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初めに

 

7 ルツ記(買い戻しと義兄弟結婚の実例)
サムエルによる買戻しの出来事の記録
記された場所:イスラエル 
記された年:BC1090頃 
扱われている年代:裁き人の支配期間の内の11年間
  
概要
ナオミに堅く付くというルツの決定(1:1-1:22)
ルツはボアズの畑で落ち穂を拾う(2:1-2:33)
ボアズは買い戻しとしてルツと結婚する(3:1-4:22)

 

意義
1 律法に基づく、買い戻しを例示している
買い戻しの権利とその権利の行使の仕方に関する慣例
買い戻しの権利のある者が他の兄弟に譲る時には、自分のサンダルを脱いで、その者に与えることであった。
   
証人たちを必ず立てる
民のすべての前で、これを話し、年長者たちもこれを認め「証人です」と言う必要があった。
 
2 イエスの系図の一つを示している
ペレツからダビデまでの系図を記している。

 

3 ボアズがモーセの律法に忠実な者であったことを示している。

参考:
アダムからノア、セム、テラ、アブラハムまでははっきりしている。
アブラハムから、イサク、ヤコブ、ユダ、ペレツまでもはっきりしている。
ペレツからダビデまでもはっきりしている。
ダビデからイエスまでは、二系統で示されている。

 

養父ヨセフの家系
ダビデからソロモンの家系は、ヨセフ家系
王統の系列であり、必ずしも長子ではない。
マタイがこれを示している。

母マリアの家系
ダビデからナタンの家系は、マリアの家系
血筋の系列である。
ルカがこれを示している。

(参考:ここで、イエスの養父ヨセフはヘリの子と示されているが、ヘリはイエスの母マリアの父である。)

 

いずれにしろ、共にダビデの家系であったことははっきりしている。

イスラエルの系図は、すべて男系の系図である。
したがって、
母となる者が、必ずしもイスラエルの子らでなくとも良い
ペレツの母タマル
ボアズの母ラハブ
オベデの母ルツ
などはユダヤ人ではない。  

しかし、ヘブライ語聖書(旧約聖書の内容)から、ダビデからイエスまでの系図を書き出すのは困難な部分がある。

際立った点
ルツはナオミとその神エホバのもとにとどまることを決意する
ルツはボアズの畑で落穂を拾う
ボアズは買い戻す者としてルツ(ナオミ)と結婚する(義兄弟結婚-申命記25:5-10)

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内容と解説(買い戻しと義兄弟結婚の実例)
これは、裁き人の時代の出来事である。

 

1章
その地に飢きんが起きたため、エリメレクは、ベツレヘムからモアブの野へ移住した。

(モアブはロトの上の娘の子らの子孫の土地で、約束の地に入る前、モーセに引き入れられたイスラエルの子らとモアブ人が争うことをエホバは許さなかった。)
エリメレクはユダのベツレヘムから出たエフラタ人であった。

ベツレヘムの住人をエフラタ人と呼んでいた。


エリメレクが死んだ後、十年後に、二人の息子たちも死んだ

息子たちに子がいなかった。

そのため、エリメレクの妻ナオミはベツレヘムに帰ることにした。
二人の息子の妻ルツとオルパ(二人ともモアブ人)に、自分の母の家に帰るようにと告げるが、ルツはナオミの元にとどまった。

大麦の収穫の時期に、ナオミたちはベツレヘムの着いた。
自分たちの噂が広がり、ナオミはその評判を気にした。ルツ1:19-20

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2章
ナオミには、夫エリメレクに近親者で富裕な人ボアズがいた。
(エリメレクは長男、次男、ボアズは三男だった。)
ルツは、ボアズの畑に、落穂拾いに行き、ボアズはそれに気が付いた。
その後、ボアズはルツに、自分の畑からのみ落穂を拾い、自分のところの若い女たちの直ぐ傍にいるようにと告げた。
ルツはその通りにした。
ボアズは、若い男たちがルツに触れることを禁じた
ボアズは、ナオミとルツの事情を良く知り、親切にした。

これを聞いたナオミは、ボアズが自分たちの買い戻し人の一人であるとルツに告げた。
(ナオミはボアズが自分の買い戻し人の一人であることを知っていたので、ルツにボアズの畑に行く

よう指示したと思われる。)

 

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3章
(ナオミたちは、非常に貧しく、誰かに養ってもらう必要があった。
ナオミは、当然買い戻し人について知っており、ボアズがその一人であることも知っていた。
ボアズが富裕の人であることも知っていた。
ボアズの人となりまで知っていたかどうかはわからないが、自分たちを養ってくれるには十分であると考えていたと思われる。)

ナオミはルツの幸せのために、画策をした。
ナオミはルツに、身を洗って油を塗り、マントを着て脱穀場に行き、ボアズが食べたり飲んだりし終えるまで、気付かないようにし(隠れていて)、ボアズが横になる時、ボアズの足元に横たわっているように(横になって)と話した。
(収穫の時期、脱穀場で食事をし休息を取っていたと思われる。
畑は、おそらく都市の外にあり、収穫の時期は、自分の家に帰らなかったと思われる。)

 

その後のことは、ボアズが指図してくれるとも言った。
ルツは言われた通りにした。

夜中になって、ボアズはルツに気が付いた。
その時、ルツはボアズに、あなたは私の買い戻し人だと伝えた
(つまり、ナオミもルツも、ルツがボアズの妻になることを望んでいたということである。)
すると、ボアズは、すべてその通りにあげましょうと話した。
ボアズは、ルツの仕事ぶり、振る舞いから、優れた婦人であることを認めていた。-ルツ3:11
(つまり、ボアズはルツをを良く観察していたということである。)
 
しかし、ボアズは、自分より近縁の買い戻し人が一人いるとも伝えた。
ボアズは、ルツに朝までここにとどまり、ここに来たことを誰にも知られないようにしなさいと告げた。

(これは、誤解を生じさせないためであった。

イエスの養父ヨセフは結婚前、マリアの妊娠を知った時密かに離婚しようと思ったことにも現れている。

共に、相手に対する「気遣い」である。)
 

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4章
ボアズは、都市の門のところに座り、もう一人の買い戻し人、自分の兄を待ち伏せ、その人と都市の年長者たち十人と、買い戻しについて話し合いをした

自分たちの兄エリメレクの畑を、ナオミは売らなければならないので買い戻して下さいと話すと、自分の兄はそれを受け入れると言った。
しかし、ルツからも(甥の畑も)買い取り、死んだ人(ルツの夫)の名を、その相続地の上に起こさねばならないとも話した。
すると、兄は、それでは買い戻しは出来ないと言い、ボアズにあなたが買い戻すようにと告げた。
(エリメレクはモアブに住んでいたため、死ぬ前に二人の息子たちに相続地を与えていなかったと思われる。
それで、エリメレクの畑を買い戻す時には、二人の息子たちの相続地も分け与える必要があった。

ボアズの兄は、それを拒んだということである。)

そこで、その証のために、兄はボアズに自分のサンダルを脱いで、それを与えたので、ボアズは、「エリメレクに属していたすべてのもの、また、キルヨンとマフロンに属していたすべてのものを、ナオミの手から買い取ることについて、皆さんはその証人です。
そして、マフロンの妻であるモアブの女ルツを自分の妻として確かに買い取り、死んだ人の名をその相続地の上に起こすようにします」と門の内にいた民すべてと年長者たちに宣言したので、彼らは「証人です」と言い、ボアズを祝福した。
(つまり、ボアズは、エリメレク(ナオミ)に属するすべてのものを買い取ると宣言したのである。)

(サンダルを脱いで、相手に渡すことは、いわば、権利の放棄の証である。)

(また、ヨベルの年には、すべて元通りに、つまり、エリメレク(ナオミ)の家系の者に戻されるのであるが、ボアズと結婚したので、そのまま継続したと考えられる。)

こうして、ボアズはルツを娶り、二人の間に男の子オベデが産まれ、オベデはエッサイの父となり、 エッサイはダビデの父となったのである。

つまり、
ユダとタマルの子ペレツとその子らは、ラム、アミナダブ、ナフション、サルモン、ボアズ、オベデ、エッサイ、ダビデと続くのである。

(これらは、必ずしも長子ではない。長子、つまり、頭の権はそれはそれとして保たれていたのではないか。
また、男子は、成人し、妻を娶れば、父の家から相続地を譲り受け独立するため、同じ家で、兄弟たちが毎日顔を合わせることはなかった。
つまり、親戚として、みな、近隣に別の家を構え住んでいたのである。)

アブラハムやイサク、ヤコブそして、その後のイスラエルの子らは、みな天幕で暮らしていた
都市に住むようになったのは、カナンの地に来てからである。

 

(参考:ベドウィンと古代イスラエルの生活様式など。

1950年代から1960年代に始まり、遊牧範囲の縮小と人口増加から、多くのベドウィンは伝統的遊牧生活を捨てて、中東の都市部に住むようになったとされています。

 

このベドウィン族は、イスラエルとは別の、エドムやモアブの人々の子孫で、その生活様式は1950年代まで続いていたと言われています。

 

ですから、カナン以前のイスラエルの子らの生活様式は、エジプトに住んでいた時を除き、このベドウィンの生活様式と同じだったと考えるのは道理です。 

 

また、

イスラム教のコーランに出てくる「アラブ」はベドウィンを指しており、「ベドウィンの言葉をコーランの言葉としても、町の住人の言葉としても用いられるものとする」と記されていると言われています。

 

イスラムの禁欲主義・勇敢さ・連帯意識などの価値観はムハンマド以前からベドウィンによって培われていたとも言われています。

 

1つのテント(bayt)に住む個々の家族単位の典型的なものは、3~4人の成人(結婚した夫婦と兄弟、もしくは親)とあらゆる数の子供からなり、半遊牧の生活に専念し、水と植物資源を追って一年を通して移住していた。

水と植物が豊かであれば、いくつかのテントが部隊を組んで旅をした。 これらのグループは、家長の血族関係や婚姻関係で結ばれ、知人、もしくは明らかに定義される関係が、部族が同じという以外には存在しないこともあったとも言われています。 

 

アブラハムからの生活様式は、このベトウィン族のようなものであったのです。

この生活が、約束の地カナンで住むようになってから「変わった」のです。

 

ですから、サルモン(ラハブ)の時代以降イスラエルの子らが都市に定着したのである。)

 

 

以上で、創世記からルツ記迄の内容と解説は終わりです。

 

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少し分かりにくい部分があるので、解説を加えます。

夫婦、子、嫁の関係は上図の通りです。

ナオミの息子たちには子供がいなかった。

 

イスラエルの律法では、

義兄弟結婚(レビレート婚)=申命記25:5-10

相続権=民数記27:5-11

が定められていました。

 

1 義兄弟結婚

ナオミの夫が死んだ場合、夫の兄弟がナオミを妻とするように定められています。

ナオミの夫エリメレクには、弟がいて、三男がボアズでした。

そのため、

ボアズの兄に優先権がありますが、彼はこれを放棄しました。

その証としてサンダルを脱いでボアズにその権利を与え、ボアズはナオミを妻にすることになったのですが、ナオミは年を取り過ぎていたので(ルツ1:12-13)、自分の代わりに息子の嫁ルツをボアズの妻とし、二人の子に夫エリメレクの名を継ぐ者とさせることにしたというものです。

 

実際、イエスの時代でもこの習慣は行われていました。-マタイ22:23-28

 

系図は次の通りです。

アブラハム-イサク-ヤコブ-ユダ(タマル)-ペレツ-ラム-アミナダブ-ナフション-

サルモン(ラハブ)-ボアズ(ルツ)-オベデ-エッサイ-ダビデ(バテシバ)-ソロモン・・・

 

 

2 相続権

これも義兄弟結婚と同じ形式のおきてです。

律法では、ボアズの兄に優先権がありましたが、彼はそれを放棄したので、ボアズに自分の兄エリメレクとその息子たちに与えられていたであろうもの(土地を含めて)を与えることに定められています。

そのため、ボアズはそれらを買い取る権利を得、買い取ったということです。

当然、それらはボアズとルツの息子たちのものとなり、イスラエルの相続地はこうして守られることになったのです。

 

(完)

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この後、マタイによる書ヨハネによる書の内容と解説を公開するかも知れません。

主に、イエスが言われた事柄を中心に公開するつもりです。

 

これにより、イエスがどのようなことを命じられたのかが明確になるでしょう。

乞うご期待。