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初めに

4 民数記(荒野での40年間の出来事の記録) モーセによる記録
記された場所:荒野とモアブの平原 
記された年:BC1473
扱われている年代:BC1512-BC1473 

概要 

シナイ山での出来事(1:1-10:10)―エジプトを出て直ぐのこと
荒野での出来事(10:11-21:35)
モアブ平原での出来事(22:1-36:13)―エジプトを出て40年後のこと

意義 
エホバへの崇拝のおきてと司法上の定め(秩序を保つこと)を示している。
エホバに栄光を示すべきことの重要性を示している。
(この点、モーセは一度の失敗で約束の地に入ることが許されなかった。更に、立場の高い人ほど責任と罰は重いということも示している)
また、不平、不満、つぶやき、淫行などの信仰の欠如に対する警告の例を示している。
エホバの民ではなくても、エホバを呪うことを許されないことを示している。
更に、崇拝に関することで報酬を望んで人々の求めに応じてはならないことを示している。

際立った点
イスラエルの諸部族が登録され、組織される。
イスラエル人は崇拝および互いの扱い方に関して神のおきてを与えられる。
イスラエル人はエホバの備えに対する認識の欠如を表し、エホバの命令に逆らう。
目に見える、エホバの代表者たちを敬うことがなおざりにされる。
カナンの地に入る用意をするイスラエル国民に対して、エホバは祝福を与えるが、全き専心を強調される。

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内容と解説
(民数記は、出エジプト記とレビ記で示されたことを実際に行った事柄の詳細であり、エホバの民としての組織と取り決め、荒野での行程や出来事、約束の地の配分の仕方などの記録である。

そのため、内容によって年月が章の順番通りではない部分がある。)

1章
1 エジプトを出て2年目の第二の月の一日。(シナイの荒野)
エホバがモーセに命じた事柄。
ルベン、シメオン、ガド、ユダ、イッサカル、ゼブルン、エフライム、マナセ、ベニヤミン、ダン、アシェル、ナフタリの各部族の子らから二十歳以上の男子の軍隊への登録
登録された者の総数は六十万三千五百五十人となった。

ただし、レビの部族からは登録されなかった
レビの子らに関しては、証の幕屋とそのすべての器具とそれに属するすべてのをつかさどらせると言われた。
更に、レビ人は幕屋の周囲に宿営するとも言われた。

また、イスラエルの子らは、各々三部族分隊に従って宿営を張ることを指示された。

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2章
エホバからモーセとアロンの命じた事柄。
会見の天幕を前にして(つまり、宿営の入り口が幕屋を向くように)その周囲に宿営すること。
東側に、ユダの宿営が属する三部族分隊で、それぞれが軍を成し、ユダ、イッサカル、ゼブルンが宿営すること。
登録されたその総数は十八万六千四百人。

最初に出発すること。

南側に、ルベンの宿営が属する三部族分隊で、それぞれが軍を成し、ルベン、シメオン、ガドが宿営すること。
登録された総数は十五万一千四百五十人。

二番目に出発すること。

会見の天幕が出発する場合、レビ人の宿営は宿営の真ん中に置くこと。
レビ人は宿営を張るときと同じ形(配置)で出発すること。

西側に、エフライムの宿営が属する三部族分隊で、それぞれが軍を成し、エフライム、マナセ、ベニヤミン、が宿営すること。
登録された十万八千百人。

三番目に出発すること。

北側に、ダンの宿営が属する三部族分隊で、それぞれが軍を成し、ダン、アシェル、ナフタリが宿営すること。
登録された者の総数は十五万七千六百人。

最後に出発すること。

それぞれの軍を成す登録された者の総数は六十万三千五百五十人だった。

この中にレビ人は入っていない。


この隊形の中には、自分の家族も共にいた。
(こうして見ると、ものすごい数の人々が幕屋を中心に宿営していたことが分かる。

しかも、行進の時には信じられない位長い隊列をしている。

シナイ半島のような地域でないと不可能に近い。

エホバこれらを適切に組織したのである。

イスラエルの子らは40年間この不毛のシナイ半島の中を巡って歩き続けたのである。)


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3章

レビ人の登録とその子らの務め
アロンの子らに祭司職を、レビ人はアロンに仕え会見の天幕のすべての器具を管理する。
エホバはレビ人をアロンに与え、アロンに仕えさせた。
レビ人は、アロンに対する務め、集会のすべての者に対する務めを守り、幕屋の奉仕を果たさねばならないと言われた。

エホバはモーセに、アロンとその子らを任命し、祭司職を守るようにと言われた。

更に、
エホバは、「イスラエルの子らの中からレビ人を取って、イスラエルの子らの胎を開くすべての初子の代わりとする。
レビ人はわたしのものとなる」と言われた。

初子はすべてわたし(エホバ)のものだからである。
人から獣に至るイスラエルのすべての初子を、自分(エホバ)のために神聖なものとして取り分けた」とも言われた。

エホバはシナイの荒野でモーセに「レビ人の子らを、その父の家に従って、生後一か月以上のすべての男子を登録」するように命じた。

登録された総数は二万二千人。

イスラエルの子らのうち、すべての初子で、生後一か月以上の男子の総数は二万二千二百七十三人。

エホバはレビ人の初子をイスラエルの子らの初子の代わりとして取られたのである。

レビ人の宿営
幕屋の後ろ、すなわち西側に、ゲルションの子らが宿営した。
南側に、コハトの子らが宿営した。
北側に、メラリの子らが宿営した。
幕屋の前、すなわち東側に、会見の天幕の前に、モーセとアロンとその子らが宿営した。

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4章
エホバはモーセとアロン言われた。
レビの子らのうちコハトの子らの三十歳以上五十歳までの者に会見の天幕の奉仕を命じられた。

レビの子コハトの子らの務め。
極めて聖なるものであると言われた。
宿営が出発するときには、アロンとその子らが中に入るようにされた。
そして、アロンとその子らが仕切りの垂れ幕を取り外し、証の箱をそれで覆わねばならないとされた。(他の者が触れてもならなかった。)

アロンとその子らは、宿営が出発する時、聖なる場所と聖なる場所のすべての器具(契約の箱、食卓、燭台、二つの祭壇、奉仕に用いる聖なる場所の器具類、仕切り幕)を覆い終えておかねばならな
かった。

それらをコハトの子らが運ぶのであるが、彼らはそれに触れてはならないと厳命された。

次いで、祭司アロンの子エレアザルの行う監督は、
明かりのための油と薫香と常供の穀物の捧げ物とそそぎ油に対するもので、幕屋全体とその中のすべてのものの監督であると言われた。

ゲルション人の子らの三十歳以上五十歳までの者に会見の天幕の奉仕を命じられた。
レビの子のゲルションの子らの務め。(幕屋また会見の天幕布、その覆いとその上にあるあざらしの皮の覆い、会見の天幕の入り口の仕切り幕、中庭の掛け布、幕屋と祭壇を囲む中庭の門にある入り口の仕切り幕、その天幕綱またその奉仕ためのすべての器具、そして仕事のためにいつも用いるすべての物を運ぶこと。)
アロンとその子らの指示に従って行うこと。
アロンの子イタマルの手のもとに置かれる。

メラリの子らの三十歳以上五十歳までの者に会見の天幕の奉仕を命じられた。
レビの子のメラリの子らの務め。(幕屋の区切り枠、その横木と柱と受け台、周囲の中庭の柱、その受け台と天幕用留め杭と天幕綱、およびそれに伴うすべての装備とそのためのすべての奉仕。)
アロンの子イタマルの手のもとに置かれる。

(これらを纏めると、次のようになる。
幕屋の全体を監督するのはアロンとその子らであること。
レビの子らの宿営は幕屋を囲むように東西南北に分かれていた。
イスラエルの子らは、その更にその外側を囲むように、宿営していた。

宿営の出発は、
ユダの宿営が属する三部族分隊、
次いで、ルベンの宿営が属する三部族分隊、
次いで、レビ人の宿営、
次いで、エフライムの宿営が属する三部族分隊、
最後に、ダンの宿営が属する三部族分隊であり、
それぞれ自分の家族も共にいた。

レビ人はイスラエルの初子としてエホバのものとされた。

すべて人と獣の初子はエホバのものであるとも言われた。

幕屋の奉仕は、三つのグループに分けられ、特に、コハトの子らには、
聖なる場所の崇拝を行うための器具や契約の箱や至聖所にいたる垂れ幕など、極めて聖なるものの運搬を命じられた。
しかし、それらに覆いを被せるのはアロンとその子だけだった。
コハトの子らはそれらに触れてもならなかった。

興味深いのは、
軍に登録されるのは二十歳以上の男子であったが、
幕屋で奉仕するレビ人は三十歳以上五十歳までの男子が登録された点である。

これは、
レビ人の行う奉仕には体力が必要であったことと、おそらく、若者にありがちな「軽率、奔放、勝手な振る舞い」などをすることのないためであったと思われる。
つまり、
聖なる物を取り扱うので、経験や知識や知恵に於いてふさわしい者を用いるためであったからと考えられる。

実際、アロンの二人の息子は「適法でない火をエホバに捧げる」という不敬を示し死んでいる。)

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5章 らい病、漏出のある者、死者に触れ汚れた者、妻の不忠実に対する規定。 

6章 ナジル人の誓約に対する規定。

7章 イスラエルの長たちによる寄進と祭壇の奉献のための進物。(捧げ物)

8章 レビ人の清めと奉仕の開始。

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9章 

2年目の第一の月にエホバがモーセに話したこと(シナイの荒野)
過ぎ越しに関する法令。
この月の十四日に過ぎ越しを行うこと。

第二の月の十四日、その日の二つの夕方の間に、無酵母パンを苦菜を添えて食べること。

幕屋を立てた日に、雲が証の天幕の幕屋を覆い、夕方には火のようなものが幕屋の上にとどまりあさまでにおよび、
昼には雲が、夜には火のようなものが幕屋を覆った。

雲が天幕の上から上がると、イスラエルの子らは直ぐに旅立ち、雲が留まる場所に宿営した。

雲と火のようなものは「エホバの指示」だった。

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10章 

ラッパの規定
ラッパは銀製で二つ作ること。
集会を招集するため、宿営を解く(出発)のために吹く。

ラッパの吹き方の指示。
アロンとその子らがラッパを吹くこと。

2年目の第二の月の二十日。(シナイの荒野からバランの荒野へ)
行進隊形の指示。
ユダの宿営が属する三部族分隊、

ゲルションの子ら(主に布と幕)とメラリの子ら(主に枠と柱と受け台)が幕屋を運び、
ルベンの宿営が属する三部族分隊、
コハトの子ら(聖なる所、つまり、契約の箱と祭壇など儀式に関わるもの)を運びアロンとその子らもいた)、
エフライムの宿営が属する三部族分隊、
ダンの宿営が属する三部族分隊の順であった。
(ここで、行進の順番が少し変えられている。

二番目にゲルション子らとメラリの子らが続いているのは、契約の箱や聖なる所の物が着く時には、

幕屋を完成させているためであった。)


その時、モーセは舅のエテロに「一緒に来て下さい」と頼んでいる。
荒野を良く知っているからだとモーセは言っている。

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11章 

民の不平。
70人の長老たちの任命。(モーセを補佐)
エホバは年長者七十人、モーセがよく知っている人々の上に「エホバの霊」を置き、モーセの助けとなるようにされた。

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12章 

ミリアムとアロンがモーセに逆らうようになった。
モーセの妻がクシュ人だったからであったと記されている。
(モーセの妻はケニ人だがここではクシュ人と言われている。舅のエテロはケニ人でありながらミディアンの祭司をしていた。)

 

(イスラエルの子らのつぶやきはエホバの言葉以外のモーセとアロン個人に対してであったと思われる。
舅のエテロがモーセに助言したり、ミディアンではエテロやチッポラの世話になっていた上に、モーセは「地の表にいるすべての人の中でとりわけ柔和な人物であった」と言われているので、二人の言うことにも「耳を傾けていた」と思われる。)

モーセに逆らったミリアムがエホバによりらい病され七日の間隔離され、それが癒されるまでは旅立たなかった。
その後、ハツェロトからパランの荒野へ行きそこで宿営を張った。

パランの荒野は、アカバ湾の北西、シナイ半島の北部、死海の南エドムの南西に位置している。
この地からカナンは北の方角にある。
カナンはガザの北、ヨルダン川の西側一帯にある。

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13章 

12人の斥候
エホバはモーセにカナンの地を探るよう命じた。
部族ごとに一人、それぞれのなかにあって長である者が選ばれた。

12人の斥候は、
パランの荒野から、チンの荒野を経てレホブ、ハマト、ネゲブそしてヘブロンまで行った。
ヘブロンは死海のほぼ中央の西にある山地である。
つまり、
斥候たちは、荒野と山地を北上して行ったのである。
その距離はおよそ80-100㎞である。
片道2-3日、偵察に30日前後掛けたと思われる。

(エフライムの部族)ヌンの子ヨシュアと(ユダの部族)エフネの子カレブは良い報告をしたが、他の10人は悪い報告をした。(エホバに対する不信仰を示した。)

モーセはヌンの子ホシュア(ヨシュアはエホシュアの短縮形)をその後もエホシュアと呼んだ。

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14章 

10人の悪い報告を聞いて、民は動揺しエホバに逆らうようになった。

モーセとアロンおよびヨシュアとカレブは民を説得するが、応じようとはせず彼らを殺そうと話し合った。

遂に、エホバは民の不信仰に対し怒りを表したがモーセのとりなしで許された。
しかし、
エホバは「エジプトと荒野で示したわたしの栄光としるしを見てきながら、これまで十度もわたしを試みつづけ、わたしの声に聴き従わなかったすべての者は、わたしがその父たちに誓った地を決してみないであろう。わたしの僕カレブについては、・・わたしは彼が行って来た地に必ず携え入れる」

「あなた方全員のうち二十歳以上で登録されたすべての者、わたしに対してつぶやいた者たち・・その土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアについては別である」

「そして、あなた方の子らは荒野で四十年のあいだ羊飼いとなり、あなた方の淫行に対する責めを負うことになる。
あなた方がその地を探るのにかけた日数、それが四十日であったので、一年に対して一日・・あなた方は四十年のあいだ自分のとがに対する責めを負う」と言われた。

これを聞いた民は大いに嘆き、彼らは朝早く起き、山の頂に上って行こうとして「さあ、わたしたちはエホバの言われた場所へ上って行かねばならない。」と言った。

しかし、モーセは「どうしてあなた方はエホバの指示を踏み越えようとするのですか。そのような事は成功しません。上って行ってはなりません。」と言った。

ところが、彼らはあえて山の頂に上っていったが、エホバの契約の箱とモーセは宿営の中から出ていかなかった。

すると、その山に住むアマレク人とカナン人が下って来て彼らに討ちかかり、彼らをホルマまでも追い散らした。
(ホルマというのは、都市の名前ではなく地域を指すと思われる。)

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15章 

エホバからモーセへ(イスラエルの子らに対して)
カナンの地に入った時にするべきことを命じた。

犠牲と捧げ物に対する規定。
間違いによる罪に対する贖罪と故意による罪に対する死の規定。

民が荒野に留まっている間に、イスラエルの子らは、安息日に木切れを拾いあつめている人を見つけた。
彼らはその者をモーセとアロンおよび全集会の所に連れて来た。
彼をどのようにすべきかについてはっきり述べられていなかったので拘禁に処した。

やがてエホバはモーセに「その者は必ず死に処せられるべきである。宿営の外で全集会がこれを石撃ちにする」と言われた。

それで全集会は言われた通りにした。

更に、エホバはモーセを通してイスラエルの子らに「衣のすそに房べりを作り、その房べりの上方に青ひもを付けるようにと命じた。
「あなた方はそれを見てエホバのすべてのおきてを思い出し、こうしてそれを行うのである」と言われた。
その目的は「あなた方がわたしのすべてのおきてを銘記してそれを必ず行い、あなた方の神に対しまさに聖なる者となるためである」と言われた。
「わたしはあなた方の神エホバであり、あなた方の神となるためあなた方をエジプトの地から携え出した者である。
わたしはあなた方の神エホバである」と言われた。

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16章 
レビの子コハトの子イツハルの子コラが、
ルベンの子らであるエリアブの子ダタンとアビラム、ペレトの子オンと共に立ち上がった。
それらは集会の長たる者たち、集まりに呼ばれた者、名ある人々であった。
これらと250人がモーセとアロンに敵して集合し、
「あなた方のことはもう沢山だ。集会全体はそのだれもが聖なる者であり、エホバはその中におられるのだ。それなのに、どうしてあなた方は自分をエホバの会衆の上に高めるのか」と言った。
(これは、おそらく、エホバがこのように言われているから、そのようにして下さいとお願いするような言い方ではなく、エホバはこのように言われたのそのようにしなければならないと命令口調で話したからだと思われる。
モーセとしては当然の言い方だったが、聞いている方は「頭ごなしの命令」と聞こえたに違いない。
そのためこのような言い方をしたと思われるのである。)

それに対してモーセは、「あなた方は、祭司職を自分のものとしなければならないというのですか。
これによって、あなたも、集い寄っているあなたの集会のすべての者も、エホバに対して逆らっているのです。
アロンについても、彼がどうしたというのであなた方は彼に対してつぶやくのですか」
と言った。
モーセは先ずレビの子らであるコラとその集会に話をした。
次いでダタンとアビラムを呼びにやったが来なかった。

これを聞いてモーセは非常に怒った。

それからモーセはコラに「あなたとあなたの集会のすべての者とアロンは各々自分の火取り皿をエホバの前に差し出さねばならない」と言った。

それで彼らは各々自分の火取り皿を取り、それに火を載せ、その上に香を置いて、モーセおよびアロンと共に会見の天幕の入り口に立った。
コラがその集会の全員を集め、会見の天幕の入り口に向かわせると、
その時、エホバの栄光が集会全体に現れた。

ついでエホバはモーセとアロンに彼らを即座に滅ぼし絶やすと言われたが、モーセは「ただ一人の者が罪を犯すだけで、集会全体に対して憤られるのですか」と言った。

するとエホバは「コラ、ダタン、アビラムの幕屋の周りから離れよ」と言われた。

モーセとイスラエルの年長者たちも共にダタンとアビラムのところに行き、集会の人々に「どうか、これら邪悪な人々の天幕の前から離れて下さい」と言うと、
直ちに彼らはコラ、ダタン、アビラムの幕屋の前から、そのすべての側から離れた。

すると、ダタンとアビラムが出て来て、自分の天幕の入り口に立ち、その妻また息子や幼い者たちも共に立った。

その時、モーセは、
「あなた方は、エホバがわたしを遣わしてこれらのすべての行為をさせていること、それがわたしの心によるものではないことを、これによって知るでしょう。」
「地面がその口を開いて彼らとそれに属するすべてのもとを飲み込み、彼らが生きながらシェオルに下ることになれば、そのときあなた方は、これらの人々がエホバに不敬に振る舞った、ということをはっきり知るのです」

モーセがこれらのすべての言葉を話し終えるとすぐ、彼らの下の地面は二つに裂けはじめた。
彼らとその家の者たち、またコラに属するすべての貨財を飲み込んで行った

さらに、火がエホバのもとから出て、香を捧げていた二百五十人を焼き尽くして行った

次に日、イスラエル全集会がモーセとアロンに向かってつぶやき「あなた方がエホバの民を死なせたのだ」と言って、
モーセとアロンに逆らって集合したとき、神罰が下り一万四千七百人が死んだ
(この出来事は、イスラエルの子らの「ある者たち」がモーセがエホバの指示で行ったことを、理解せずモーセが自分の考えでさせていると考えたことを示している。
これは、エホバと直接交流のない者たちにとっては、モーセが話すことがエホバからのものかどうか分からなかったことを示している。
モーセが話すことがエホバからのものであるという「信仰」の欠如を示している。

イスラエルの子らは、
その初めから、エホバに対してもつぶやき、不平不満を表し、こうして「エホバを試み」、
また、エホバの指示やおきてに従わないという「信仰の欠如」を度々示している。

しかし、エホバの言うことを直接聞くことが無いようにとシナイ山の麓でそう願ったのはイスラエルの子ら自身であったことなのである。

 

エホバの言うことを直接聞くことが出来ないということは、イエスの時代の祭司や書士やパリサイ人、また、今日でも同じである。
したがって、エホバの事柄には「信仰」と「識別力」が必要であることを暗示していて、この「識別力」がないと、それが、エホバからのものかどうかの判別が出来ないことを示している。
ただ、従順であれば良いというものではないことも示している。

訳も分からず従っていると、人は忍耐することなく必ず不平不満が出てくるものである。

(参考:現代のエホバの証人の2世たちがその良い例である。

また、これは親たちにも言えることで、確かな理由やその必要性も知らず「子供にムチ」をしたり、いたずらに「世のものとならない」ようにと自分の子供たちに強制している。

エホバの規則には必ず理由があり、その理由の真意を知らなければ、従う意味がないのである。)

確かに、民の生活は「楽なものではなかった」がエホバに見捨てられた訳ではなかったのである。
おそらく、民に「善いこと、楽しいこと」だけの日常だったとしたら、つぶやきや不平不満を表さなかったと思われる。

これは、
信仰の歩みと同じである。

真の信仰の歩みは「善いこと、楽しいこと」よりも、むしろ「日々、辛いと思う」ことが殆どであることを例示しているのである。
しかし、その先にある「報い」は善いものである。

イエス・キリストは、事物の体制の滅びのしるしを述べた時、終わりまで耐え忍んだ者が救われると言われました。

耐え忍ぶとは楽しいことより辛いことが多いことを示している。
しかし、そうすることの報いは大きいのである。)

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17章 

アロンの杖にアーモンドの花が咲く。
エホバからの任命の証
イスラエルの子らはモーセとアロンに向かってつぶやき始めたのを聞いたエホバは二人がエホバに任命された者であることを示された。
アロンに対してもつぶやきがあったので、
エホバはモーセに「それぞれ父方の家ごとに一本の杖」を取り、それに各人の名をその者の杖に記す」ように、
そして「わたしが選ぶ者、その者の杖は芽を吹くことになり、こうしてわたしは必ず、イスラエルの子らのつぶやき、すなわち彼らがあなた方に対しているつぶやきを静まらせる」と言われた。

モーセはそれらの杖をエホバの前、証の天幕の中に置いた。

すると、次の日、レビの家のためのアロンの杖が芽を吹いていた。
それは芽を出して花を咲かせ、熟したアーモンドをならせていた。

モーセはそれぞれ自分の杖を戻した。

続いてエホバはモーセに「アロンの杖を証の前に戻し、反逆の子らに対するしるしのために保存すべきものとせよ。
わたしに対するかれらのつぶやきがやみ、かれらが死なずにすむためである」と言われた。

すると、イスラエルの子らのはモーセに向かって「だれでもエホバの幕屋に近づき、その近くに行く者は死ぬ! わたしたちはそのようにして息絶えて終わらなければならないのか」と言った。

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18章 

アロンに対するエホバの言葉。
聖なる所と幕屋と祭司職の責任
レビ人の務め(寄進物の保管)。
レビ人の子らに十分の一(これはエホバのものである)を与えること。
エホバへの寄進物はアロンとアロンの子らが会見の天幕での奉仕に対して与えられる報酬であると言われた。(塩の契約-民数記18:19)
(参考:給料や報酬のことを英語でサラリーと言うが、ラテン語の塩を意味するsalが語源とされているが、それ以前のエホバによる塩の契約が語源と言えるかも知れない。)

 

奉納されたものはアロンのものとされた。
初物について。
初子について。
塩の契約について。
十分の一について(エホバがレビの子らに与えた相続分であり、会見の天幕の奉仕に対して与えられる報酬であるとも言われた。)

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19章 

赤い雌牛に関する法令
エホバはモーセとアロンに、
きずのない赤い雌牛、その身に欠陥がなく、くびきを掛けたことのないもの、それを祭司エレアザルに与えるように」と言われ、その後の赤い雌牛に関する法令を伝えた。

人の死体に触れた者の清めに関する法令。

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20章 

第一の月(何年目かは記されていない)チンの荒野でミリアムは死んだ
飲み水に対する不満。
モーセの罪。(メリバの水)
アロンの死。(ホル山の頂)
(アロンは123歳で死んでいるから、エジプトを出て40年目であったことを示している。)


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21章 
カナン人アラドの王がイスラエルに対して戦いを始めた。
この王はネゲブ(ネゲブはガザの南東、ベエルシェバの南にある山地)に住んでいた。

そのため、イスラエルはエホバに誓約をし「もしあなたがこの民を間違いなくわたしの手に与えてくださるのでしたら、わたしは必ず彼らの諸都市を滅びのためにささげることにします」と言った。

するとエホバはそれを聞き入れ、カナン人を渡された。

ホル山からエドムを迂回していた時、民はその道のためにすっかり疲れるようになった。
そして、民は神とモーセに対して、しきりに言い逆らった。

それで、エホバは民の中に毒蛇を送った。そのため、イスラエルの多くが死んだ。

モーセのとりなしによりエホバはモーセに胴の蛇をつくり、それを旗ざおの上に取り付けよと命じた。

すると、蛇が人をかんだ場合でも、その胴の蛇を見つめると、その人は生き長らえるのであった。

その後、オボト、モアブに面した東側の荒野、セレドの奔流の谷のそば、アルノン地方の荒野、
マタナ、ナハリエル、バモト、モアブの野の谷へと宿営を進めた。

イスラエルはここで、アモリ人の王シホンに使者を送って「あなたの土地を通らせて下さい」と言ったがシホンは許さなかった。
むしろシホンはイスラエルを迎え撃つために出て来た。

それに対して、イスラエルは剣の刃で彼を討ち、彼の土地をアルノンからヤボクまでを手に入れた。
イスラエルはこれらのすべての都市を取り、ヘシュボンとそれに依存するすべての町々に住むようになった。

その後、ヤゼルを攻略し、向きを転じバシャンの道を上ると、バシャンの王オグがイスラエルを迎え撃とうとしてエドレイに出て来たが、
アモリ人シホンにしたようにすべての民を討ってひとりとして生存者が残らないまでにし、その土地を手に入れて行った。

(後にこれらの土地はマナセの半部族に与えられることになる。ヨルダン川の東側である。

カナンの地はヨルダン川の西側にある。)

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22章
次いで、エリコからヨルダン川を渡ったところのモアブの砂漠平原に宿営した。
(目の前は、約束の地カナンである。)


ロトに上の娘の子の子孫モアブの王チッポルの子バラク(モアブの王)はイスラエルの子らにむかつくような恐れを覚えたため、ベオルの子バラム(後にイスラエルの子らに剣で殺された)に使者を遣わしイスラエルの民を呪って下さいと頼むことにした。
それで、モアブとミディアンの年長者たちは占いのための支払いを手に携えて行った。
(バラムはペトルというアラム人の町に住んでいて、エホバについての知識を持ち、エホバをまことの神と認め、自分の神と言っていた。
ベオルとはエドム(エサウの子孫)人である)

この時、神はバラムに「あなたはその者たちと共に行ってはならない。この民(イスラエル)を呪ってはならない」と伝えた。

年長者たちは戻ってバラクに報告した。

ところが、バラクは再び他の君たちを遣わした。

再び神がバラムに現れ「立って共に行きなさい。ただし、わたしがあなたに話す言葉、ただそれだけをあなたは話して良い」と言われた。

彼が出かけると神の怒りが燃えたと記されている。

エホバのみ使いがろばの行く手を遮った。
それを知らないバラムはロバを三度も叩いた。
ついに、エホバがロバの口を開いたのでロバは「わたしが何をしたために、あなたはこうして三度もわたしをたたくのですか」と言った。

その後、エホバがバラムの目から覆いを除かれると、バラムにもエホバのみ使いが抜いた剣を手にして立っているのが見えた。

その後、エホバのみ使いは「この人々と一緒に行きなさい、ただし、わたしが話す以外の言葉をあなたは話してはいけない」と言った。
(この出来事は、バラムがエホバの指示に従わないことを危惧し念を押したものと思われる。
同じ言葉を二度繰り返したということは、必ずそうせよという厳命であること示している。)

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23章-24章
バラムの三度の発言。
バラクの頼みとは逆に三度ともイスラエルと祝福した。

そのため、バラクは「わたしは、必ずあなたに栄誉と与えると自ら言ったが、見よ、エホバがあなたを引きとどめて栄誉を受けさせなかったのだ」と言った。

それに対して、バラムは、
「たとえバラクが銀や金の満ちた彼の家をわたしに与えようとも、・・エホバの指示を超えて自分の心で何かを行うことなど出来ない」と言った。

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25章 

イスラエルの民はモアブの娘たちと不道徳な関係を持った。
その結果、偶像崇拝へといざなわれ(誘われ、導かれ)ることになり、神罰が下った。
神罰のために死んだ者は二万四千人に上った。

後にエホバはモーセにミディアン人を悩ますようにと話した。
(モーセの舅エテロとその娘チッポラはミディアンに住むケニ人だったが、エホバはそのように言われた。ミディアン人がこうかつにイスラエルを悩ましてきたからだと。)

 

(これは、宿営の北側は既に征服し、ミディアンは宿営の南側にある。

西側には死海が、東側には砂漠地帯があり、こうして宿営の周囲のすべてを征服したのち、

つまり、家族を危険から守ってから、いよいよカナンの征服に入ったことが分かる。)

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26章 
イスラエルにおいて軍隊に出る二十歳以上の以上の男子の合計を調べよと言われた。
イスラエルの子らの登録された者たちは六十万一千七百三十人であった。

その後、「これらに、それぞれの名の数にしたがって相続分としての土地が配分されるべきである」と言われた。
登録された者に比例して与えられるべきであるが、くじによってその土地を配分するようにとも言われた

この登録は、ヨルダンのそば、エリコに面するモアブの砂漠平原で行われた。

この中には、モーセとアロンがシナイの荒野でイスラエルの子らの登録を行った際に登録された者は一人も入っていなかった
ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアだけが残っていた。
(内容から、既にエホバが言われた40年が終わろうとしていることが分かる。)

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27章 
マナセの子孫のツェロハドの娘たちの相続分の訴えは認められた。
これは、相続に関する細部に渉る法令となるとも言われた。

モーセの死の予告とヨシュアの任命。)
その後、エホバはモーセに「このアバリムの山に登り、わたしがイスラエルの子らに与えるはずの土地を見なさい。
(エホバは約束の地に入ることは許されなかったが見ることは許された。)

その後、あなたは自分の民のもとに集められることになる」と言われた。
「チンの荒野で、この集会の者たちの言い争いの際、その目の前の水によってわたしを聖なるものとすることに関し、あなたがわたしの指示に背いたからである。
それは、チンの荒野のカデシュにおけるメリバの水である」

その時、モーセはエホバに「イスラエルの子らに先立って出て行き、彼らに先立って入り、彼らを連れ出し、彼らを携え入れる者を任じて下さいますように」と言った。

すると、エホバは「あなたのために、内なる霊を持つ者である、ヌンの子ヨシュアを選び取りなさい。その上にあなたの手を置くのである。
そして、彼を祭司エレアザルの前、また全集会の前に立たせ、その目の前で任命を行うように。
そして、祭司エレアザルの前に立ち、エレアザルは彼のため、ウリムの裁きによってエホバの前に問い尋ねるのである。
彼の指示のもとに民は出て行き、彼の指示のもとで民は入って来る。
彼も、それと伴るイスラエルのすべての子らも、全集会もそのようにする」と言われた。

それで、モーセはエホバから命じられたとおりに行った。

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28章~29章
捧げ物の手順と取り決め。
安息日、月々の初め、(毎年)第一の月の14日にはエホバの過ぎ越し、15日に祭りと7日間の無酵母パンを食べること、熟した初物の日=七週の祝祭、
第七の月の一日=ラッパの吹奏の日、第七の月の十日、第七の月の十五日から七日間と八日目に捧げ物の取り決めが示されている。
(エホバは様々な手順で捧げ物や贖罪など犠牲を要求している。
これは、人が生きることのすべてをエホバに依存していることを常に銘記させることになった。
更に、完全な方(エホバ神)が不完全な人間の罪の許しや人間の感謝などを受け入れる仕方を明示されたのである。
犠牲の基本的な考え方は様々な事柄に関して個人や集団を「清める」ことである。
清くないものがエホバに近づくことは出来ないからだ。
そのため、エホバに近づく時には「常に、祭司を仲介しなければならない」
これは、エホバご自身の取り決めでもある。
しかし、エホバご自身の方から人間に対峙するときには、み使いを通してなされる。
犠牲は、エホバの正当な要求である。)

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30章 

誓約をする場合の規定。
人がエホバに誓約をし、あるいは誓いを立てて物断ちの誓約を自分の魂に課した場合、
その者は自分の言葉を破ってはならない。

娘が父の家で誓約をし、あるいは物断ちの誓約を課した場合の規定。
妻が誓約または自分の魂に課した唇の無思慮な約束の場合の規定。
やもめまたは離婚された女の誓約の場合の規定。

これらは、夫と妻の間、父と娘との間についての規定である。
(これは、夫もしくは父が娘あるいは妻の誓約が有効か否かを決める規定である。つまり、頭の権の下にある者の誓約は頭がそれを認めるか否かで決定されるというものである。)

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31章 

ミディアン人に対する復讐(イスラエルの民に対して数々の悪を行ったからである)
エホバはイスラエルの子らのため、ミディアン人に復讐せよと命じられた。
そのため、
イスラエルのすべての部族から、各々一千人を割り当て、一万二千人が軍隊の装備をした。

モーセは彼らと祭司エレアザルの子ピネハスを軍隊に送った。

彼らはエホバがモーセに命じとおりミディアンに対して戦いはじめ、男子をすべて殺して行った。
ミディアンの五人の王とペオルの子バラムを殺した。
ミディアンの女と幼い者たちをとりこにし、また、すべての家畜、すべての畜類、すべての資産を強奪した。

そして、彼らが定住していたすべての都市と壁で囲まれた宿営すべてを火で焼いた。

彼らはモーセと祭司エレアザルとイスラエルの集会のところに、とりこと戦利品を分捕り物を携えて来た。

ヨルダンのそば、エリコに面するモアブの砂漠平原の宿営にである。

それを見たモーセは「あなた方は女をみな生かしておいたのですか。見なさい!この女たちがバラムの言葉によってイスラエルの子らをいざなうものとなり、ペオルの事件でエホバに対して不忠実な行為をさせたのであり、そのためエホバの集会の上に神罰が臨んだのです。」
(23-25章を見よ)
「だから今、幼い者たちのうちすべての男子を殺し、男子と寝て男と交わりを持ったすべての女も殺しなさい」と命じた。

また、「あなた方自身は、七日の間宿営の外に宿営し、だれでも魂を殺した者は、三日目と七日目に身を清めるべきです。
あなた方も、あなた方のとりことなっている者たちも。
また、すべての衣、すべての皮の品、すべてやぎの毛で出来たもの、すべて木の品も、あなた方のためにそれを罪から浄めるべきです」と言った。

次いで、祭司エレアザルは、「これはエホバがモーセに命じた律法による法令です。
ただ金と銀、銅、鉄、すずと鉛だけ、すなわち火で処理されるものはだけはみな火の中を通すべきである。
そうするなら、それは清いものとされる。
ただし、火で処理されないものはすべて水の中を通すべきです。
また、
七日目に身分の衣を洗って清い者とならなければならない。
(ここで分かることは、
金などの金属は形が残らないように溶かすこと、また、おそらく、血の付いた衣を洗って奇麗にすることで衛生状態を良くしたのである。)

それから、エホバはモーセに対して戦利品について、戦った者とそうでない者たちの分として二つに分けさせた。

加えて、遠征に出かけた戦人たちからエホバへの税を取るようにと言った。
それらは祭司エレアザルに渡され、その半分の中から五十ごとに一つを取り、それを幕屋の務めを守るレビ人に与えるようにと言った。

すると、
軍の千人隊に所属する任命された人々がモーセに近づいて「戦人の総数を調べてみましたが、失われた者は一人も報告されていません
自分たちの見つけたものを、金の品、足首の鎖飾り、腕輪、認印指輪、耳輪、婦人の飾りをエホバへの捧げ物として差し出し、それによってエホバの前でわたしたちの魂のための贖罪をするのです。」
と言った。

こうして、戦争で人を殺した時の「浄め」方、分捕り物の浄めの仕方、戦利品の取り扱い方、
エホバへの税などの規定が示された。

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32章 
ルベンとガドの子らはヤゼルの地とギレアデの地を所有したいと申し出る
そして、エホバが与えてくださるはずの土地に行かずに、ヨルダン川を渡らないようにして欲しいとモーセに願い出た。
それに対して、モーセは「(40年前、あなた方の父たちもそうしたため、荒野をさまようことになり、その時の世代は皆終わり(死んだ)に至ったのだ」と言った。

後に、彼らは、カナンの地の征服に加わり、イスラエルの子らが各々自分の所有地を得るまでは家に帰らないし、その地での相続地はいらないので幼い者たちのためにここに都市を築かせて下さいと申し出、それが認められた。

更にモーセは、アモリ人の王シホンの王国とバシャンの王オグの王国をマナセの半部族に与えた
(これらの土地はすでに滅ぼしており、すでにイスラエルの子らが住んでいた。-民数記21:31)

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33章 
エジプトを出てからの行程の回顧録
40年目の第五の月の一日にホル山の頂でアロンは123歳で死んだ。

エリコに面したモアブの砂漠平原で、エホバはモーセにイスラエルの子らに話すべきことを伝えた。

「あなた方はヨルダンを渡ってカナンの地に入る。それであなた方は、その地のすべての住民をあなたの前から打ち払い、彼らの石像をすべて打ち壊さねばならない。

彼らの鋳物の像をことごとく打ち壊し、彼らの聖なる高い所をすべて滅ぼし尽くすように。

そしてあなた方は、それぞれの家族にしたがい、その地を所有地として自分たちの間でくじによって配分しなければならない。

だが、もしその地の住民をあなた方の前から打ち払わないなら、・・・わたしは、彼らに対して行おうと思ったことを、あなた方に対して行うことになるのである」
(後に、これは現実となってしまった。)

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34章 
相続地(カナンの地)の全体の境界線の線引き
(ヨルダン川の西側を九部族半で分ける。二部族半は既にヨルダン川の東側の山地ギレアデが与えられている。
ちなみに、ギレアデの南はモアブであり、死海の南はエドムであり、ユダが与えられた所有地の南側は荒野であり、更にその南はシナイ半島の砂漠地帯である。
ユダの領地から地中海沿いに南に進むとエジプトは近い。)

配分はくじによって行われること。
そのくじ引きに立ち会う者たちとしてエレアザルとヨシュアと各部族の長の一人が任命され彼らが配分するようエホバに指示された。

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35章 
レビ人は他の部族のようにくじで所有地は与えられてはいない。

そのため、エホバはモーセを通してイスラエルの子らにレビ人が住むべき都市を他の部族の中に与えるようにと命じられた。

相続地の中にレビ人住む、六つの避難都市と四十二の都市を牧草地が与えられた
ヨルダン川を挟んでそれぞれ三つの都市が避難都市とされた。
血の罪つまり殺人者に対する取扱いの規定。

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36章 
女子の相続人が結婚した場合の相続分の規定
基本的な考えは、相続分が部族間を巡ることが禁止された。

申命記に続く。
申命記はモーセによる最後の回顧録です。

カナンの地に入る直前のことです。

 

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追記

エホバはイスラエルの子らが従わない時、その人々を殺戮して来たことが分かります。

しかも、カナン人、アモリ人、ミディアン人などを、いわば、今の言葉で言えばジェノサイドをしてきました。

しかし、

こうした人々に対して「寛容さ」を示し、生き長らえさせたことで、イスラエルの子らは「悪い」ことへと誘われて行きました

悪いこととは、基本的に「人にとって害のある事柄とその影響」です。

聖書で言う「肉の業」に加えて「自由と楽しみと自己満足と自分を高めることと資産、財産など」の追求の精神です。

更に、無価値な偶像崇拝などをさせることで、「人間に多くの害」をもたらして来ました。

 

どんなに残虐と思えることでも、エホバの言われることは「すべて正しく、かつ、人のためになる」のです。

犠牲などを除き、日常的な事柄の詳細にわたる律法を現代人に「守らせても」十分人を幸せにするものです。

 

現代人の多くは、エホバのおきてを知らずして悪を行い「多くの害」を身に受けています

 

現代人の「真理の基準を持たない」寛容、憐みは「いたずらに同情」を誘うだけで「全く意味のない」ことなのです。

 

イスラエルのハマスの攻撃は、神の命令や指示による戦いではないので、「無益」な戦いです。