知恵を求める人のためのブログです。
ものみの塔やエホバの証人に対する批判の多くは事実としても個人的なことが多すぎます。
教理などで批判する人を殆ど見たことがありません。
私から見ればエホバの証人も彼らを批判する人も、どちらも五十歩百歩に見えます。
教理に関して、ものみの塔の公式HP以外、エホバの証人の発言が全く聞こえて来ません。
個人的な見解を述べることは禁止されており、時にはその発言が背教などと捉えられる可能性もあるからです。
真理を理解していないのに、疑問も許されないし、質問をすることさえしないのです。
これは異常なことです。
たまに、巡回監督が訪問して来た時に「質問」しても、既に明らかにされていること以外納得いく返答が返って来ることはありません。
知らないことは答えられないからです。
言うに事欠いて、必要なら「神が(答えを)与えて下さるでしょう」などと言ってごまかすのです。
エホバの証人の中には疑問に思っていることは沢山あるはずです。
なのに誰もコメントしない。
疑問や質問を投げかけ、また、組織を批判する方がむしろ健全な組織と言えるのではないですか。
ものみの塔は「人間の組織」ですから、疑問や批判によって「より健全な組織」に改善されていくことは道理です。
今のままでは決して「健全な組織」にはなりません。
「より健全な組織」とは、
より「真理」に基づいた組織という意味です。
ものみの塔は「信者」の教理に対する疑問だけではなく組織への疑問や批判も許しません。
ただ、社会問題化した時のみ、自分たちの考えを一方的に公表するだけです。
信条を曲げることも当然しません。
話し合いや議論そのものも全くしないのです。
こうして、ものみの塔は自分たちの教理や活動の「正当化」を「拒み続けている」のです。
教理に関しては、いわば「上意下達」の一方通行です。
しかし、
彼らは、神でもイエスでも使徒でもないのです。
間違いを犯す人間の集まりなのです。
これでは、「真理」を世界に徹底して広めていくことは出来ません。
聞く人々の疑問や質問に答えて、そうした人々を納得させる「努力」をしていないのです。
今は、ただ時々関心を示す人たちや既にエホバの証人になった人たちに「一方的に、自分たちの教理を【受け売り】している」だけなのです。
これでは布教活動とは言えません。
単なる伝道活動でしかないのです。
イエスは書士やパリサイ人の「悪意ある質問」にも返答しています。
それは、真理を明らかにするためであり「神の栄光」のためだったからです。
ものみの塔では、
疑問があれば「質問」という形で協会に手紙を書くか雑誌や書籍の発行元へ手紙を書くしかありません。
電話では決して応答しません。
なぜなら、正しい返答を出来る人、あるいは、責任者がその場にいないからです。
つまり、日本支部には誰も返答出来る人が「存在」していないのです。
いわば、責任者のいない組織でもあるのです。
自分では何も決められないのです。
すべて、協会の世界本部(統治体など)に「お伺い」を立てなければならないのです。
もし、勝手に返答し、それが、教理と少しでも違ったり疑問であるというような発言をすると、
即、審理委員会が開かれ「排斥」(今は、排斥とは言わないようですが)となります。
元統治体の成員の一人であったフランズ(息子)のように。
異常な組織です。
しかも、その排斥の仕方が「いかにも手が込んでいた」ことは周知の事実です。
つまり、排斥に相当する「根拠」を探し、そのために周囲を、いわば、固めてから最後に当人に対する審理委員会を開き排斥に至らしめたのです。
如何にもアメリカ的です。
日本の組織ならこうしたことにはなりません。
アメリカの組織だからこうなるのです。
良い面もありますが、悪い面でもあるのです。
おそらく、ものみの塔は一般の人に対してメールでの質問や疑問を受け付けていません。
もし、メールで受け付けたらサーバーがパンクしてしまうでしょう。
仮に受け付けたとしても、返答にはかなり時間がかかります。
ものみの塔は独善的、独裁的な組織です。
現在組織に属している人たちは、「騙されている」のです。
洗脳されていると言っても過言ではありません。
ものみの塔は、信仰より組織を守る団体です。
ものみの塔は「善い」ことを「悪の口実」に使っているのです。
イエスに指摘された書士やパリサイ人と同じです。
彼らはイエスに退けられ、そして、誰一人救われませんでした。
今のエホバの証人たちは、なぜ、聖書を片手に組織から離れないのでしょうか。
なぜ、何時までも「沈む船」にしがみ付いているのでしょうか。
それは、真理に対する「確信がない」からです。
聖書より、ものみの塔の言うことに「頼るしかない」からであり、それゆえ彼らに従っているのです。
ものみの塔は正しい組織だと思い込まされているだけです。
それでも、彼らの多くはものみの塔を、おそらく、「完全には信じてはいません」。
ただ、他に行きようがないので集会に行っているだけとも言えます。
それは、彼らの発言や行状を見れば分かります。
ものみの塔の言うことのすべては「真理」ではないのです。
ですから、間違ったことを多くするのです。
信仰は個人の自由ですが、彼らに救いはありません。
哀れみを掛ける必要もありません。
ものみの塔を「一時的に利用」すべきですが「いつまでも利用される」べきではありません。