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内容と解説

 

35章
その後、神はヤコブにベテルに行きそこに住むようにと告げ、そこに祭壇を造るようにと指示した。

 

そこで、ヤコブは一族の中にある異国の神々を捨て去り身を清めてマントを着替えるようにと皆に告げた。(ベテルはシェケムから約30㎞南にある。)
 

それで、人々は自分たちの手にあった異国の神々すべてと、耳につけていた耳輪をヤコブに渡し、ヤコブはそれを近くにあった大木の下に隠した。
(これは、一族の中には異国の神々を崇拝している者もいたことを示している。
それらは、いわば黙認されていたということである。)
 

その後、ヤコブたちはシェケムを立ったが、周辺の都市に「神からの恐怖」が望んだため、人々は

ヤコブの後を追わなかった。  
 

やがてヤコブはベテルに来て、そこに祭壇を築いた。
後に、リベカの乳母デボラが死んだので、ベテルの巨木の下に葬られた。
(いつ、デボラがヤコブの元に来たかは分からない。おそらく、リベカが死んだ時、そのことを

ヤコブに告げに行って、その時からではないかと思われる。
また、ヤコブはリベカのお気に入りだったので、デボラとも親しくしていたと考えれる。
さらに、デボラは幼いエサウとヤコブの二人を世話をしたに違いない。)
 

その後、神はヤコブに再び現れ「あなたの名はイスラエルとなり、あなたは子を生んで多くなり、

もろもろの国民・・があなたから生じ、王たちがあなたの腰から出る。アブラハムとイサクに与えた土地をあなたの胤に与える」と言われた後、ヤコブの上から上方に去って行かれた。

(この時は、おそらく、人のような姿をしたみ使いが、ヤコブの上方から、宙に浮いた状態で話しかけたと思われる)
(ヤコブに神=み使いが現れたのは、4度目である。)
そこで、ヤコブはその場所に石の柱を据え、その上に飲み物の捧げものを注ぎ、油を注いだ。 
(いわば、石の柱は記念碑である。
後に、エホバへの捧げ物の中に、パンや飲み物などがあるが、エホバが食べる訳ではない
それらは、幕屋で奉仕する祭司たちの食べ物となった。
こうして、ご自分に仕える者たちに食べ物を与えていた。)
 

その後、エフラト(ベツレヘム)に着くかなり手前でラケルが産気づき、難産であったため、ベニヤミンを産んで直ぐに死んでしまった。
ラケルはそこに葬られ、ヤコブは墓の上に柱を立てた
(日本の墓地の上に立てる柱のようなものかも知れない。こうした風習はこの時から始まったのかも知れない。)
 

その後、ヤコブはそこを立ち、エデルの塔を少し超えたところで天幕を張っていた時、ルベンはビルハ(ラケルのはしため)のところへ行ってビルハと寝た。
(もしかすると、ルベンはビルハを慰めに行ったと思われる。)
 

ヤコブはそのことを聞いた。(その後、何かをしたという記録はない。しかし、ディナの件とこの度の件で、ルベンは長子の件を失っている。)
 

そして、ようやくイサクの元に、ヘブロンに着いた。
 

その後、イサクは180才(BC1738)で死んで、ヘブロンにあるマムレの前にあるマクペラの畑地にある洞窟に葬られた。エサウとヤコブ(二人とも120才)の二人でこれを行った
 

リベカはいつ死んだか分からないがリベカも同じところに葬られた。(創49:31)
(ヤコブがエサウから逃げてハランに行ったのは77才の時であり、それから20年後に少なくともシェケムでは97才だったと思われる。
したがって、ヤコブはイサクと共に20年以上は暮らしていることになる。
イサクの誕生はBC1918、エサウとヤコブの誕生はBC1858、イサク60才の時である)
 



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36章
 エドムの歴史。


土地の首長たち


エドムの地の王たち(イスラエルの子らを王が治める以前)
ベオルの子ベラ-ボツラから出たゼラハの子ヨバブ-テマン人の地から出たフシャム-

モアブの地でミディアン人を撃ち破ったベダドの子ハダド-マスレから出たサムラ-

レホボトから出たシャウル-アクボルの子バアル・ハナン-

ハダル(もしかすると、ハナンの兄弟かも知れない。)

エサウの首長たち
ティムナ、アルワ、エテト、オホリバ、エラ、ピノン、ケナズ、テマン、ミブツァル、マグディエル、イラム
(参考:
ヤコブの子らは12人、エサウの子らは14人で、その子孫もかなりの人数になった。
ヤコブがエジプトに行った時(BC1728)は70人だったのが、およそ215年後には、20歳以上の男子だけで60万3550人とレビ人のすべての男子が2万2000人になった。この他に、女と子供たちがいた。)

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37章
ヤコブはイサクが住んでいたヘブロンにその後も住んでいた。
ヨセフが17才(BC1750)の時、自分の兄弟たちについてヤコブに良くない報告をしていた。
 

また、ヤコブはすべての息子たちにまさってヨセフを愛した
そのため兄弟たちはヨセフを憎むようになってしまった


そうした時に、ヨセフは二つの夢を見て、それを兄弟たちに話した。
その夢は、父や母や兄弟たちが自分に身をかがめるというものであった。
(夢の中で、太陽と月と星が、父と母と兄弟に例えられている。後に、これは正夢となる。)
 

それで、兄弟たちは益々ヨセフを憎むようになっていった
 

ある時、兄弟たちがシェケムの近くで羊の群れの世話をしていたが、ヤコブは心配してヨセフに見て

きて報告するようにと言った。
(この時、ヤコブはヘブロンの低地平原からヨセフを送り出したとある。
ヘブロンは標高900m位の高台にあるので、低地平原とは死海の西側にあるユダの荒野にあるヘブロンに近いところと思われ、そこに住んでいたか、あるいは、一時的にいた時だったと思われる。)
(ヤコブの息子たちは、ヘブロンを中心にして、南はネゲブのベエル・シェバから北はシェケムまで

のカナン全域で羊を養っていたと思われる。)
 

ヨセフは兄弟たちがドタンにいるとシェケムの人に聞いたのでそこへ行った。
(ドタンはシェケムの北約20㎞の海抜150m位の丘、東のヨルダン川迄約30㎞、西は地中海迄35㎞

のところに位置している。)
 

ところが、兄弟たちはヨセフを見かけると、ヨセフを殺してしまおうと狡猾な企みを始めた。
しかし、ルベンは兄弟たちからヨセフを救い出し、父の元に返そうと考えていたので、水坑に放り

込むだけにし、ヨセフに手を下してはいけないと主張した。
 

そのため、ヨセフは着ていた衣をはぎ取られ水坑に投げ込まれてしまった。
坑に、水はなかった。
 

その後、兄弟たちがパンを食べようとして腰を下ろした時に、ギレアデからイシュマエル人の隊商

がエジプトへ下って行くのが見えた。
 

そこで、ユダはあの隊商にヨセフを売ろうと言ったので他の兄弟たちはそれを聴き入れ、ヨセフを

銀二十枚でイシュマエル人に売ってしまった。

(参考:この出来事と、イエスが銀三十枚でユダに裏切られたこととは関連付けられてはいない。)


イシュマエル人たちはヨセフをエジプトに連れて行った。 
おそらく、そこにルベンはいなかったので、ヨセフが売られたことを知らなかった
そのため、後で水坑に戻って見た時ヨセフがいなかった
 

兄弟たちは、ヨセフの衣を雄やぎの血に何度も浸し、それをヤコブの元に送った
それを見たヤコブは「たちの悪い野獣がむさぼり食ったに違いない」と言って何日も悼み悲しんだ。
 

一方、イシュマエル人(ミディアン人)たちはヨセフをファラオの護衛の長であるポテパルに売っ

(イシュマエル人たちは、アッシリアからアラビア半島全域とエジプトに近いシュル迄の広範囲に

イサクの住んでいたカナンの地を取り囲むように住んでいた。彼らは幕屋で暮らしていた。
それで、カナンの南のミディアン人とも呼ばれたと思われる。)

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38章
その頃、ユダはヘブロンの北約150㎞にあるアクジブに行って天幕を張った。
アドラム人ヒラの天幕の近くである。
その地で、カナン人シュアの娘を娶り、彼女は三人の息子エルとオナンとシェラを産んだ。
 

しかし、エルとオナンの二人はエホバの目に悪かったので、エホバによって死に渡された
エルの妻であり、オナンの妻でもあったタマルは二人の夫を失ってしまったので、ユダは、シェラ

が成人するまで(自分の)父の家でやもめとして住むように伝えた。
 

そのため、タマルはずっと自分の父の家でやもめとして暮らしていた。
 

やがて、ユダの妻が死んで喪が明けてから、羊の毛を刈る者たちのところであるティムナへ行った。

ユダは友人アドラム人ヒラと共に行ったのである。
(ティムナは友人ヒラの地であったので、共に行ったと思われる。)


それを聞いたタマルはティムナとアドラムの間にあるエナイムの入り口に、娼婦のような姿をして座っていた。
 

タマルを見たユダは娼婦(タマルとは気が付かなかった)と思い関係を持たせてくれと言った
(おそらく、当時妻を娶ると、父の元から離れて、天幕を張ったので、ユダも息子たちの妻と殆ど

会う機会がなかったので、良く知らなかったのでははないかと思われる。
例えば、イサクもアブラハムの天幕とは遠く離れて暮らしていた。
しかし、エサウは、イサクの近くに住んでいたので、イサクとリベカの二人はエサウのカナン人の妻たちに苦々しい霊(気持ち)を抱かせていたと思われる。)
 

それに対して、タマルはそのために、何をくれるかと言ったので、ユダは子ヤギを与えると言った。
そこで、そのための保証としてユダの印章付きの輪とユダの手にあった杖を頂きたいと言ったので

ユダはそれを与え、そして関係をもった。
 

その後、保証の品を取り戻すために、その女を探したが見つからなかった。
 

それから、およそ三か月後ユダはタマルが淫売によって妊娠をしたという知らせを聞いた。
それを聞いてユダはタマルを引き出して焼いてしまえと言った。

(これは、当時も淫行は「悪」とされていたことを示している。)


タマルは引き出される時に、保証の品を出して、これを持つ者によって妊娠したと告げた。
するとユダは、タマルの方が義にかなっていると認め、その出産を認めた
 

双子であったペレツとゼラハと名付けた。(ペレツはイエスの家系となった)
(日本にも同じ風習があった。兄が死ぬと兄嫁を弟が娶るということが。
イスラエルではこの風習が長く続いている。
また、女は子を産むことが女の誉れであった。
それで、女は子が生まれないことを嘆いた。
タマルも同じだったが、ユダがシェラの妻として与えなかったので実力行使に出たのである。
だが、不思議なことに、ユダの息子シェラがイエスの家系にならず、ペレツがなったことである
もしかすると、シェラの母がカナン人だったからと思われる。
カナン人の血を引く者がイエスの家系になるということはあり得ないことであった。
実際、イサクはヤコブにカナン人から妻を娶ってはならないと命じている。
すると、タマルはカナン人ではなかったということになるが、真相は分からない。)

参考:ここで、ユダがタマルと関係を持ったことから、性について、少し考察して見たいと思う。
大洪水前、み使いたちが地上に降りてきて地上の女を娶って子をもうけている。

 

ノアの孫のハムは、ノアが酔って寝ているときに、裸を見ただけでなく、何らかの悪戯をしたと思われる。


ソドムとゴモラでは、おそらく、同性愛者などの性的異常者が多くいた。
 

アブラハムはサラ、ハガル、ケトラの三人から多くの子孫を持った。
 

アブラハムの孫ヤコブはレアとそのはしため、ラケルとそのはしためとの間に12人の子を持った。
 

ヤコブの長子ルベンはラケルのはしためと寝た。
ヤコブの娘ディナはシェケムに犯された。
 

サラは、その地の王に召されたが、関係を持つ前に解放された。
リベカは、その地の人々の目に留まったが、関係を持つ前にその地の王が止めた。
 

ユダは自分の性欲を満たすためタマルと関係を持った。
 

ヨセフはポテパルの妻に言い寄られた。
 

後の律法でも姦淫や淫行を禁じている
 
こうして、少し考えてみても、人の性に対する欲求は動物に比べると異常と思える程である。
動物は、その季節にならなければ、発情しないし、その態勢が整わなければ決して交わることはないが、

男は、常に生理的に女と関係を持つように作られ、一方、女の方も、子を産む備えが、毎月出来る
この二つが相まって、一年を通して、男女が関係を持つに至っている

 

ただ、動物は本能で定まっているが、人間は、各々の分別で関係を持っている。
こういう、いわば、仕組を作られたのは神エホバである。
エホバは、当然、人間の傾向とそれによる害も知っておられたので、姦淫も淫行も禁じたと思われる。

性的関係に関して、 
男は妻と妻のはしためと関係を持っても良かった。
アブラハム、ヤコブ、ダビデなどの例がある。
 

も問題はなかったと思われる。
一夫多妻が許されていた。
あるいは、娼婦と寝ることも許されていたのではないかと思われる。
ユダの例がある。
 

ルベン(レアが生んだ子)がビルハ(ラケルのはしため、ヤコブのそばめ創35:22)と寝た時、ヤコ

ブはそれを責めなかった
つまり、一夫一婦制ではなかったということである。
ただし、妻と呼ばれる人は一人で、他は妾かはしためか奴隷などであった。
しかし、
女の方は、妻であれ、はしためであれ、奴隷であれ、夫や主人が死んだ場合以外は、他の男と関係を持ってはならなかった。民5:11ー31
 

この男女の違いの理由は何か。
おそらく、子を産むということと関係があるのではないかと思われる。
一人の女が、複数の男の子供の母になることは、離婚や死別以外は許されないことであった。
つまり、不倫は、いつの世でも許されないことであったのである。
  

だが、男は複数の女との間に子供を設けても、それは、許された
こうした男女の違いは、おそらく、姻戚関係の「秩序」、相続の混乱を避けるためでもあったと思われる。
 
性に関する結論として、
1 男は、いわば、女を支配したいという欲望。
生理的欲求(体が求める)。
自分の欲求を満たすために、強姦や痴漢や淫行や姦淫などをする男もいる。
これは、女を支配したいという欲望の結果である。
 

2 女は、子供を設けたいという欲望。
男に頼りたいという願望(おそらく、スキンシップはその表れ)
売春も男に頼りたいという思いの表れである。
したがって、
女は男ほど性的欲求は生じない。
 

これらが、混じり合って、性的欲望が生じるのである。
これは、古代から今日まで全く変わっていない。
今はむしろ、昔より悪くなっている
 

理由は、社会への「女の進出」である。
大勢の女が男の前に「その姿」を見せるので、「男の誘惑」を誘うのである。
女は、男の「果実」のようなものである。
いわば、エデンの園の、「善悪の知識の木の実」である。

したがって、「女は家の中にいて、外に出ないこと」が基本とすべきである。
家事や畑仕事や木の実を取りに行くことや家畜の世話をしたり、子供の世話をすることが、女の仕事であり、夫の助け手となるのである。
 

ただし、子供を教え導くのは男の仕事である。
そのため、夫たる男には、
頭の権という力が付与されており、家族を守り養う責任も負わされているのである。
 

律法でも、男の地位や権限が認められ、女は従うよう命じられている
 

ただ、相続権も基本は男に対してであり、もし、相続する男がいなければ女も可能であった

 

(参考:モーセ五書を元にしたイスラム教では、

こうしたことを「厳格」今でも「守っている」宗派がアルカイダであり、国としてはイランやUAEなどである。)

 

更には、男女とも年功序列である。
女は、祭司として、神の前に立つことは許されていない。
が、エホバの女預言者がいない訳ではない
王も男だけである。
これらは,月経や子を産むことや肉体的弱さや精神的弱さとも関係している。

おきてや律法に関して、
モーセに与えた十のおきては、一人ひとり個人に対するおきて、つまり、万人に対するおきてであ

り、今日の犯罪とも一致している。
1 偶像崇拝、
2 エホバ以外のものを神としてはならない、
3 エホバのみ名をいたずらに取り上げてはならない、
4 安息日を守ること、
5 父母を敬うこと、
6 殺人をしてはならないこと、
7 姦淫を犯してはならないこと、
8 仲間に偽りの証言をしてはならないこと、
9 盗んではならないこと、
10 仲間の家のものを欲してはならないこと(物も妻も)、
 

律法(法律)、司法上の定め(罰)、法令(規則)は組織としてのおきてであった。
更に、組織的活動をするために、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を設けられたこと、
神と人との仲介者とその場所をもうけられたこと(預言者、祭司、幕屋、神殿)
ご自分の臨在のしるしを示されたこと、角笛、雷と稲妻、厚い雲、煙、地震のような振動、雲の柱、火の柱、炎と稲妻、雷鳴、暗闇・・
 

神の考えや指示は、
天からの声、夢、幻、人の姿をしたみ使いを通して伝えたこと、
ラッパの音で民を集合させたり解散させていること、(民10:2)

(参考:これは、現在どこの国の軍隊でも行われている。

昔、ラッパの音で「突撃」も行っている。

自衛隊も、起床から就寝まですべてラッパの音で行動をコントロールしている。

これは、声だと届かないからであり、全体に指示を伝えるには効果的だからである。)
 

更には、
人の心や思いに、ご自分の考えを入れられることもあった。
 

などなど。
 
エホバとイスラエルの子らとの関係において、
神は、余りにも畏怖の念を抱かせる恐ろしい存在であったため、民は神を恐れ、モーセが神と対峙して、モーセによってエホバの言葉を伝えるようにして欲しいと言った。(出29:24、20:19) 
 

だが、エホバの臨在は、常にあるわけではなく、その存在をだれ一人目の当たりに見ることは出来

ないため、
1 社会や個人に問題が生じた時
2 個人的な強い要望が生じた時
以外、神の存在は「人の心」の中で希薄になるものである。
 

特に、毎日が平穏で、大きな問題がなければそうなり易い
したがって、
毎日が平穏無事である時ほど、平和で幸せな時ほど、神を強く意識すべきなのである。

 

何か事が起きてから「神を頼る」のは間違いであることが分かる。)

 

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39章
エジプトに連れて来られたヨセフに、神エホバは共におられ、ヨセフは成功をおさめることが出来、

ポテパルの家のすべてのことつかさどる者となった。
 

ポテパルもエホバが成功させておられるのを知るようになった。
(おそらく、ヨセフは物事のすべてに関連し、エホバに祈ったか、エホバの名を出して行ったと思

われる。そうでなければ、ポテパルはエホバを知ることはなかったと考えられるからである。

ヨセフは幼い時、常にヤコブの傍にいて可愛がられ、エホバについても詳しく聞いていたと思わ

れる。)
 

ヨセフは、母ラケルに似て、姿が美しく、容ぼうの美しい人となっていた。創29:17-18
そのため、ポテパルの妻がヨセフに目をつけ、「わたしと寝なさい」と言うようになったがこれを

ヨセフは拒み続けた。
 

ある時、いつものように自分の用事を果たすため家に入った時、ポテパルの妻以外誰もいなかった。
それで、ポテパルの妻はヨセフの衣をつかんで「わたしと寝てちょうだい」と言ったが、ヨセフは

自分の衣を残したまま逃げた。
 

するとポテパルの妻は家の者たちに「ヘブライ人」が自分を笑いものにしようとしたと叫んだ。
ポテパルが帰って来た時に、ポテパルの妻は自分の嘘を話した。
 

そのため、ポテパルは怒りに燃え、ヨセフを王の囚人たちが入れられていた獄屋に引き渡した。
(おそらく、この時、ヨセフは無実を訴えたと思われるが衣が唯一の証拠となったと思われる。
いわゆる、証拠があっても、「嘘」は通ってしまう例でもある。
  

神の恵みを得ていても、こういう、いわば、濡れ衣のような悪い出来事が生じる場合がある
しかし、おそらく、エホバにとっては、そういうことも織り込み済みだったと思われる。
つまり、エホバはそういうことがあることを、事前に知っておられたということである。
  

それでも、敢えて、事前に告げることなく、為るがままにしておられるのは、

各々の自己責任、義か悪かを行うのが「人」自身であり、神がさせているのではないということを、天にいるみ使いたちに示すためでもあったと推測される。

 

更に、ヨセフが獄にいれられるように、神が導き、その結果としてエジプトで重要な地位に就くようにされていたことも明白である。)


しかし、エホバは引き続きヨセフと共におられ、獄屋の長の恵みを得られるようにされた。
そのため、獄屋の長はすべての囚人をヨセフに委ねた。
エホバが共におられ、ヨセフの行うことを成功させておられた。
(これは、エホバが共におられても、獄に入れられるようなことが起こることを示している。
後に、ダニエルは、炎で燃える熱湯の中やライオンのいる穴の中に放り込まれている。
が、いずれの場合も、苦難に遭っても災いは生じていない
人間から見れば、獄に入れられることは悪いことのように思えるが、実際には、そうではないことが分かる。
それでも、ヨセフは獄に入れられた時、足かせを掛けられ苦しめられたのである。詩105:18

また、ヨセフが入れられた「」は直訳もしくは字義通りでは「水ため」となっている。
ヨセフ自身、二人の子供が生まれた時、兄弟たちに難儀に遭わされたことやエジプトで惨めさを味わったとと述べている。
つまり、エホバが共におられても、ヨセフは安穏としていたのではなく、苦しく不安な日々を送っていたことが推測される。
真の神エホバを崇拝し、また、仕えるならば、こうしたことを理解する必要がある

ヨセフは苦難にあっても、自分を見失うことはなかったのである。

 

訳も分からず苦難に遭うと「悪魔が言ったように、神を呪う」かも知れない。

しかし、ヨセフはそのようにはしなかったのである。

 

後に、バプテストのヨハネが獄に入れられた時も、同じである。

このヨハネは首を切られて殺されてしまったが、これは、ヨハネが神に罪を犯したからではない。)

 

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40章
その後、ファラオの献酌人とパン焼き人が罪を犯したので、ヨセフが囚人としていた獄屋に引き渡された。
護衛の長は、ヨセフが二人に仕えるように割り当てた。
幾日かして、その二人は夢を見、それをヨセフに話をし、ヨセフはその夢の解き明かしをした。
(参考:夢の中に出てくる数字は、文字通り人間の期間を表していると考えられる。) 
 

そして、その通りになったが、献酌人はそのことをずっと忘れていた。

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41章
それから満二年の終わりになった頃、ファラオは一晩で二つの夢を見た。
朝になるとファラオの霊が騒ぎ立ったため、祭司たちや賢人たちを読んで夢の解き明かしをさせた

が誰も出来なかった。
(参考:ここで、「」は、気持ちや感情として用いられている。
霊が騒ぎ立つとは、非常な不安に襲われたことを示している)
 

その時、献酌人はヨセフのことを思い出し、そのことをファラオに話した。
そこで、ファラオはヨセフを呼ぶことにした。
(この時、ヨセフは、毛を剃り、マントを着替えてファラオの前に出ているということは、
エジプトでは、もしかすると、ヘブライ人は髭の延ばすのが習慣だったと思われる。
それで、髭を剃られたのではないか。
又、マントを着ることもヘブライ人の通常のスタイルだったと思われる。
エジプト人は普通は頭を剃り上半身は裸で、サンダルを履いていた
一般に地位の高いエジプト人はマントを着ていたと思われるが、ファラオの像は上半身裸である。)

 

(この時も、ヘブライ人というのは、いわゆる、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫もしくはユダヤ人の別の呼び方だったと思われる。
 

北の王国であるイスラエルの十部族が滅ぶBC740年以前には、ユダヤ人という言葉は出て来ない。
この言葉が出てきたのは、エレミヤが最初である。

 

そこで、後世に於いては、イスラエルもヘブライ人もユダヤ人すべて同じ人々を指す語として用いられたようだ。) 
 

ファラオの夢を聞いたヨセフは、その夢の解き明かしをし、又、対策案も示した
(この時、同じ夢が二度繰り返されたということは、必ず起こるということであり、それを、神は

速やかに行うということであるとヨセフは言っている。)
 

それを聞いたファラオは、ヨセフに、王に次ぐ地位を与えエジプトの全土をつかさどらせることにし

た。
その証として、認証指輪をヨセフの手に(指)にはめ、上等の亜麻布の衣を着せ、金の首飾りを首

に掛けさせた。
 

更に、ファラオの持つ二番目の兵車のヨセフを乗せさせた。
 

その後、ファラオは、ヨセフの名を、ザフネテ・パネアと呼び、祭司ポティフの娘アセトナを妻として与えた。
 

この時、ヨセフは30才(BC1737)であった。
(ヨセフがエジプトへ売られてから、13年が経過している

創世記を読むとあっという間の出来事のように感じるが、実際は、13年も掛かっていたのである。

この間、ヨセフは、ポテパルの妻の偽りの告発以降、獄の中でつらい経験をしていたのである。)
 

また、飢饉が到来する前に、二人の息子、長子マナセと次男エフライムを得た。
マナセに関しては、「神はわたしのすべての難儀を、また、わたしの父の全家を忘れさせてくださった」からだと言い、
(これは、兄弟たちがヨセフにした悪いことを忘れたことを言っている。)
エフライムに関しては、「神はわたしが惨めさを味わった地でわたしを実りの多い者としてくださった」からだと言った。

(これは、後に詩編に示されているように、エジプトで無実の罪で獄屋に入れられ惨めな思いをさせられたことを示している。)

 

七年の豊作が終わり、七年の飢饉が始まった。
全地の人々がエジプトに穀物を買うためにやって来た。
(後に、カナンに住んでいたヤコブたちも食料を買うためにエジプトに来たが、まだ飢饉が終わっ

ていなかったことから、ヨセフは39才の時ににヤコブがエジプトにやって来たということになる。
ヨセフが兄弟たちに自分を明かしヤコブにエジプトへ来るようにと伝えた時に、飢饉は後5年あると話している。
つまり、七年の豊作はヨセフが30才の時に始まり、七年の飢饉は44才の時まで続いたのである。)

 

(ヨセフは、夢の解き明かしすべてに関し、解き明かしは神によると、必ず事前に話、神に栄光と誉と賛美をもたらしている。)

 

(ヨセフは、生まれた時が、BC1767で、エジプトに連れて来られた時が、17才で、ポテパルに売

られてから13年経ち30才で、エジプトで二番目の地位に就いたのである。)

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42章
ヤコブはエジプトに穀類があることを知り、息子たちに、エジプトへ行って穀物を買ってくるように

と、十人の息子たちを送り出した。
飢饉はカナンの地にも起きていたのである。
 

エジブトで、すべての民に穀物を売っていたのはヨセフだった。
そのため、息子たちはヨセフに身をかがめ「カナンの地から食料を買いに参りました」と告げた。
 

一方、ヨセフの方は直ぐに気が付いたが気付かないふりをした
(おそらく、この時、ヨセフは、17才の時に見た夢を思い出した。)
 

そして、「お前たちは回し者だ。この地のあらわな様子を見に来たのだ」と言ったのに対して、兄

弟たちはそれを否定した。
 

ヨセフは尚も繰り返したので、兄弟たちは、身の上を話すようになった。
そこで、ヨセフは兄弟たちを試し、末の弟がここに来るのでなければ、お前たちはここから出ることはないと告げた。
 

三日間、兄弟たちを拘禁した。
三日後に、「兄弟の内一人を残し、後の物は自分たちの家の飢饉のために穀物を運ぶが良いと告げ

た。
 

それから、末の弟を連れて来て、お前たちが信頼出来ることを示すようにすれば、お前たちは死な

ないですむだろうと告げた。
 

兄弟たちは、ヨセフの血の返済を求められているのだと言い出した。
(兄弟たちは、ヨセフをエジプトに売ったことを忘れてはいなかった。22年が経っていた。)
 

兄弟たちは、ヨセフがそれを聴いているとは思わなかった。
通訳がいたからである。
ヨセフはそれを聞いて隠れたところで涙をした。
 

それから、ヨセフは、兄弟たちの目の前でシメオンを縛り、兄弟たちの大袋に穀物を満たし、金子も元へ戻し、旅のための食料も与えて送り出した。
 

シメオンだけを拘禁したままにしておいた。
 

兄弟たちは、エジブトを出て宿で自分の大袋を開けてみると金子が入っていることに驚いて、心は

沈み震えた。(この時、彼らはテントや野宿ではなく、宿に泊まっている。)
 

ようやく、兄弟たちは、ヤコブの元に着き、起きたことを話した。
それを聞いたヤコブは嘆いた。
 

ルベンは、わたしがベニヤミンを連れて帰らないなら、わたしの二人の息子を死なせてもかまわないから、わたしに任せてもらいたいと申し出た。
 

しかし、ヤコブはそれを認めなかった。
ベニヤミンを失いたくなかったためである。

 

43章に続く。