13章
ヨシュアは年老いて高齢に達していた(92才)
それでもエホバはヨシュアに、取得すべき土地は非常に多く残っていると言われた。
フィリステア人の全域とゲシュル人の全土、南はカナンの全土、シドン人の属する所、ゲバル人の地と、日の出の側のレバノンの全土、ヘルモン山のふもとのバアル・ガドからハマトに入るところまで。
山地のすべての住民、レバノンからミスレフォト・マイムまで、すべてのシドン人。
わたし自身が彼らをイスラエルの子らの前から立ち退かせる。
ただ、それを、わたしが命じたとおり、相続地としてイスラエルに帰属させよ。
この地を相続地として九部族とマナセの半部族とに配分せよ。
と、エホバは命じた。
後にマナセの半部族と共にルベン人とガド人は、ヨルダンの東側でモーセがそれぞれ相続地を得、エホバの僕モーセが彼らに与えたとおりになった。
だが、イスラエルの子らはゲシュル人とマアカ人を立ち退かせなかった。
(もしかすると、これが後の偶像崇拝や淫行に至った原因の一つかも知れない。)
レビの部族に対してだけは、相続地を与えなかった。
イスラエルの神エホバへの火による捧げ物が、彼らの受ける相続分であり、彼らに約束されたとおりにだった。
その後、モーセはルベンの子らとガドの子らとマナセの半部族に家族ごとに分け与えた。
モーセはこれをヨルダン川の東側、エリコに面するモアブの砂漠平原で行った。
モーセがこの地を征服する時、占い師であったベオルの子バラムもまた、イスラエルの子らが剣で殺した、その打ち殺された者たちの一人であった。-民数記22-24章を参考
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14章
イスラエルの子らがカナンの地で相続物として得たところは以下のとおりであった。
祭司エレアザルとヌンの子ヨシュア、および、イスラエルの子らの各部族の父たちの頭が彼らに受け継がせた。
それぞれの相続地はくじによって定められた。
その時、ユダの子らがギルガルでヨシュアに近づき、ケニズ人エフネの子カレブが「エホバがその日に(荒野で偵察した時の日のこと)約束してくださったこの山地を是非ともわたしにお与えください。その日にあなたも聞いたとおりですが、そこにはアナキムがおり、防備の施された大きな都市があります。エホバはわたしと共にいてくださるでしょぅ。エホバが約束してくださったとおり、わたしはきっと彼らを立ち退かせます」と言った。
それを聞いたヨシュアは彼を祝福し、ヘブロンをエフネの子カレブに相続地として与えた。
(ヘブロンはユダの部族の相続地の中にある。エフネの子カレブはユダ族であった。-民数記13:6)
(アナキム人は背丈が高く巨人のように見え、12人の斥候たちはヘブロンでこれを見たが、その中にヨシュアと共にカレブもいた。
10人は悪い報告をし、ヨシュアとカレブの二人は良い報告をし、エホバに従うべきだと主張した。
しかし、民は悪い報告を真に受けエホバに逆らったため、荒野を40年も旅することになり、また、20歳以上の男子すべてが約束の地に入れなくなる事態となったのである。)
(斥候に出たときカレブは40歳、それ以来45年経ち、今日85歳(BC1468)になったと言っている。これから、ヨシュアが約束の地を征服するのに5年掛かったことが分かる。)
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15章
ユダの子らの部族に、その家族ごとに、くじによって割り当てを行った。
エルサレムに住むエブス人については、これを打ち払うことが出来なかった。
(征服したと言っても、まだ、それぞれの相続地には、その地の人々が残っていたのである。
割り当てを受けた部族は、それぞれそれらの人々を打ち払う必要があった。しかし、中には打ち払わなかったり出来なかった人々もいた。)
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16章
ヨセフの子らがくじで当たった。
マナセとエフライム子らがその家族ごとに相続地を得た。
エフライムの子らは、マナセの子らの相続地の中にも飛び地の都市と集落を有していた。
彼らは、ゲゼルに住むカナン人を打ち払わなかったが、カナン人は奴隷強制労働に服する者となった。
(これも、後にイスラエルの子らが偶像崇拝や淫行を行う原因となった。つまり、イスラエルの子らが滅びる原因の一つとなったのである。)
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17章
くじでヨセフの長子であったマナセの部族のもの、マナセの長子、ギレアデの父であるマキルのものとなり、ギレアデとバシャンが属するものとなった。
ところが、ギレアデの子、ヘフェルの子、ツェロフハドには息子がいなかったので、その娘たちがヨシュアに自分たちにも「エホバが相続地を与えるようにモーセに命じた」と申し出た。
そこで、ヨシュアは、エホバの指示通りに、その父の兄弟たちの中において相続地を与えた。
後にヨセフの子、エフライムとマナセの子らは、エホバの祝福で数の多い民となった。
土地が狭いなら、山地を自分たちのものとし、森林地だから切り倒してそこを境としなさい。
カナン人が鉄の大鎌のついた戦車を持っていて強かろうとも、これを打ち払うべきなのだ、とヨシュアは言った。
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18章
その時、イスラエルの子らはシロに集合して、そこに会見の天幕を置いた。
残りの七部族の配分はまだ行われていなかった。
そこで、ヨシュアは、彼らに、「エホバが与えてくださった土地に入ってそれを取得することを、あなた方はいつまで怠っているのですか」と言い、「自分たちのために、各部族から三人の者を出しなさい。彼らがその地を行き巡り、自分たちの相続地に従って図面をかくためです」と言った。
ユダは南の方にとどまり、ヨセフの家も北方で自分の領地にとどまるが、残りの部族は図面をかいてその地を七つの受け分に分けるようにと言い、わたしは、ここシロで、神エホバの前にあって、あなた方のためにくじを引くことにすると言った。
ベニヤミンの子らの部族、その諸家族に対するくじが出た。
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19章
二番目にシメオンの子らの部族、その諸家族のために出た。
三番目にゼブルンの子らに、
四番目にイッサカルの子らに、
五番目にアシェルの子らに、
六番目にナフタリの子らに、
七番目にダンの子らに、
くじが出た。
後に、イスラエルの子らは、ヌンの子ヨシュアに、エフライムの山地にあるティムナト・セラハを与えた。
ヨシュアはその都市を立て直し、そこに住むようになった。
(ヨシュアは指導的な立場にあったが、イスラエルの子らにしたがったことが分かる。ヨシュアは利己的な振る舞いはしなかったのである。)
(ヌンの子ヨシュアはエフライム人であった。-民数記13:8)
以上を初めはギルガルで、次いでシロに移動した後、エホバの前、会見の天幕の入り口で、くじによって相続地を分配した。
こうして彼らは土地の配分を終えた。
(最初にユダ子らが、次いで、ヨセフの子らのエフライムの子らが、次いでマナセの子らの半部族が、ギルガルで決められ-ヨシュア記14:6、
残りの七部族は、改めて地図を作成しそれをくじで分配した。これはシロで決められた。-ヨシュア記18:1
ルベンとガドとマナセの半部族については、くじの前に決まっていた。
残りはくじによって決められた。
ユダ、ルベン、ガド、マナセ、エフライム以外は自分たちに改めて図面をかかせ、それを七つに分けさせた上でヨシュアがくじで決めたのである。)
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20章
エホバはヨシュアに「意図せず、それと知らずに魂を打って死なせた殺人者が逃げるための避難都市を定めるように」と言った。
そこで、
ナフタリの山地にあるガリラヤのケデシュ、
エフライムの山地のシェケム、
ユダの山地にあるキルヤト・アルバつまりヘブロンに
「神聖な地位」を与えた。
また、
ヨルダン川の東側では、
ルベンの部族から台地の荒野にあるベツェル、
ガドの部族からギレアデのラモト、
マナセの部族からバシャンのゴランを与えた。
これらは、血の復しゅう者からの避難所となる。
(つまり、ヨルダン川を挟んで、東西に三つずつ避難都市を設けた)
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21章
レビ人の父の頭たちが、
祭司エレアザルとヌンの子ヨシュアとイスラエルの各部族の父たちの頭に近づき、自分たちの住むべき都市と家畜のための牧草地を求め、イスラエルの子らはエホバの指示通り、自分たちの相続地の中からそれらを与えた。
コハト人の諸家族のために、
ユダの部族、シメオン人の部族、ベニヤミンの部族からくじによって十三の都市が、祭司アロンの子らに属することになった。
コハトのほかの子らのためには、
エフライムの部族の諸家族から、ダンの部族から、マナセの半部族から、くじによって十の都市があてられた。
ゲルションの子らのためには、
イッサカルの部族から、アシェルの部族から、、ナフタリの部族から、、バシャンにいるマナセの半部族から、くじによって十三の都市があてられた。
メラリの子らのためには、
ルベンの部族から、ガドの部族から、ゼブルンの部族から十二の都市があてられた。
こうしてイスラエルの子らはこれらの都市とそれに伴う牧草地とをくじでレビ人に与え、エホバがモーセによって命じたとおりにした。
イスラエルの子らの所有地の中のレビの都市は、全部で四十八の都市と牧草地であった。
こうして、エホバは、その父祖たちに与えることを誓ったすべての土地をイスラエルに与え、彼らはそれを取得して(その地に住む者たちを打ち倒して)そこに住むようになった。
(約束の地に住むカナン人たちに対する無慈悲で残虐な行為に思えるが、元来、すべての土地はエホバのものであり、それを誰に与えるかは、エホバに決める権限があるということ、
また、
カナン人たちは、エホバが禁じる偶像礼拝を行っており、淫行など数多くの悪も行っていた。
そのため、その地の「とが」のために、450年も掛けられ、それが満ちた時にこれを滅ぼしたのである。-創15:16
つまり、その地に住む人々すべてが、神の目から見て滅びに値する人々だったということである。
これは、大洪水前の、エホバの考えと全く同じである。
更に、言えば、
今の終わりの時代についても、同様で、事物の体制のとがが満ちるまで、その時は到来しないということを表している。
既に、悪魔は天から放逐されて、天は清められた。次は、地が清められるのである。)
エホバがイスラエルの家になさったすべての良い約束は、一つの約束といえども果たされないものはなかった。
すべてその通りになった。
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22章
ヨシュアは、ルベン人とガド人とマナセの半部族を呼んで彼らを祝福し去らせた。
ところが、
彼らは、カナンの地のヨルダン川の地方まで来た時、そこに祭壇を築いた。
それを聞いたイスラエルの子らのほかの子らが「誤解」をし、シロに集まって彼らに対する軍事行動を起こそうと相談した。
そこで、祭司エレアザルの子ピネハスと十人の長たちを彼らの元に遣わして「真意」を確かめた。
(なぜこういうことが起きたかと言えば、エホバへの祭壇を築くのは、祭司たちレビ人だけだったからでる。
エホバの祭司でない者が祭壇を築くことは、それは、他の神々に対するものだと判断されたからである。)
彼らは、祭壇は、ヨルダン川の東西に分かれた自分たちとあなた方との間の証のためだと言った。
それは、自分たちの焼燔の捧げ物と犠牲と供与の犠牲をもって、エホバへの奉仕をそのみ前でささげるということを示すためだったと。
エホバへの祭壇の表象ではない、エホバへの焼燔の捧げ物や犠牲ではないと言った。
幕屋の前にある、私たちの神エホバの祭壇に加えて、エホバに従うことから退くことなど全く考えられないとも言った。
これを聞いて祭司ピネハスと長たちは納得し、帰ってイスラエルのほかの子らに報告した。
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23章
ヨシュアが年老いて高齢に達した時、全イスラエル、その年長者と頭と裁き人とつかさたちを呼んで「告別のことば」を伝えた。
エジプトを出た直後に、民の様々な問題を裁くために千人、百人、五十人、十人の長を立て、小さな問題を裁かせ、大きな問題だけをモーセが裁くようにと、モーセの舅のエテロの助言を受け入れたが、-出エジプト記18章
40年後には、モーセはモアブでの律法付け加えられた律法、新しい律法の中で、部族ごとに与えてくださる門の内に裁き人とつかさたちを立てるべきである。それらの者が義の裁きをもって民を裁くようにと言った。
民を裁くことを「裁き人とつかさたち」という特別な立場の者を立てて行うようにとモーセは言った。-申16:18
「神は彼らを立ち退かせ、あなた方はその土地を取得しました。」
(確かに、土地の、いわば、所有権を神から得たということである。
その地の支配に関しては、まだ、残っており、それは、割り当てられたそれぞれの部族がその地に住む者たちを完全に支配する必要があった。)
「神エホバが約束されたとおりです。
ゆえに、あなた方は大いに勇気を持ち、モーセの律法の書に記されているすべての事柄を守り行わなければならない。
それから右にも左にもそれてはならず、あなた方のもとに残る国民たちの中に入って行ってはならないのです。
ただ、あなた方の神エホバに固く付くべきです。
あなた方は、あなた方の神エホバを愛し、自分の魂を絶えず見守っていなければなりません」
(征服した都市やその周辺に、まだ、その地の人々が住んでいたことを示している。
加えて、取得した土地に住む、イスラエルに反抗する人々を制圧する必要があったことが窺い知れる。)
「しかし,もしもあなた方が身を翻して,これら諸国民の中の残されたもの,これらあなた方のもとに残っている者たちに固く付き,彼らと姻戚関係を結んでその中に入り,また彼らがあなた方の中に[入って来る]のであれば,はっきり知っておくべきことですが,あなた方の神エホバはもはやこれら諸国民をあなた方のゆえに立ち退かせることはされないでしょう。
彼らはあなた方に対するわな,仕掛け,あなた方の脇腹を打つむち,あなた方の目の中のいばらとなって,ついにあなた方は,あなた方の神エホバが与えてくださったこの良い地から滅び去ることになるのです。
「さあ,ご覧なさい,わたしは今日全地の[人々の]道を行こうとしています。ですが,あなた方は心をつくし魂をつくして知っているはずです。すなわち,あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉は,その一言といえ果たされなかったものはありません。
それはあなた方にとってすべてそのとおりになりました。その一言といえ果たされなかったものはありません。
そして,あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉がそのとおりあなた方に臨んだのと同じように,エホバはすべての厳しい言葉をもそのとおりに臨ませて,あなた方の神エホバが与えてくださったこの良い地からついにあなた方を滅ぼし尽くされるのです。
それはあなた方が自分たちの神エホバの命じた契約を踏み越えたため,また行って他の神々に仕え,それに身をかがめたためです。そしてエホバの怒りはあなた方に対してまさに燃え,あなた方はその与えてくださった良い地から速やかに滅びうせることになります」と話した。
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24章
それから、ヨシュアはイスラエルの全部族をシェケムに集め、イスラエルの年長者と頭と裁き人とつかさたちを呼んだ。
(シェケムは、エバル山とゲリジム山の間にある麓の地)
テラの時代から今日までの出来事を回顧した。
そして、
あなた方が労したのではない土地、あなた方が建てたのではない都市を与え、あなた方はその中に住むようになった。
あなた方が設けたのではないぶどう園とオリーブ畑、その実をあなた方は食べているのである。
それで、今、エホバを恐れ、とがなく、真実をもってこの方に仕えなさい。
また、エジプトで仕えた神々を除き去り、エホバに仕えなさい。
もし、エホバに仕えることがあなた方の目から見てよくない事とされるなら、なんであれ、あなた方の仕える者を、今日、自分で選びなさい。
しかし、わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます。
すると民は、「エホバを離れて他の神々に仕えるなど、わたしたちには考えられないことです。」と言った。
その時、ヨシュアは民に、
「あなた方はエホバに仕えることはできないでしょう。
この方は、聖なる神、全き専心を要求される神なのです。あなた方の反抗と罪を容赦されません。
(ヨシュアは、後の時代にイスラエルの子らが律法に逆らうようになることを予期していた。モーセも同じことを最後に言っている。)
あなた方がエホバを離れて異国の神々に仕えるようなことがあれば、あなた方に良いことを行った後であっても、必ずや翻ってあなた方に害ををもたらし、あなた方を滅ぼし絶やされるのです」と言った。
それに対し、民は、ヨシュアに、「そうではありません。わたしたちはエホバに仕えるのです」と言った。
そこで、「あなた方は、自分たちのために自らエホバを選んで、この方に仕えるということについて、あなた方自身に対する証人です」と言った。
すると、彼らは「わたしたちは証人です」と言った。
では、今、あなた方の中にある異国の神々を除き去って、イスラエルの神エホバにあなた方の心を傾けなさい。
(これは、イスラエルの子らの中に異国の神々に仕える者がいたということではない。生き残ったその地の人々のことを指している。
しかし、のちの世代の人々は、異国の神々に仕えるようになり、遂に、イスラエルが滅ぼされる原因にもなった。)
それに対し民は、「わたしたちの神エホバに仕えて、その声に従います」と言った。
その日、ヨシュアは民と契約を結び、彼らのためにシェケムにおいて規定と司法上の定めとを制定した。
次いで、ヨシュアは、それらの言葉を神の律法の書に記し、大きな石を取って、エホバの聖なる所のそばにある巨木の下の所にそれを立てた。
(その場所は、アブラハムがシェケムのモレの大木林の近く-創12:6
ヤコブが自分の家の者たちが持っていた異国の神々すべて、また、その耳にあった耳輪を大木の下に隠した場所かその近く-創35:4、かも知れない。)
ヨシュアは民に、「見なさい、この石はわたしたち対して証となるものです」と言った。
その後、民を各自の相続地に行かせた。
これらの事ののち、ヨシュアは110才で死んだ。
それで人々は、相続したティムナト・セラハに葬った。
イスラエルはヨシュアの後にまで命の日を延ばし、エホバがイスラエルのために行われたそのすべてのみ業を知る年長者たちのいたすべての日の間、ずっとエホバに仕え続けた。
エジプトから携えて来たヨセフの骨は、ヤコブがシェケムの父であるハモルの子らから金子百枚で得た一区画の野に葬った。
そして、それは、相続分としてヨセフの子らのものとなった。
(シェケムはヨセフの子マナセの子らとエフライムの子らに割り当てられた境界にある。)
エレアザルも死んだ。彼をその子、ピネハスの丘に葬った。
それは、エフライムの山地で彼(エレアザル)がピネハスに与えたものだった。
裁き人の書に続く。
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(参考:
ヨシュアは、カナンの地をすべて征服したとあるが、これは、カナンの都市とその地域を支配していた王たちを滅ばしたのであって、その地の周辺住民のすべてを完全に支配下に置いた訳ではない。
そのため、裁き人の時代、さらに、割り当てられた自分たちの土地の中の、その地の住民たちを自分たちで征服する必要があった。)
(参考:
カナンの地を征服したのちも、繰り返し、異国の神々について言及していたのは、イスラエルの中に住む、その地に住んでいた人々に対するものだったと思われる。そうした人々や神々を除き去るようにということだったのである。
イスラエルの民の中に、異国の神々に仕える者がいたということではない。
また、後の時代、エホバに仕えることから離れるようになるが、「エホバがイスラエルのために行われたすべてのみ業を知る年長者たち」が生きている間はエホバに仕えた。
これは、世代を継いで時代が進むと、過去の出来事は、単に「語り草」でしかなくなり、民の心から次第に離れて行くようになることを示している。
モーセの勝利の歌を忘れたかのようである。-出エジプト記15:1~
その原因の一つは、エホバの命令の通り、カナン人と契約を結んではならず、彼らの祭壇を取り壊すべきであること、彼らを打ち払わねばならないという命令に従わなかったことにある。
人は、「順調」な時が長く続くと、大事なことを忘れてしまうものである。イスラエルの子らも同じだったのである。
(これは、その平和があたり前になり、そのことが前提として「新しい別のことを考えたりするようになる」のである。
こうしたことは、現代でも同じである。
世界は、戦後の平和を享受し経済的な発展を遂げて来た。
すると、
今日の、特に若者たちは、平和な状態を「当たり前」と考え、「自由で、自分のやりたいこと」を追求するようになった。
ウクライナやガザや他の地域で紛争が戦争が起こっても他の国の人々は「他人事」であり、依然として平和を当然と考えている。
悪いのは、ロシアとハマスだと。
全世界は、平和は「当然」ではないことを知らねばならない。)
また、ヨシュアは、民を指導する立場にあったので、民のうなじのこわさを良く知っていたので、逆らうことの警告を強調したと思われる。
モーセも同様だった。
ヨシュアは常に従者としてモーセと共にいた。
そして、エジプトでの出来事から荒野での出来事、そして、カナンの地の征服と土地の配分に至るまですべてを見てきた。
いわば、エホバの生き証人だったのである。
エフネの子カレブもまた同様だった)
参考:民数記22章のバラムについて。
バラムについて
ユーフラテス川の上流、サジュール川の近くにあったペトルというアラム人の町に住んでいたと言われている。占い師、予言者であった。民22:5-6
まことの神エホバの崇拝者でもあった。民22:18
エホバはバラムに何度か話しかけている。
バラムは報いを求めて誤った道に陥ったとされている。ユダ11、ペテロ(ニ)2:15-16
バラクの求めに応じて行く途中、ロバが3度立ち往生した。
み使いが立っていたからであったがバラムにはそれが見えていなかった。
この時、ロバはものを言った。民22:22-30
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神による選任、任命という観点で考えると以下の点を参考にして頂きたい。
アブラハムもその子孫も、自ら約束の地を欲した訳ではない。
神エホバの方から言われたことである。
そして、ヨシュアに戦わせて、奪い取ったのである。参考:出19:5
また、
アブラハムの胤といわれる肉のイスラエルの人たちは、自ら進んで、「神の民」になった訳でもな
い。
神エホバが選んだのである。
神の民を選ぶことは、神の目的のためには必然であった。
将来、イエスを遣わし、人類の贖いの犠牲をささげさせるためである。
アダムの罪(人類の初子)をイエス(神の初子)が贖うためである。
アダムとイエスは対等な者として説明されている。-ローマ5:14、コリント(一)15:22、45
(参考:悪魔もイエスを神の子と言っている。マタイ4:3)
イエスがアブラハムの胤の主要な方となって以降は、イエス・キリストの「新しい契約」にそれは
継承され、アブラハムの胤とはいわゆる「霊的なイスラエル人」のことを指し、それは、いわゆる、「神の王国」である。
肉のアブラハムの胤つまりイスラエルの子らは律法契約の終わりと共に、イエス・キリストを退け
たことで、いわば捨てられたのである。
ヨシュアは、初めから忠実な人だった。
ヨシュアが罪を犯したという記録はない。
エホバの崇拝者としては、モーセに劣らない。
神と人との立場は明確なものである。
しかし、神と人との関係は人それぞれである。
時に、人は知らないと許されることがある。
神の規準は絶対正しいが、人はそのすべてを知らないし、また、守り切れない。
神はモーセにただ、「守る心を培えば良いのだが」と述べている。-申命記:5:29
しかし、人は「その知識があるなしに関わらず、神の言葉によって裁かれる」のである。啓19:11-16
おそらく、そのための機会はすべての人に与えられていると考えられる。
30歳未満の人については、その親がその責任を負うことになる。
ただし、子が親から離れている場合は、その子自身が責任を負うということになる。
繰り返しになるが、
ヨシュアも自ら進んでモーセの後継者になった訳ではない。
裁き人たちもそうである。
後のサムエルは生まれながらにして、神に選ばれた人であった。
イスラエルの最初の王サウルや二代目の王ダビデも自ら王になった訳ではない。
おそらく、バプテストのヨハネも生まれながら神に選ばれた人であった。
ただ、イエス・キリストだけは、神の求めに応じた唯一の存在だったと言える。
イエスの弟子たちについてはどうだろうか。
少なくとも十二使徒たちは、自ら進んでイエスの弟子となった訳ではない。
すべて、イエスが選んだ者たちである。
パウロもそうである。
しかし、自ら進んでエホバの崇拝者になり、それが受け入れられた者たちもいる。
おそらく、エノク、ラハブ、エリヤの従者だったエリシャ、シリア人の軍の長ナアマン、
イエス以後では、エチオピアの宦官、おそらく無割礼だったコルネリオ(この人はもしかすると、エホバに選ばれた人かも知れない)
などとイエスの無数の弟子たちである。
いわば、イエスの弟子たちは、死に至るまで忠実であることを求められているので、生きている間はいわば「流動的」で確定してはいないのである。
最後まで忠実を保ち、神とイエス・キリストに受け入れられるかどうかは全く分からないのである。
神とイエス・キリストに「信仰を持っている」と言うだけでは誰も救われないことは明白である。
モーセやヨシュアや裁き人の時代のイスラエルの子らを見れば分かることであるが、
人のその行いや振る舞いや神とイエス・キリストのおきてに忠実かどうかは、神とイエス・キリストが決めることである。
罪を犯さない人は「一人もいない」ので、自分が救われるかどうかは、人には分からないのである。
人は自ら望んでも神とイエス・キリストの是認を受けられる訳ではない。
加えて、仮に是認されても最後までそれを守り通す必要がある。
現代のクリスチャンたちは、こうした点「思い違い」をしているのである。
バプテスマを受けものみの塔の言うことにしたがっていれば、
是認される、救われるなどを当然と考えている振る舞いをしているからである。
おそらく、面と向かってエホバの証人に「あなたは今のままでは救われない」と言われれば、
相当なショックを受けるだろうが、そのショック自体が救われないことを証明しているのである。
現代のクリスチャンたちは、クリスチャンになる動機と神とイエス・キリストに対する思いと考えが間違っていることは明白である。
人がいくら正しいことを言っても、正しいと言っても、正しいと思うことをしても、
神とイエス・キリストの是認を受けられるとは限らないのである。
すべては、お二人が決めることなのである。