初めに
この出来事は、これから生じる事物の体制の滅びの際の「神の力」を予表させるものとなります。
また、くじによる配分は、キリストの千年統治の際、生き残った人々がどこに住むべきかを決める場合の例となるかも知れません。

6 ヨシュア記
ヨシュアによる約束の地の征服と配分の記録
記された場所: カナン 
記された年: BC1450 頃 
扱われている年代: BC1473-BC1450頃
  
概要
約束の地に渡る(1:1-5:12)
カナンの征服(5:13-12:24)
土地の配分(13:1-22:34)
ヨシュアの別れの勧告(23:1-24:33)

 

意義
エホバはモーセの代わりにヨシュアを用いて約束の地の征服をさせた。
征服における数々の奇跡は、エホバが共にいるという証になり、かつ、ヨシュアをモーセと同じ指

導者としてイスラエルの子らに認めさせた。
ヨシュアは生涯モーセとエホバに忠実であった。
征服した都市と畑やぶどう園やオリーブ畑はそのままイスラエルの子らが用いた。
ヨシュアが焼いた都市はハツォル一か所だけであった。
エリコの遊女であったラハブは、後にユダの子孫サルモンの妻となり、イエスの家系の一人となっ

た。

アカンの出来事は、一人の罪が全体に及ぼす例となった。
同時に、その家の頭の罪により家族全員が罰を受ける結果になった。 

エホバがイスラエルの子らに対して語ったすべての約束は、すべてその通りになり、正に、エホバが

真の神であることの立証となった。

イスラエルにおいて、モーセは預言者、また、指導者としてイスラエルを組織し、また、律法を与えるために用いられた。その一方、ヨシュアは、初めからモーセの従者となり、兵士でもあり、モーセの死後指導者に任じられた。 

ヨセフの埋葬は、約束の地の征服と配分が終わった後、ヤコブがシェケムで買った一区画の野にイスラエルの子らによって葬られた。
ヨセフが死んだのが    BC1657年だから、ヨセフが葬られたのがBC1450ごろとすると、およそ207

年間持ち歩いていたということになる。

ヨシュアについて。
モーセが初めてエホバに接した当時から(BC1514ごろ)モーセに付き従い、エジプトの十の災い、

紅海を歩いて渡る、荒野での40年間の出来事、モーセの最期、約束の地の征服と配分すべてに関わった、いわば、すべての生き証人であった。
 

ヨシュアはBC1560年ごろに生まれBC1450年ごろに死んでいる。
エジプトを出た時BC1513年は、47歳で、カレブは40歳であった。
モーセの後継者となり約束の地の征服に取り掛かったのが、87歳で、征服が完了するのにおよそ5年掛かっている。(足掛け6年とされている。)
この時、ヨシュア92歳、カレブ85歳。BC1468年-ヨシュア記14:10
その後、およそ2年掛けて配分を完了させている。(BC1467年は、およそ450年の終わりとされている。)
つまり、イサクの誕生BC1918年から征服の完了までおよそ450年ということである。

-使徒13:17-20
(年代計算をする元にもなっている。)

 

ヨシュアは、兵士であり、モーセの従者であり、モーセの後継の指導者でもあった。
イスラエルの子らは、ヨシュアに対しても、モーセと同じように恐れを抱いた。ヨシュア4:14

戦いは「神の戦い」だったので、人間が「自分の力」を駆使する必要はなく、ただ、「勇気を出し、強く」あって戦えば良かったのである。


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(参考:創世記15:13の400年とは、
アブラハムの胤が苦しめられる期間、つまり、イサクから4代目のことで、それは、BC1913年から

BC1513年までのことで、BC1913年はイサクが5歳の時にイシュマエルにからかわれたことから始まっている。-創世記21:9
 

使徒13:17-20のおよそ450年とは、
約束の地の分配が完了した年BC1467から遡ってBC1918までのことで、その年はイサクが誕生した年である。
 

出エジプト記12:40-41の430年とは、
イスラエルの子らがエジプトを出たBC1513年から遡ってBC1943年までのことで、その年にアブラハムがハランを出、そして、エホバはアブラハムにカナンの地を与えると約束した年である。

従って、アブラハムがハランを出た日とイスラエルの子らがエジプトを出た日が同じとされているの

で、共に、ニサンの14日にそれぞれが、いわば出発したということである。

時は、春でこれから暖かくなる時期に出発したのである。)
 
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際立った点
ヨシュアはイスラエルに、カナンに入る準備をさせ、斥候たちを送り出す。
イスラエルは足をぬらさずにヨルダン川を渡る。
遊女ラハブとその家族は滅ぼされなかった。
エリコを征服したあとアイで敗北する。
ギベオン人は和を請い、他の民は滅ぼされる。
エホバによる奇跡が何度も起きている。
(ただ、それをイスラエルの子らがはっきりと認識していたかどうかは分からない。)
土地がくじによりイスラエルの諸部族に配分される。(もしかすると、エホバの介入があったのかも知れない。)
(完全に征服した訳ではなく、その土地の王やその軍隊を滅ぼしただけであった。配分された土地では、その土地に住む人々を征服する必要があった。)
ヨシュアはモーセと同じように、イスラエルの子らに対して、エホバに忠実に仕えるよう強く勧めた。

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内容と解説(約束の地の征服と配分の記録)

 

1章
ヨシュアに対するエホバのことば。(約束であり、宣言でもある)

「わたしの僕モーセは死んだ。それで今,あなたとこのすべての民は,身を起こしてこのヨルダンを渡り,わたしが彼らに,すなわちイスラエルの子らに与える土地に入りなさい。
すべてあなた方の足の裏が踏む所,わたしはそれを,モーセに約束したとおり必ずあなた方に与える。」

 

「荒野とこのレバノンから、大川、ユーフラテス川に至るまで、すなわちヒッタイト人の全土、また
日の沈むほうの”大海”までがあなた方の領地となる」

 

「あなたの命の日の限りだれもあなたの前に立ち向かう者はいない。わたしは,モーセと共にいたと同じように,あなたとも共にいる。わたしはあなたを見捨てたり,全く見放したりはしない。
勇気を出し,強くありなさい。あなたがこの民にその土地を,すなわちわたしが父祖たちに与えることを誓った所を受け継がせるからである。
ただ勇気を出し,大いに強くありなさい。注意して,わたしの僕モーセがあなたに命じたすべての律法のとおりに行なうためである。それから右にも左にもそれてはいけない。どこに行ってもあなたが賢く行動するためである。
この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである。
わたしはあなたに命じなかっただろうか。勇気を出し,強くありなさい。うろたえたり,おびえたりしてはいけない。あなたがどこに行こうとも,あなたの神エホバが共にいるからである」

要約すると、
 1 約束の地を与える。
 2 ヨシュアと共にいる。(2度繰り返している)
 3 勇気を出し、大いに強くありなさい。(3度繰り返している)
   うろたえたり、おびえたりしてはいけない。
 4 すべての律法のとおりに行いなさい。
   賢く行動するためである。
   律法の書があなたの口から離れてはならない。
   律法を昼も夜も小声で読まなければならない。
   注してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行うために、
   そうすれば、あなたは自分の道を成功させ、賢く行動出来るからである。
ということになる。

それで、ヨシュアは、民のつかさたちに、「民に、自分たちのために食料を整えるようにと命じなさい。三日後にヨルダンを渡って行き、あなた方の神エホバが与えて取得させてくださる土地に入ってそれを取得することになるからである」と命じた。
(民は大群衆なので、そのための準備に少なくとも三日掛かったと思われる。)
 
また、ルベン人とガド人およびマナセの半部族に対しては、「エホバはこの地をあなた方にお与えになった。あなた方の妻たち、幼い者たち、畜類は、ヨルダンのこちら側(東側)で、モーセがあなた方に与えた土地にとどまっている。
しかし、男子は戦闘隊形を組んで、あなた方の兄弟たちすなわち勇敢な力ある者たちすべての前を渡って行き、これを助けなければならない。」
「兄弟たちも約束の土地を取得したときに、初めて、あなた方は自分の保有する地に戻り、それを、すなわち、エホバの僕モーセがヨルダンの日の出の側であるあなた方に与えた所を取得することになる」と言った。
 
それに対して、彼らは、ヨシュアに答えて、「あなたの命じたことはみな行ないます。どこへでもあなたが遣わす所へわたしたちは参ります。  
わたしたちはすべての事についてモーセに聴き従いましたが、同じようにあなたにも従います。
ただ、あなたの神エホバが、モーセと共におられたように、あなたとも共にいてくださいますように。」
「あなたの指示や命じるすべてのことに関して、その言葉に聴き従わない者はみな死に処せられます。ただ、勇気を持ち、強くあってください。」と言った。

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2章
ヨシュアは二人の斥候をシッテムからエリコへ送り出した。
二人の斥候は、遊女ラハブの家に宿を取った。
それを聞いたエリコの王は二人の斥候を捕まえるために人を遣わしたが、ラハブは二人の斥候をか

くまった。
(この時、ラハブは「嘘」をついて彼らをかくまった。これは、神の意志を行う者を助けるために、

いわば敵に対して「嘘」をつくことは「正しい」ことの例である。)

ラハブは、アモリ人の王シホンとオグに対してイスラエルの子らがおこなったことの噂を聞き、エホバこそ神であると信じていた。
  
そして、あなた方に親切を示したのだから、私と私の父の家の者たちすべてを生き長らえさせて下さいと言った。
 
二人の斥候は、助けることを誓った。
その時、「わたしたちはこの地に入ってきます。緋糸でできたこの綱を、わたしたちを降りさせたこ

の窓に結んでおき、あなたの父と母と兄弟たち、あなたの家のすべての者を、この家の中のあなたのところに集めておくようにして下さい」と言った。
 
二人の斥候を送り出した後、ラハブはその緋糸の綱を窓に結んだ。
その後、二人の斥候は、ラハブが言う通りに山地に行ってそこに三日間隠れてから、ヨシュアのもとに戻りことのすべてを報告した。

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3章
それから、ヨシュアとイスラエルの子らは、シッテムからヨルダン川の手前まで進んだ。
それから三日目の終わりに、つかさたちは民に対して、旅立つ時の態勢について指示を出した。
その後、ヨシュアは、民に「自分を神聖なものとしなさい。エホバは明日、あなた方の中で驚嘆すべき事を行われるからです」と命じた。
(これは、エホバに対峙したり、エホバの業を行う時には、常に身をきれいにし自分を神聖なもの、つまり、汚れのないものとしなければならないことを示している。)

その後、ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担いで、民の前を通りなさい」と言った。
それから、エホバはヨシュアに契約の箱を担う者たちに「ヨルダンの水のきわまで来たら、あなた方はそのヨルダンの中に立ち止まるように」と命じるようにと言った。
 
祭司たちは契約の箱を担いつつ民の前を行ったが、箱を担う者たちがヨルダンまで来て、箱を担うその祭司たちの足が水のきわにつかると、その時すぐ、上流から下って来る水は止まりはじめた。

都市アダムのところで一つの堰となり盛り上がり、一方、塩の海に向かって下る水はかれた。
 
それから民はエリコに面する所を渡って行った。
 
その間、エホバの契約の箱を担った祭司たちは、ヨルダン川の中ほどの乾いた地面に不動の姿勢で立ち続け、その間に全イスラエルは乾いた地面を渡り切った
(紅海を渡った時の、再現である。ただし、水の分け方は異なる。ヨシュア4:22-23)

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4章
国民全体がヨルダンを渡り切ると、エホバはヨシュアに「各部族から一人ずつ十二人を選び、祭司たちが立っていた場所から十二個の石を取り、それを、今夜の宿り場(ギルガル)に置くように」と命じた。
イスラエルの子らは、その通りに行った。
 
また、祭司たちの足が立った場所に、ヨシュアが据えた十二個の石もあったが、それは今日までその所にある。
 
民のすべてが渡りきると、その後エホバの箱が、そして祭司たちが民の(見ている)前で渡った。

ルベンの子らとガドの子ら、それにマナセの半部族も、イスラエルの子らが見るところで戦闘隊形
を組んで渡った。
 
軍隊の装備をした約4万人が、戦いのために、エホバの前にあってエリコの砂漠平原へと渡ったので
ある。
 
その日エホバは、全イスラエルの目にヨシュアを大いなる者とされた。
彼らは、モーセに対してその一生の間恐れを抱いたと同じように、ヨシュアに対しても恐れを持つようになった。
 
それからエホバはヨシュアに「証の箱を担う祭司たちに、ヨルダンから上がるように命じなさい」と言った。

ヨシュアが祭司たちに命じると、エホバの契約の箱を担う祭司たちがヨルダンの中から上がって、祭司たちの足の裏が乾いた地面に引き上げられると、ヨルダンの水は元の場所に戻り始め、以前と同じようにその岸一帯にあふれわたった。
 
こうして、民は第一の月の十日に、エリコの東の境にあるギルガルに宿営を張った。(BC1473)
 
それから、ヨシュアは選ばれた十二人によりヨルダンから取らせた十二個の石をギルガルに据えた。
その理由をヨシュアは、「これは、地のあらゆる民がエホバのみ手を、その強さを知るため、あなた方の神エホバをいつも真に恐れるためなのだ」と言った。(つまり、記念として据えたのである。)
(各部族から選ばれた十二人が各々一つの石を自分の肩に拾うようにと言っていることから、拾い上げた石は小さい石ではなかったと思われる。)
(シロに移るまで幕屋はずっとギルガルにあり、戦いが終わるたびにヨシュアはここに戻った。)
(民がヨシュアに恐れを持つようになったのは、
1 ヨシュアがエホバの指示を受けたこと
2 ヨシュアはそれを民に伝えたこと
3 ヨシュアが話した通りになったこと
のためである。
つまり、民はヨシュアの言葉しか聞いていないのである。
従って、ヨシュアが話した通りになるかどうかは結果でしか分からないことだったが、実際その通りになったので、ヨシュアに対して恐れを抱くようになったということである。

民は直接エホバの言葉を聞いていないし、見てもいないので、
民はエホバの言うことなのかヨシュアが勝手に言っていることなのかの判断が付かなかったと思われる。
これは、モーセの時も同じである。
そのため、何度もモーセにつぶやいたり不平を言ったり逆らったりしたのである。

この出来事でヨシュアがエホバの言葉を伝えているという確信を抱いていたかどうかは分からないが、アカンの他、逆らった例は示されていない。

誰でも、その人が言ったことがその通りになるとその人を信じまた驚き少なからず恐れを抱くものである。
それと同じことである。)

 



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5章
エホバはヨシュアに「火打ち石の小刀を作り、イスラエルの子らにもう一度、二度目の割礼を施しなさい」と命じた。(最初の命令 創17:11)
荒野の途中で生まれたすべての民に割礼を施していなかったからであった。
エジプトを出たのにエホバの声に聴き従わなかった戦人の国民のすべてが荒野で死ぬまで、イスラエルの子らは荒野を40年間歩き続けた。
 
彼らの代わりにその子らを起こされたが、この者たちに割礼を施したのである。
(これは、モーセと妻と二人の息子たちを連れてエジプトへ戻る途中に、二人の息子にチッポラが火打ち石で割礼を施したのと同じことである。
つまり、エホバの下に入るのは、男子は割礼を施し、こうして彼らは神聖な者とされ、また、エホバとの約束を守るということのしるしを体につけたのである。)
 
国民のすべてに割礼を施し終えたが、彼らは回復するまで宿営内の自分の所に座していた。
(おそらく、7日位と思われる。三日目に最も痛みが強くなるようである。-創世記34:25。)
(この時、おそらくナイフや鉄の武器があったと思うが、なぜ火打ち石で小刀を作り、それで割礼を施さねばならなかったのか。
考えられるのは、衛生上の問題、あるいは、ナイフや鉄の剣などは、様々なものを切ったり、人を殺すために用い、いわば、汚れていたからではないか。
あるいは、ナイフより刃が鋭く、良く切れ痛みの小さかったとも考えられる。
いわゆる、日本史の石器時代に出てくる、石を削ったナイフのようなものだったと思われる。)
 
その後、エホバは、ヨシュアに「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなた方から転がしのけた」と言われた。
そのため、その場所はギルガルと呼ばれるようになった。
 

その月の十四日の夕方に過ぎ越しを行った。(BC1473の第一の月)
過ぎ越しの翌日から、その地の産出物の幾らかを食べるようになった。
その明くる日からマナは絶え、以後、マナは生じることはなかった。
こうして彼らはその年からカナンの地の産物を食べるようになった。

ヨシュアがエリコのそばにいた時、自分の前に一人の人が抜いた剣を手にして立っていた。
ヨシュアが尋ねると、その者は「わたしは、エホバの軍の君として今ここに来た」と言った。
(エホバの戦いには軍の君という「み使い」が常に従軍していたことが分かる。
そのみ使いが戦いのすべてを牛耳っているのである。
したがって、エホバの指示に従っている限り、負けることは一切ないのである。
もし、負けることがあるなら、民の中に「何らかの不正、悪行」があったからである。)
 
また、エホバの軍の君はその場所が聖なる場所だからサンダルを脱ぎなさいと命じている。
(モーセがシナイ山でエホバと対峙した時も同じことを言われた。-出エジプト記3:5
祭司たちは幕屋や神殿で奉仕を行う時には「裸足」だったと言われている。
つまり、聖なる場所では「裸足」でなければならないということである。)

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6章
エリコの住民は固く門を閉ざして、いわゆる籠城をしたが、エホバはヨシュアに「戦人は皆一日一回都市の周りを回り、七人の祭司が雄羊の角笛七本を携えて(契約の)箱の前を行き、七日目にはその都市を七回行進し、祭司たちは角笛を鳴らし、その音を聞く時、民全員は大きな声を上げるように、そうすれば、その都市の城壁は必ず崩れ落ちる」と言われた。

戦いの装備をした軍勢約四万人と祭司たちが隊形を組んで行進したのである。
その間ヨシュアは民に一言も発してはならないと命じた。

おそらく、行進は、イスラエルの全集会の行進隊形を同じで、ただ戦人だけの隊形であった。
先頭はユダの子らの宿営に属する三部族分隊の戦人、次いでルベンのそれが、そして、祭司と契約の箱が、次いでエフライムのそれが、次いで最後がダンのそれが後衛であったと思われる。
-民数記2:1-34

そして、七日目は早朝から都市の周りを七回行進し、七回目に祭司たちが角笛を吹いた時、ヨシュアは民に向かって「叫べ」と言った。
そして、「この都市は滅びのためにささげられたものとされなければならない。そこにある一切の物と共にエホバのものとなる
あなた方は、滅びのためにささげられたものからは離れているように。欲望を起こして、滅びのためにささげられたものの中から取り、それによってイスラエルの宿営をも滅びのためにささげられたところとし、これをのけ者にならせるようなことのないためである。しかし、銀と金、また銅や鉄の品はすべてエホバに対して聖なるものとされる。それはエホバの宝物に入れられるべきである。」と言った。

それで、民は叫び声を上げた。
民が大きなときの声を上げはじめるや、すぐに城壁は崩れ落ち、その後民は市内に入り、その都市にあったすべてのもの、男も女も、若者も老人も、牛も羊もろばもことごとく剣の刃にかけて滅びのためにささげて行った。
(地形的にエリコの西側は600mほどの斜面になっており、ギルガルはエリコから5㎞位北東にあった。
古地図によると、南南東に位置しているものもある。いずれにしろ、ギルガルはエリコから見て東側、ヨルダン川の低地平原にある。
もしかすると、イスラエルの子らの大声は祭司たちの角笛と共に山の斜面に反響し、その反響で都市の城壁が崩れたのかも知れない。
自然を熟知し、また、地割れも引き起こす力を持たれる神なら容易(たやす)いことであったと思われる。)

しかし、ヨシュアはその地の偵察を行った二人に、ラハブの家に入りあなた方が誓った通りにしなさいと命じた。

次いで、銀と金および銅と鉄の品だけはエホバの家の宝物の中に納め、残りはすべて都市と共に火で焼いた。

こうして、ヨシュアはエリコに対して、エホバの指示通りに行って滅ぼした
しかし、遊女ラハブとその家にいるすべての者は殺さなかった。
 
その後、ヨシュアは「このエリコを建て直す者は、エホバの前に呪われよ。その者は長子を失って

その基を据え、末の子を失ってその扉を立てよ」と言った。
(アハブの時代に成就している-列王(一)16:34)
 
また、ラハブは後にダビデの曽祖父ボアズの母となった。-マタイ1:5

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7章
ところが、ユダ族のゼラハの子、ザブディの子、カミルの子であるアカンが滅びのためにささげられたものの幾らかを取ってしまった。
そのため、エホバの怒りはイスラエル全体に激しく燃えた。
 
そのころ、ヨシュアはおよそ三千人をアイに遣わしたが敗走した。
その原因を知らなかったヨシュアや年長者たちは、エホバの箱の前にひれ伏して、敗北を嘆き頭に塵を被った。
 
エホバはヨシュアに対して、その原因を知らせ、また、その者をえり分ける方法を伝えた。
そして、その者もそれに属するすべての者も、火で焼かれることになると伝えた。
 
ヨシュアはそれを実行し、アカンがえり分けられ、その後、アカンとアカンに属するすべての物とともに、アコルの低地平原に連れて行き、そこで、全イスラエルがこれを石撃ちにし、その後、彼らを火で焼いた。
それから、彼の上に石を大きく積み上げた。
ここにおいて、エホバはその激しい怒りから離れられた。

 

(参考:第一の視点
エホバの命じたことに、少しでも逆らう者を決して許さないだけでなく、全体に大きな禍いをもたらされることが分かる。
こうした点で、エホバは怖い神であるという印象を持つかもしれない。
しかし、
命じられた通りに行えば、すべてその通りになるということを知れば、決して、非情な神ではないことも分かる。)

(参考:第二の視点
エホバは神聖な方なので「ご自分を崇拝する者」の少しの汚れも罪も許されないのである。
イスラエルの子らに対しても神聖な者とならなければならないと命じている。
従って、命令は厳格であり何一つ間違いがないように、常に慎重に、絶えず注意をしていなければならないことを教えている。
神のおきてや命令に従う点では少しの寛容さも示さないのである。
エホバはイスラエルの子らに対し「全き専心」を要求する神なのである。

 

これに対して、人間同士に対する罪に関しては「情状酌量」をしている。
イエスも何度でも人を許しなさいと命じている。)

(参考:第三の視点
例えば、姦淫や淫行に関して、神はこれらを禁じています。
従って、これらを行うことは禁を犯すことであり罪となり、自分の体を汚すことになる。
誰でも、このような罪を犯し自分を汚れたものとする者は、神に近づいてはならず、神もそうした者を決して受け入れられないのである。
ただし、罰を受けることで、あるいは、犠牲を捧げることで「その罪を塗り消して頂く」場合もある。
実際、罪を犯さない人は一人もいないので、少なくとも一年に一度贖罪の日を設けて、民の罪を贖うよう取り計らって貰う必要がある。
その他の明確な罪に関しては、その都度動物の犠牲を捧げることで罪を贖う必要があった。

基本的に罪を犯す者に対する罰は「死」である。
それを、動物の犠牲で贖っている

いたずらに、動物を殺して犠牲にしている訳ではない。

人類すべては罪を犯している。
それゆえ、すべての人に「死」が臨むのである。

これを完全に贖うことが出来るのは、動物の犠牲ではなく「イエス・キリストの犠牲、肉体とその血」だけが贖うことが出来る。

イエスはこのことに「信仰を持つ者が永遠の命」に至るとも述べている。
イエスは、神のよって人類のために備えられた犠牲でもある。
したがって、罪を犯した人間が神により「イエス・キリストの贖いの犠牲」を適用して頂くためには、神のおきてを守り罪を犯さないように努める必要がある。

罪を犯しても「エホバとイエス・キリストに信仰」を持っているから許されると考えることは正しいことではない

人は罪を犯しても直ぐに罰を受けないので、罪を犯しても恐れを感じず、むしろ罪を習わしにする傾向がある。

罪を犯す者に対する罰は必ず来る
誰も神を侮ることは出来ない。

それでも、エホバは、罪を贖う「方法、手段」を示すことで、民に対する「愛」を示しておられる。

ダビデは神により「油注がれた者」ではありましたが罪を犯した。
この点ダビデは罪を犯し神により罰を与えられていますが、その地位だけは存続させられている。
これはサウルも同じです。サウルも死ぬまでその地位にあった。
モーセもただ一度だけ罪を犯し、その罰も与えられましたがその地位は存続させられている。)

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8章
エホバはヨシュアに「戦いの民すべてを連れて、アイに上れ。アイの王とその民と都市と土地をあなたの手に与えた。ただし、あなた方は、その分捕り物と家畜を自分のために取ってよい。
その都市に対して、背部に伏兵を置け」と命じられた。
(エリコを滅びにささげる時、ヨシュアは分捕り物を自分のためにとってはならないと言ったが、アイを攻略する時には、エホバは分捕り物と家畜を自分のためにとって良いと言われた。
これは、何を意味するのでしょうか。
エホバは事の次第をすべて見ておられ、それに応じて、時にご自分の考えを伝えることがあることを示している。
つまり、ご自分の話すことは「人にとって十分なこと」であるが、それを聞いた人間が「時に、それ以上のことをすること」がある。
それで、エホバはご自分の言葉に対し人間がどのように振る舞うのかを常に注視され、必要に応じ調

整を加えることもあることを示している。)

そこで、ヨシュアは三万人の勇敢な力ある者を選び出し作戦を伝え夜の内に送り出した。
(これは、その都市の背部の待ち伏せとしてのためであった)

待ち伏せの場所はベテルとアイの間、アイの西方であった。
(ベテルとアイはエリコの西側の、およそ500-900m位の高地である。)
 
その後、ヨシュアと年長者たちと戦人もその都市の正面の北側に宿営を張った。
谷あいを挟んでアイと向かい合った。
 
ヨシュアはその夜の間に低地平原の真ん中に進んだ。
つまり、アイから見下ろす位置の東側に進んだのである。
それを見たアイの王と民が襲撃して来ると、すぐに荒野の道を退却し始めた。
それを見て、追撃するために、都市にいたすべての民が呼び出され、その都市からおびき出された。

この時エホバはヨシュアに「あなたの手にある投げ槍をアイに向けて差し伸べよ」と言われた。
するとベテルとアイの間(西側)にいた伏兵が直ちに空になった都市を攻略し、急いで火をかけた。
そのため、荒野に逃げようとしていたアイの人々は何処にも逃げるすべがなかったのでヨシュアの方

と向き合った。
つまり、アイの人々はイスラエルに東西に挟まれたのである。
それから、ヨシュアは身を巡らし、アイの人々に討ちかかり、すべての者を討った

アイのすべての住民を滅びのためにささげるまでは投げ槍は差し伸べたその手を引き下げなかった。

生け捕ったアイの王を杭に掛け夕方までさらし、日が沈むころ死体を杭から下ろし、市の城門の入

り口のところに投げ、その上に石を大きく積み上げた。
(敵や罪人の死体の上に石を大きく積み上げたのは記念として残したのか、あるいは、その骨が掘り出されないようにしたものと思われる。後で、誰かが骨を掘り起こして埋葬するかも知れないからである。)

ヨシュアはこの時、エホバへの祭壇をエバル山に築いた。
鉄の道具を振るっていない自然のままの石を祭壇にした。(これは、ホレブで改めてエホバがモーセに律法を伝えた時、十のおきての次にモーセに命じられたことであった。出20:25)
 
エホバへの焼燔の捧げ物と供与の犠牲をささげ、次いで、モーセの律法の写しを石の上に記した。

-申27:2-8
そして、全イスラエルの半分はゲリジム山の前に、半分はエバル山の前にいた。申27:12-13

次いで、ヨシュアは律法のすべての言葉、祝福と呪いとをすべて律法の書に記されている通りに朗

読した

 

 




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9章
ギルガルからおよそ35㎞西に住んでいたギベオン人たちは、嘘をついてイスラエルと生き長らえさせる契約を結んだ。
三日後にその嘘がバレたが契約は守った。
なぜなら、集会の長たちがイスラエルの神エホバにかけて誓ったからであった。
ただし、以後、ギベオン人たちは、イスラエルの集会のため、エホバの祭壇のため、その選ばれる場所においてまきを集め、水をくむ者とされた。いわば、奴隷のような者となった。

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10章
エルサレムの王アドニツェデクは、ヨシュアがアイを、エリコとその王を攻略しそれを滅びのためにささげたこと、そしてギベオンの住民がイスラエルと和を結んでそのうちのとどまっていることを聞き、非常に恐れを抱くようになった。
そこで、エルサレムの王アドニツェデクは、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの王たちのもとに使いを送り、イスラエルの子らと和を結んだギベオンを討とうとして集まり上って来た。
 
そのため、ギベオンの人々はヨシュアに助けを求めた。
それでヨシュアはギベオン人の求めに応じ、ギルガルから、共にいるすべての勇敢な力ある者たちと夜を徹して上って行き、不意打ちをかけた。

するとエホバはアモリ人たちを混乱に陥れ、ヨシュアたちは彼らをギベオンで大いなる殺りくを行った。
更に、ベト・ホロンの上り坂を通って彼らを追跡し、これを打ち殺してアゼカとマケダまで進んだ。
彼らが逃げベト・ホロンの下り坂にいた時、エホバは大きな石(雹)を天から彼らの上に投じてアゼカにまで及び、それによって彼らは死んだ。
イスラエルの子らが剣で殺した者より、雹の石で死んだ者のほうが多かった。

この時、ヨシュアはエホバに語りかけイスラエルの前で「太陽よ、ギベオンの上に静止せよ。月よ、アヤロンの低原にとどまれ」と言った。
すると、太陽は静止し、月もとどまり、ついに敵に対する報復をしとげることができた。
この時、ギベオンの上、アヤロンの低地平原に、太陽と月がほぼ一日急いで沈むことはなかった

エホバが人の声を聴き入れてそのようになった日は、その前にも後にも一度もない、エホバ自らイスラエルのために戦っておられたのである。

その後ヨシュアと共にいる者たちはギルガルの宿営に戻ったが、アモリ人の五人の王は逃げてマケダの洞くつに身を潜めた。

その知らせを聞いたヨシュアはそこを見張らせ、更に敵を追撃して、その背部を討ち、彼らを自分の都市に入らせてはいけないと言った。

そして、ヨシュアとイスラエルの子らが彼らを打ち殺して大々的な殺りくを終え、生き残った者たちが逃げ延びて防備の施された都市の中に入ると、民のすべてはマケダの宿営のヨシュアのもとに無事に戻って来た

その時、ヨシュアは、洞くつの中のアモリ人の五人の王、すなわち、エルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの王たちを連れ出して来させ、イスラエルのすべての男子を呼び、自分と共に行った戦人の司令官たちに「進み出よ。これら王たちのうなじにあなた方の足を当てるように」と言った。
その後、ヨシュアは五人の王を討って死に処し、これを五本の杭に掛け、夕方、日の沈む時刻に杭から降ろさせ、彼らが身を潜めていた洞くつの中に投げ込んだ。
その後、大きな石をその洞くつの口に置いた。

また、その日、ヨシュアはマケダを攻略し、剣の刃でこれを討った。
すべての魂を滅びのためにささげ、一人の生存者も残さなかった
 
この戦いの後、ヨシュアは、マケダの王を滅ぼし、マケダからリブナに、リブナからラキシュに進んだ。
ラキシュの助けに上って来たゲゼルの王も滅ぼした。
その後、ラキシュからエグロンに、エグロンからヘブロンに、最後にデビルに進み、すべての魂を滅

びのためにささげていった。生存者をひとりも残さなかった

こうしてヨシュアはイスラエルの神エホバが命じたとおりにした

それから、山地とネゲブとシェフェラと斜面の全土のすべての王たちを討った。

こうして、ヨシュアは、カデシュ・バルネアからガザまで、ゴシェン(エジプトではない)の全土、そして、ギベオンに至るまで討伐していった。

ヨシュアは、これらを一時に攻略した。
その後、ギルガルの宿営に戻った。(シロに移るまで、ギルガルに宿営を置いていた)

(この戦いは、集結した敵との戦いであり、都市の攻略であり、それぞれの領地の民までは征服して

いなかった。)
(現代の天文学者によると、この時およそ23時間20分静止したのと同じだけ太陽がゆっくり沈んだと言われている。
後に、ヒゼキヤにしるしとして、影を十段戻している。
十段=10度と考えると、1時間に地球は15度回転するから10度は40分に相当する。
従って、併せて、おそらく1日になると思われる。
実際、天文学者が計算したところによると、天の星の位置と地球の位置が1日分ずれていることが分かっている。)

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11章
ハツォルの王ヤビンは、マドンの王、シムロンの王、アクシャフの王、さらに、北方の山地、キネレトの南の砂漠平原、シェフェラ、西方のドルの山陵にいる王たちを集め、メロムの水辺に陣営を敷いた。(ハツォルの王ヤビンは、この地域一帯を取り仕切っていたと思われる。ヨシュア記11:10)

ヨシュアはエホバの指示で不意打ちをかけ、これらを襲撃し、その後、シドンやミスレフォト・マイムまで、また、東方のミツペの谷あいの平原にまで追跡した。一人の生存者も残さなかった
その後、ヨシュアはエホバが言われた通り、彼らの馬のひざ腱を切り、兵車を火で焼いた。

その際、ヨシュアは向きを転じてハツォルをも攻略し、その王を剣で討ち倒した。
ハツォルはそれらのすべての王国の頭であったからである。そして、ハツォルを火で焼いた。
ただし、それぞれの塚の上に立っている都市だけは焼かなったが、これは唯一の例外であった。
(エリコはエホバが城壁を崩壊させた後その都市とすべての物を火で焼いているが、塚の上に立っていなかった。塚とは小高い丘のような所、例えば、エルサレムの城壁は小高い丘の上にある。)

そしてそれらの都市からのすべての分捕り物と家畜類を、イスラエルの子らは自分たちのためにとった。
ただし、(都市の)人間だけは、これをすべて剣の刃で討って、ついに滅ぼし尽くした

 

こうして、エホバがモーセに命じたとおりにモーセはヨシュアに命じ、その通りにヨシュアは行った
エホバがモーセに命じたすべての事柄から一言も取り除かなかった。

ヨシュアは、このすべての土地、山地と全ネゲブとゴシェンの全土、シェフェラとアラバとイスラエルの山地およびそのシェフェラ、セイルに上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷あい平原のバアル・ガドに至るまで、すべての王たちを攻略し、これを討ち、これを死に処していった

彼らの心を強情にならせてイスラエルに対して宣戦を行わせること、これがエホバの道であったのである。

その後、ヨシュアは、山地からヘブロンとデビルとアナブから、また、ユダのすべての山地とイスラエルのすべての山地からアナキムを断ち滅ぼした。
 
ガザとガトまたアシュドドにのみアナキム残っていた。-申命記1:28

こうして、ヨシュアは、すべてエホバがモーセに約束したとおりにその全土を手に入れた
(BC1467)

ヨシュアは、それぞれの相続分としてイスラエルに、それぞれの受け分にしたがってその部族ごとに

分け与えた。

その後、その地に、戦争による騒乱はなかった。

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12章
モーセがヨルダン川の東側で撃ち破ってその土地を取得したその地の王たちは、ヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホン、バシャンの王オグであった。
これらの領地は、モーセがルベン、ガド、マナセの半部族に与えていた。
(おそらく、この戦いにもヨシュアは従軍し指揮を執っていたと思われる。)

一方、ヨシュアは、ヨルダン川の西側で撃ち破ってその土地を取得したその地の王たちは、全部で三十一人だった。
これらは、山地とシェフェラとアラバと斜面と荒野とネゲブであり、ヒッタイト人、アモリ人とカナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人である。つまり、エリコ、ベテルの側のアイ、エルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロン、ゲゼル、デビル、ゲデル、ホルマ、アラド、リブナ、アドラム、マケダ、ベテル、タブアハ、ヘフェル、アフェク、ラシャロン、マドン、ハツォル、シムロン・メロン、アクシャフ、タアナク、メギド、ケデシュ、カルメル、ドル、ギルガル、ティルツァ以上の三十一都市を攻略しこれを取得したということである。
 

ヨシュアはこの征服におよそ5年を要したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13章に続く。