らせる諸国民はこれらのすべての事によってその身を汚したのである。

以上からわかるように、男女の区別なく「裸」を晒してはならないと述べており、関連して性的なことも述べています。

つまり、

裸と性関係を結び付けて述べているということです。


レビ記20章
10 「『さて,人の妻と姦淫を犯す者,その者は自分の仲間である者の妻と姦淫を犯すのである。その者は,姦淫を犯した男も女も共に,必ず死に処せられるべきである。
11 また,自分の父の妻と寝た者は,自分の父の裸をさらしたのである。その両人とも必ず死に処せられるべきである。その血は彼ら自身の上にある。
12 また,人が自分の息子の嫁と寝るなら,その両人とも必ず死に処せられるべきである。彼らは自然に背く行ないをしたのである。その血は彼ら自身の上にある。
13 「『また,男が女と寝るのと同じようにして[別の]男と寝るなら,そのふたりは共に忌むべきことを行なったのである。彼らは必ず死に処せられるべきである。その血は彼ら自身の上にある。
14 「『また,人が女とその母とを共にめとるなら,それはみだらな行ないである。その者もその女たちも火の中で焼くべきである。みだらな行ないがあなた方のうちに続くことのないためである。
15 「『また,人が獣に対して射精を行なうなら,その者は必ず死に処せられるべきであり,あなた方はその獣も殺すべきである。
16 また,女が何かの獣に近づいてこれと交接するなら,あなたはその女も獣も殺さねばならない。それらは必ず死に処せられるべきである。その血は彼ら自身の上にある。
17 「『また,人が自分の姉妹,すなわち自分の父の娘または母の娘をめとってまさにその裸を見,彼女も彼の裸を見るなら,それは恥ずべきことである。ゆえにふたりはその民の子らの目の前で断たれねばならない。彼は自分の姉妹の裸をさらしたのである。彼は自分のとがに対して責めを負うべきである。
18 「『また,人が月経中の女と寝てその裸をさらしたなら,その者は彼女の源をあらわにし,彼女も自分の血の源をさらしたのである。ゆえに,その両人ともその民の中から断たれねばならない。
19 「『また,あなたの母の姉妹また父の姉妹の裸をさらしてはならない。その者は自分の血縁の者をあらわにしたことになる。それらの者は自分たちのとがに対して責めを負うべきである。
20 また,自分のおじの妻と寝た者はおじの裸をさらしたのである。それらの者は自分たちのとがに対して責めを負うべきである。彼らは子のないまま死ぬべきである。
21 また,人が自分の兄弟の妻をめとるなら,それは憎悪すべきことである。その者は自分の兄弟の裸をさらしたのである。その者たちは子のない者となるべきである。
22 「『こうしてあなた方はわたしのすべての法令とすべての司法上の定めとを守って,それを行なわなければならない
(21節は、兄または弟が生きている場合のことです。-レビ記25:5を参照してください)

 

聖書でこれほどまでに述べていることには「理由」があるのです。


「裸」を晒すとは、単に人に見られるということだけではなく、性的交わりについて述べたものです。
誰かの前で「裸」を晒すということは性的交わりに同意したことになるということでもあります。

従って、
露出の多い衣服を着ることは、ある意味「人前で裸を晒している」ようなものです。
本人はファッションのつもりでも、周囲の男女はそのようには見ないかも知れません。

現実にそのような服装を見て性欲をそそられた男女は少なくないと思います。

罪を犯したアダムとエバがしたことは「腰を覆った」ことでした。
つまり、
恥部を見られることは、文字通り恥ずかしかったからです。

しかし、神は長い衣を二人に与えています。
寒かった訳ではありません。
実際、罪を犯す前は、二人とも裸だったからです。
神は人が裸を晒すことは「汚れ」となる、あるいは、その要因となるので禁止されたのです。

動物は衣服をに見つけてはいませんが「毛」で覆われていますから、それほど強調されてもいません。

馬のような四つ足の場合はこの限りではありませんが、それでも周囲からは見えにくくなっているものです。

 

様々な生き物を見ても「露出」しているのは、いわゆる霊長類位のものです。

 

他の生き物と人間の違いは「善悪」の判断が付与された点です。

これが付与される以前は「裸」を全く自覚していません。

 

つまり、

理知のある人間では、

裸を晒すことは「罪」であり、汚れとなると[神]は言っているのです。


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現代の世の中でも、性に関する犯罪は日常茶飯事です。
世界中で生じています。
戦争をしている最中(さなか)ですら性暴力は行われているのです。

こうしたことは、
人間だけです。
他の動物ではない事柄です。

アダムとエバの、二人が罪を犯さなければ、人は他の動物と同じように裸のままだったのです。

そして、今のような性暴力、性犯罪、姦淫や淫行は起こらなかったのです。
二人の罪は、単に病気や死や失敗や過ちを犯すということをもたらしただけではないということを理解出来ると思います。

従って、人が顔や手足を除き全身を覆うべきだということには「意味」があるのです。
しかし、
現代は肌の露出の多い服装をファッションとして好んで着ています。
いわば、本人の意思に拘わらず、そのようにして「性的誘惑」を振りまいているとも言えるのです。

全身を覆っていても、体形が分かるような「肌にピッタリとした」服装も「性的誘惑」を誘うのではありませんか?

あなたはどう思いますか?

こうして考えると、
今の世の中は、如何に「乱れている」かが実感できると思います。
また、そうしたことが「悪の根源」となっていることも。

人は、科学が進歩し社会が発展しても、人の道徳は一層悪い方に向かっています
アダムから受け継いだ罪は、人を決して「良い方向」へとは向かわせないのです。

「善いこと」と言えば、人間がこうしたことに「気付く」だけなのです。
しかし、気付いても「注意する」だけしか出来ないのです。

誰もこうした「」から逃れられないのです。

神が何もしなくても、人類は滅亡に向かって突き進んでいることには変わりはないのです。

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余談
聖書によると、今のような水着を着ることは「禁じられている」ということになります。
ミニスカートや肌の露出の多い衣類も「問題」となります。

しかし、これは、律法であって今の時代は律法下にはないので罪には問われません

それでも、
「神の考え」は普遍なので、神の目から見れば罪もしくは好ましくないことなのです。

ものみの塔が現代の世の有り様を「ソドムとゴモラ」に例えている一つの理由でもあります。

ちなみに、
エホバの証人がバプテスマを受けるとき、「水着」を着て水の中に入ります。

バプテストのヨハネによるバプテスマを受けたユダヤ人やイエスは、おそらく、「長い衣を着たまま」受けたのではないかと思われます。
裸をさらすことは禁じられていたからです。
また、バプテスマを受けるために衣を脱いだと言う記録は何処にもありません
ですから、
バプテスマを受ける時に水着になることは神の考えに反するということかも知れません。

 

バプテスマを受け継ために水着姿になったことに「違和感」を覚える人は少なくないと思います。

概ね全身を覆う薄い衣を着て受けるべきだと考えます。

あなたはどう思いますか?

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興味深いことに、聖書の中では「処女」は特別扱いをされていること多いです。
「処女」でない女は「汚れ」た者と見なされました。
従って、「浄め」のための法が定められていました。
射精についても同様です。
また、女性には生理があるので、「処女」であっても、これは明確に「汚れ」とされ「浄め」ることが求められています。
更に、女は男の上に立つことが認められてはいません。
女は頭を覆う必要がありました。

 

参考
コリント(一)11章
3 しかし,あなた方に次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です
4 だれでも,自分の頭に何かを着けて祈ったり預言したりする男は,自分の頭を辱めることになります。
5 しかし,だれでも,自分の頭を覆わないで祈ったり預言したりする女は,自分の頭を辱めることになります。それは,頭をそった[女]であるのと同じことだからです。
6 女が自分に覆いを着けないのなら,その髪を切るべきなのです。しかし,女が髪を切ったりそったりするのが恥ずべきことであるなら,自分に覆いを着けなさい。
7 男は自分の頭を覆うべきではありません。彼は神の像また栄光だからです。しかし,女は男の栄光なのです。
8 男は女から出ているのではなく,女が男から出ているからです。
9 そのうえ,男は女のために創造されたのではなく,女が男のために[創造された]のです。
10 それゆえに,女はみ使いたちのために自分の頭に権威のしるしを着けるべきです。
11 加えて,主にあっては,女も男なしにあるのではなく,男も女なしにあるのではありません。
12 女が男から出ているのと同じように,男も女を通してあるからです。しかし,すべてのものは神から出ているのです。
13 あなた方自身で判断してください。女が覆いをしないで神に祈るのはふさわしいことでしょうか。
14 自然そのものもあなた方に教えてはいないでしょうか。男が長い髪をしていれば,それは彼にとって不名誉なことですが,
15 女が長い髪をしていれば,それは彼女にとって栄光であるということを。[女]の髪は頭飾りの代わりに与えられているからです。
16 しかし,何かほかの習慣を支持する人がいるようであっても,わたしたちにはこれ以外の[習慣]はありませんし,神の諸会衆にもありません。
-コリント(一)11:3-16

女預言者デボラはイスラエルを裁いていましたが裁き人の一人に数えられてはいません。
イスラエルが敵を滅ぼした時、「処女」だけは生かして連れて帰るということもありました。
とはいえ、
大抵の場合、女性は乱暴には扱われてはいません
男奴隷、女奴隷が存在しますが、奴隷と言っても「性的奴隷」ではありません
古代イスラエルでは妻は大切に扱われています。
妻にはしためがいますが、これは、専属の女中妻の所有物でした。
また、
女性が男性のすることに「口出し」することは、普通許されてはいませんでした。
夫に対する妻でも同様でした。
イスラエルは男性社会だったのです。
それでも女性が虐げられることはなかったのです。
女性は子供を産むための存在として大切にされたのです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++
何処の国でもそうだと思いますが、
日本でも社会的常識が人の振る舞いに制限を加えていたことが戦前まで続いていました。
いわゆる、「はしたない」という言葉を用いて、紳士淑女の振る舞いを「人の振る舞い」として当然と見なしていました。
清廉さ、潔白さ、潔さ、親孝行、毅然とした振る舞い、正義、目上の人に対する敬意や言葉遣い、親切、善良な行いなどを美徳としていたのです。

(現代は、お金など自分の欲望のために、こうした道徳はないがしろにされています。)
 

男女の交際に関しても「恋愛」は「不純」と見なされていたのです。
派手な服装や奇抜な服装に関しても同様でした。

  

何処の国でも「」を見られることは「恥ずかしい」ことであり「」です。
ところが、
戦後、社会に自由が蔓延すると、こうしたことは古いと考え、軽視するようになってしまいました。
代わって、有能なこと、賢いこと、力があること、美しいこと、お金を持っていることなどが評価されるようになってしまいました。

何かほかの習慣を支持する人がいるようであっても,わたしたちにはこれ以外の[習慣]はありませんし,神の諸会衆にもありません」
とパウロは述べています。

何か他の習慣」とは、いわゆる、世の中の一般的な習慣のことです。
こうしたことは「道徳の退廃」です。
道徳が退廃した「世」の行き先は滅亡です。

あなたはどう思いますか?

 

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そもそもにおいて

男性がいわゆるズボンで女性がスカートというのは、おそらく、自然にそうなったのだと思います。

男性はズボンの方が活動しやすいし、女性もトイレや生理を考えればスカートの方が良いからです。

男性がスカートを履くと落ち着かないものです。

 

日本社会では古来より男性は「ふんどし」を締め、女性は「腰巻」でした。

この点、外国、特にヨーロッパではどうしていたかは知りません。

 

近代以前は、ズボンのような長いものをスカートの下に履いていたように思います。

西洋でも中国でも韓国でも、時代劇ではそのような服装をしていますから。

 

古代イスラエルでは、おそらく、今のイスラム教の人々と同じ服装をしていたと思われます。

つまり、

全身を覆う服装をしていたということです。

 

また、

女性の体は子供を産むために、男性より「皮下脂肪が多い体質」となっています。

そのため、女性は男性より「薄着」であることが多いものです。

特に、上半身は。

 

女性が、いわゆるミニスカートを履くようになってから僅か60年足らずです。

歴史的には、
1920年代以前は、西洋の女性は足首までの丈のスカートを履くのが通例であったと言われています。

1920年代には、ココ・シャネルのデザインを筆頭にそれ以前の西洋の女性のスカートよりも丈が短いものが見られ始め、

1950年代後半から、一部の女性の間でスカートが短くなり始めました。

1960年代はプレタポルテの台頭に加えて若者のファッションであるストリートファッションの影響力も強くなっており、その典型的アイテムが『ミニスカート』であったとも言われています。
1965年1月のヴォーグ誌ではジョン・ベイツ(英語版)がデザインしたミニスカートのドレスが特集されると共に、その他のデザイナーたちもミニスカートを発表し始めるようになりました。

この頃から、イギリス出身のモデルツイッギーが着用してブームを呼び起こし、これによりミニスカートは世界中に広がり、ツイッギーは1967年10月に来日し、日本にもツイッギー旋風を起こしてミニスカートを流行させたことは良く知られたことです。 

 

1966年に来日し、6月30日から7月2日にかけてビートルズの唯一の日本公演が行われたことは多くの人が知っています。

それ以前にもグループサウンズはありましたが、ビートルズの来日で若者の音楽に対する考えが少し変化したように思います。

 

このように、若者の文化が戦後直ぐに著しく変化して来たことが分かります。

ファッションもそうです。

男性のパンタロンと言われる裾の広がったズボン、今で言う「パンツ」(下着という意味ではありません)もそうです。

 

イスラム社会は服装においては厳格ですが、キリスト教世界では服装は「個性」であり「自由」なものとされています。

 

戦後の日本はこの西洋の影響を受け今に至っていることは明白です。

 

もし、キリスト教社会でも「聖書に厳格」ならば、ミニスカートのような「露出」の多い服装は「有り得なかった」はずです。

 

エホバの証人の女性たちは、世の中がミニスカートが流行っていた時でさえ、いわゆる「ひざ下」までくる長いスカートを履く服装をするようにと、ものみの塔に「指示」されていたことを知っている人も少なくないと思います。

 

今集会に来る女性たちの服装は知りませんが、中には現代の「ファッション」を取り入れた服装で出席する人もいるかも知れません。

 

更には、

顔を露出するようになってから、人は化粧や髪形を気にするようになり、今ではそれが当たり前になっています。

単に化粧を気にするだけではなく、いわゆる肌の健康も気にしているのです。

髪型も、短髪、長髪、パーマネントを掛けたり、逆にストレートにしたり、見栄えの良い帽子を被ったり、手袋をしたり、ハンドバックを持ったり、指の爪に色を塗ったり付け爪をしたり・・・

いろんなことをして「ファッション」「個性」を示そうとしています。

その要因の一つが「自尊心」です。

人は、「良く見られたい」「奇麗だと言われたい」という「願望」があるからです。

 

一見すると「悪いことではない」ことのように思います。

 

ものみの塔は「世のものとならない」ようにとエホバの証人に「繰り返し」言っています。

しかし、

こうしたことは、正に「世のものとならない」ようにと言われているエホバの証人が「世のものとなっている」証拠の一端となっているのです。

 

あなたはどう思いますか?

このようなエホバの証人を「数多く」目にしているのではありませんか?

 

おそらく、裸に自信のある人は少ないと思います。

誰かに見られる見られないではなく

若い時はそうではなくても、年を取るにつれて「肉体は変化」していきます

脂肪が付いて太ったり、筋肉がたるんだり、お尻がたれたりしてくるものです。

加えて「しわ」も増え「醜く」なってしまいます。

それゆえ、人は服を身に付け化粧をしているので、恥ずかしくなく、あるいは、スタイルを誇れるのです。

 

近年の異常な暑さで熱中症になる人が増えていますが、

イスラム教の女性のように全身を覆っている人はむしろ肌を露出している人たちよりも熱中症になりにくいのではないでしょうか?

日傘より、より効果があるのでは