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内容と解説

11章 言語の混乱。
人々はみな同じ言語を話していた(いわば、初めの言語、神の言語と言える)
人々は、東に向かって移住をし、シナルに地の谷あいの平原に住むようになった。
人々は、煉瓦とモルタル(瀝青)で都市と高い塔を建設し地の全面に散らされないようにしようとした。

(人々の間に、神と言えば大洪水を起こしたエホバだけだったと考えられる。当然、大洪水のことも知っていたと思われる。)   

そのため、神エホバは、言語を混乱させ、人々を地の全面に散らした。そのため、その地はバベルと呼ばれるようになった。

(このことから、神エホバは、地上の出来事を良く見ておられたことが分かり、また、ご自分の意志を地上にもたらしておられたことも分かる。)




セムの歴史。
セム(100才、後500年生きた)-アルパクシャド(35才、後430年生きた)-シェラハ(30才、後403年生きた)-エベル(34才、後430年生きた)-ペレグ(30才、後209年生きた)-レウ(32才、後207年生きた)-セルグ(30才、後200年生きた)-ナホル(29才、後500年生きた)-テラ(70才)(年齢は最初の子が生まれた時を示している)

セムの誕生はBC2468でBC1868まで生きた。(大洪水はBC2370)

セムがアルパクシャドの父となったのは、大洪水の2年後、100才、BC2368であった。
(イエスの家系図でもある)

テラの歴史。
テラは70才になってから、アブラム、ナホル、ハランの父となった。
ハランはロトの父となったが、カルデア人の地ウルで死んだ。
アブラムは妻サライを、ナホルは妻ミルカ(ハランの娘、ロトの妹)を娶った。
(この当時から一族内での結婚や義兄弟結婚が当たり前になっていたことが分かる。
後に、エサウがエジプト人の女を妻にしたとき、ヤコブもリベカも快く思わなかったと記されている。)

その後, テラはウルを出てカナンの地に向かったが途中のハランで住むことになった。
ハランはユーフラテス川の上流である。

(一行はユーフラテス川沿いに北上したことが分かる。

ウルからカナンの地は西にあるが間に砂漠があるので真っすぐには行けなかったのである。)

このハランでテラは205才で死んだ。
(ノアはテラの息子ナホル、ハランが生まれた58年後に死んでいる。
ノアが死んでから2年後にアブラムが生まれている。

(系図から分かるように、
アブラムとロトはおじ、甥の関係であること、
おそらく、ハランが長男で、ナホルが次男で、アブラムは三男だったと思われる)





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12章 神エホバが初めてアブラムと交渉を持たれた。
ここで、神エホバは初めてアブラムに現れ、(おそらくみ使いを遣わし)
「親族と父の家(テラの一族、つまり、ナホルとハランの子ら)とを離れて、わたしが示す国(地域)に行きなさい。そうすれば、あなたから大いなる国民を作り、あなたを祝福しあなたの名を大いなるものにする。・・・地上のすべての家族はあなたによって必ず自らを祝福するであろう」と言われた。(最初のアブラハム契約である)

(これは、アブラムにより据えられた事柄に基づき、人々は自らの手の業、働きとその結果を歓ぶということである。) 

(おそらく、バベルでの出来事について、テラのから聞いていて、神エホバについての知識があり、神エホバに逆らって悪いことをすれば滅ぼされるということを知らされていたに違いない。

しかし、テラは、エホバではない神を神としていた-ヨシュア24:2
実際、ヤコブの妻ラケルはハランを出る時、父の神テラフィムを持ち出している。)

アブラムは甥のロトと共にハランを出発した。

この時、アブラムは75才(BC1943、430年の苦しみの始まり)であった。
(神エホバは、なぜ、アブラムに祝福を約束されていながらアブラムとその子孫たちに430年の長い苦しみの生活を強いたのであろうか。

400は、40の10倍である。
40という数字は罪の清めと神聖なものとするということと関わりがある。

その10倍ということは、地上での完全性を示している。

イサクが誕生するまでは25年、イサクが5才になってイシュマエルからの苛めにあってから400年かかっている。

したがって、30年はイサクが5才になる迄の期間でアブラムの信仰を試された期間であり、
イサクが5才の時からアブラハムの胤を神聖なもの、完全なものとする神エホバの清めが始まったと考えられる。

無論、アブラムはこのことを知らないで神エホバに従ったのである。)

ハランを出た後カナンの地に向かった。

途中、シェケムの、モレの大木林の近くまで来た時に、神エホバはアブラムに現れ「あなたの胤にこの地を与えよう」と言われた。(カナンの地を与えるという約束

そこで、アブラムはそこに祭壇を築いた。
(おそらく、初めての崇拝行為だったと思われる)

更に、そこから少し進んでベテルとアイの間に天幕を張り、そこに再び祭壇を築いて神エホバの名を呼び求めた。

それから、アブラムは宿営をたたみネゲブへと進んだが、飢饉が起きたのでエジプトへ下って外国人として留まった。(この当時、既にエジプトは肥沃で強大な国であったことが窺われる)

エジプトでアブラムは妻サライを自分の妹だと言わせて保身を図った。

そのため、サライはファラオの家に召し入れられた。
しかし、神エホバはサライのことでファラオの家の者たちに災厄をもたらされた。
そこで、ファラオはアブラムを詰問しエジプトを出て行くようにと言った。

この時、ファラオはアブラムに関し人々に命令を出し、アブラムの持つすべてのものを送り出した。


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13章 

エジプトを出たアブラムはネゲブに上り、更に、アブラムが祭壇を作ったベテルとアイの中間の場所に行った。
そこで、アブラムは再びエホバの名を呼び求めた。

アブラムとロトの貨財が多くなり畜類を飼う者通しが言い争うようになったので左右に分かれることにした。

それで、ロトは自分の宿営を東に移しソドムの近くに天幕を張った

ソドムとゴモラのヨルダン川全域は良く潤っていたからである。

(おそらく、ロトは土地だけを見て、そこに住む人々は見なかったと考えられる。)

しかし、ソドムの人々は悪くエホバに対しはなはだしい罪人であった。

(この悪に関しても、人々にエホバの規準を知らされてはいなかったので、大洪水前の状態に近かったのではないかと推測される。)

一方、アブラムは引き続きカナンの地に住んでいた

ロトと別れた後、神エホバはアブラムにこの地をアブラムの胤に定めのない時に至るまで与え、アブラハムの胤を地の塵粒のようにすると言われた。

(アブラムにエホバの言葉を伝えたのは、人の姿をして現れたみ使いで、夢や幻ではなかった)

それで、アブラムは引き続き天幕で生活し、後に、ヘブロンにあるマムレの大木林に行ってそこに住んだ。
そして、そこにエホバのための祭壇を築いた。



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14章
この頃、ロトが住んでいたシディムの低地平原(現在の死海)で王たちの戦いが起こりロトはその巻き添えになって連れ去られてしまった。

そのことを知ったアブラムは訓練された318人の奴隷を呼び集めガリラヤの地のダンからダマスカスのホバ迄追撃し、ロトとその貨財などをすべて取り戻した。
(この時、初めてアブラムがヘブライ人と記されている)

この勝利に対して、

サレムの王メルキゼデクで至高の神の祭司がアブラムを祝福した。

そのため、アブラムは、メルキゼデクに自分の持つすべての物の十分の一を与えた。

(後に、エホバは、収穫の初物と数えた時の十番目のものと十分の一を捧げるようにと、イスラエルの子らに命じている。
もしかすると、このことと関連があるかも知れない。)

(後世、パウロはイエスについて、メルキゼデクの様に従う永久に大祭司であり義の王、平和の王と述べて、王と祭司を兼務していることを示した。
ダビデも、同じことを述べている)

ソドムの王からは何一つ受け取らなかった。
(おそらく、アブラムは彼らが良い人々ではないことを知っていたからに違いない。)



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15章
後に、神エホバの言葉が幻の中でアブラムに臨んで「わたしはあなたの盾になる。あなたの報いは非常に大きなものとなる」と言われた。

アブラムはまだ子がないことを心配していたが、これに対しても「あなたの胤が相続人となる」と言われ、アブラムを天幕の外に連れ出し、天の星空を見せて、アブラムの子孫も数えきれない程になるであろうと言われた。(この幻は夜のことであった。)

それに対して、アブラムは神エホバに信仰を置いた。
(神エホバの言われることを信じて期待を抱いたということである。
おそらく、疑うということは微塵もなかったに違いない。でなければ、義とみなされることはないからである。)

また、それに対して、神エホバはアブラムを義とみなされた。
(つまり、アブラムの態度を「良い」と思われたということである。
この時はまだ、割礼を要求されていなかった。)

更に、この地(カナンの地)を所有させるためにウルから導き出したとも言われた。

(後に、イスラエルの子らに、繰り返し、「エジプトから導き出した神である」ということを告げているが、同じことで、他の神々と区別するためであった。

この当時、既に、人々は様々な神々を崇拝していたことも分かる。)

 

(これは、テラと共にウルを出る時に、既に神エホバの導きが始まっていたことを示している。
実際に神エホバのみ使いがアブラムに現れたのはハランであったので、そうなる前から神エホバはアブラムを良く観察していたということである。)

それに対し、アブラムは何によってそれを知ることが出来るのかと尋ねた。

それに対して、神エホバは三才の雌牛と三才の雌やぎと三才の雄羊とやまばと取るように指示され、
それをその通りに実行した。(おそらく、初めての犠牲であったと思われる。)
(準備のために、おそらく、朝から夕方までかかったと思われる。)

夕方になり深い眠りがアブラムを襲い、恐ろしいほどの濃い闇がアブラムの上に襲って来た。
それから、神エホバはアブラムに「あなたの胤は自分たちのではない土地に外国人として400年の間
苦しめられるが4代目に多くの貨財を携えてここに戻って来ると言われた。
(実際には、5代目と考えられる。なぜなら、4代目の殆どは荒野で皆死んでいるからである。

彼らも含めて4代目かも知れない。記録がないので確かめようがない。)

その理由をアモリ人のとががまだ満ちていないからだと言われた。
(これは、とても興味深いことである。
なぜなら、悪人を滅ぼすにしても、とがが満ちるまでは何もしないということを言っているからである。

イスラエルの滅びに関しても、その回復に関しても、メシアの登場と死に関しても、すべて時が満ちるまでは何もしないことを明言されたのである。

アモリ人のとがが満ちることで、彼らを滅ぼしその地を清いものとするという意味合いもある。   また、アモリ人はその地に住んでいた時アブラムと同盟を結んでもいた。

後に、ソドムとゴモラが滅ぼされる直前、アブラムは10人の義人がいても滅ぼすのかと尋ねた時に10人のために滅ぼさないと言われたことから、

神の裁きで善人が死ぬことはないことも示している。

おそらく、一人でもいれば滅びを実行されないかその者を別の場所に移動させてから滅ぼすと考えられる。

エジプトを出て間もなくイスラエルが罪を犯し40年荒野を旅することになった時にも、ヨシュアとカレブの二人だけはカナンの地に入ることを許された。

モーセでさえ一度の罪のために入ることは許されなかった。
まさに、神エホバはすべてのことにおいて完全な方であることを示している。) 

日が沈んで濃密な闇がやって来た時、二つに切り裂かれたもの間を煙る炉と燃えるたいまつが通った。
(これにより、アブラムは神エホバの約束がその通りになることの確信を得たに違いない。) 

この日、神エホバはアブラムと「約束の地」に関する契約を結んだと記されている。
(アブラムが86才以前のことである。BC1932以前のこと。ハランを出ておよそ11年目の出来事。)
(この時も、まだ、割礼を要求されていなかった。)

(参考:おそらく、40は個人を清める期間で、400は集団や組織などを清める期間と考えられる。
また、42か月、3年半、1260日(42×30)は、聖なる者が殺され復活するまでの期間と関係がある。
七つの時、七つの会衆への手紙、七つの封印、七つの災厄、七つのラッパ、七つの鉢など、
3.5×2=7は、神エホバが最終的にご自分の目的を完了されるまでの期間であり、その途中はそのことの兆候、しるしとなる。)

 

(参考:「すべて時が満ちるまでは何もしない」という神エホバの考えは「一貫」しいる。

大洪水、ソドムとゴモラの滅び、イスラエル国民の流刑を回復、AD70年のユダヤ人の滅びと拡散、

そして、事物の体制の滅び。

これらはすべて「時が満ちるまで何もしていない」のである。

ただし、事物の体制の滅びに関しては、その前に何度も「しるし」を生じさせ、人類が気が付くようにされている。

ある意味これは「例外」と言えるかも知れない。)


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16章
カナンの地に住んで10年の終わり、サライがエジプト人のはしためハガルを妻として与え(つまり、妾とした)、ハガルは妊娠した。

そのため、ハガルはサライを侮るようになり、サライはハガルを辱めた。
それで、ハガルはサライの元を逃げた。

シュルに至る道にある泉のところで、エホバのみ使いがハガルを見つけ「あなたの女主人の元に帰」るよう告げた。

更に、「あなたの胤を大いに増やす」「あなたは男の子を産むが、その名をイシュマエルと呼ばねばならない」「(イシュマエルは)しまうまのような人とな(る)」と言われた。(この時、エホバのみ使いは人の姿をして現れたのである。昼か夜かは不明。)

(しまうまは、頑固で発情期には雌を駆り立てる強い衝動を持つ性質がある。)

それで、その泉、つまり井戸はベエル・ラハイ・ロイと呼ばれカディシュとベレドの間にある。

後に、ハガルは男の子イシュマエルを産んだ。
アブラムが86才(BC1932)の時だった。

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17章 契約履行とイサクに対する宣言。
イシュマエルが生まれてから13年後、アブラムが99才の時、再び神エホバはアブラムの前に現れ
わたしの前を歩んでとがのない者であることを示しなさい」と命じられた。
(これは、エホバの指示に従うこととエホバの目に悪いとされていることをしてはならないということである。)

更に、「わたしとあなたとの間に自分の契約(エホバご自身の契約)を設けて、あなたを非常に多く増えさせる」とも言われた。

「わたしの契約はあなたに対するものであり、あなたは必ず国々の民の父となる」「あなたを幾つもの国民(部族)とならせ、王たち(サウル、ダビデ、ソロモン・・・)があなたから出る」と宣言された。

(この契約は、いわゆる片務契約という「一方的な契約」であることが分かる。
神自らが自分に契約を課したのである。)

又、名前をアブラハムとするように言われた

更に、この契約はアブラハムの胤との契約として履行し、アブラハムの胤に対し、「わたし(エホバ)が神であることを示す」と言われた。

(アブラハムの名には国々の父多くの者の父という意味がある。)

そして、「カナンの全土を所有として与え、わたし(エホバ)がアブラハムの胤に対して神であることを示す」と宣言された。

二度繰り返されたということは、必ず、そうする、あるいは、そうする、つまり実現するという神の宣言である。

更に、「あなた(アブラム)もあなたの胤も、わたしの契約を守るように」と言われた。

一つは、男子は皆生後八日目に割礼を受けなければならないと言うことであった。
(この時、初めて、割礼を要求された
割礼の意味は、約束を守るという「個人」的な意思表示である。
つまり、人が割礼を守ることで、エホバも約束を守ると言っておられるのである。)

次いで、サライの名をサラとするように言われ、サラによって男の子を与えると言われた。
それに対して、アブラハムは「90才にもなる女が子を産むだろうか」と言ったが、
それでも、サラは本当に男の子を産み、その子をイサクと呼ばなければならないと告げた。

更に、イシュマエルに対しても、非常に多く殖えさせ、必ず十二人の長を生み出し、大いなる国民にならせると言われた。

しかし、エホバの(アブラハムに対する)契約はイサクとその胤に対して立てると宣言された。

(この時、イサクはまだ誕生していなかったのである。)

話を終えた神(人の姿をしたみ使い)はアブラハムの元から(天に)上って行かれた。
(おそらく、イエスが天に上られた時と同じようだったに違いない)

アブラハムはその日のうちにすべての男子を集め包皮の肉の割礼を施した
この時、アブラハム99才(BC1919)イシュマエル13才であった。

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18章 イサク誕生とソドムとゴモラの滅びの予告。
後に、エホバはマムレの大木林でアブラムに現れた。
エホバの使いは人の姿をしていたが、アブラムはその三人がエホバの使いであると悟ったので、その三人をもてなした。(創19:1)
(あるいは、見知らぬ旅人をもてなす習慣があったのかも知れない
後に、ロトも同じことをしている
このようにすることで、旅人から多くの情報を得ていたと考えられる。)

その内の一人が「来年この時期にわたしは必ず戻って来る。その時サラに男の子が出来る」と告げた。

二度目である。つまり、同じことを二度言われたということは、必ずそうなるということである
同じ年に二度繰り返されたのである。)

(この時、アブラハムは99才、サラは89か90才と思われる。)

その後、アブラハムは、三人を送り出したが、その内一人(エホバのみ使い)はアブラハムのところに留まって「アブラハムは必ず大いなる強大な国民とな・・る」と再度断言された。

更に、エホバがアブラハムを親しく知ったのも、アブラハムが自分の子らと家の者たちにエホバの道を守らせ、義と公正を行わせるためであり、エホバがアブラハムについて語った事柄を必ず彼の上に来たらせるためであると言われた。

(これは、エホバがご自分の目的のために、ノアを選んだようにアブラハムを選んだということである。ノアは義人と言われていたが、後にアブラハムは神の友と言われているほど親しい関係、信頼していた関係であったことが窺われる。

神エホバはアブラハムの性格を見抜いて用いられたのである。後の、ヨセフやモーセと同じである。)

更に、
「ソドムとゴモラについての苦情の叫び・・(が)大きく、彼らの罪がまことに重い」その通りか確かめるために下って行こうとしていると言われた。

(「それについてわたしに達した叫び」と示されていることから、
人の祈りに関しても、叫びに関しても、エホバに達するということは、

エホバがそのことに関心を示されたということである。

ということは、逆に、達しない「声、祈り、叫び」もあるということを示唆している。

この点、イエスは、弟子たちに「わたしの名によって求めるものは何であっても、わたしはそれを行います」とイエスは、弟子を選び任命したのは自分であり、それは「あなた方がわたしの名によって父に何を求めても、父がそれをあなた方に与えてくださるためです」と言われた。

(天の神エホバに対して苦情の叫び声をあげたというのではなく、その地に住む人々の声に、神が耳を傾けられたということである

立場の低いものの訴え(箴21:13)が参照されているということは、
ソドムとゴモラに住んでいて、その地の人々に対して苦情の叫びをあげていた人がいたと思われる。

更に、後に、ペテロはロトについて、

「この義人は日々彼らの間に住んで、見聞きする事柄により、その不法な行いのゆえに、自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていた」と述べている。

つまり、エホバはロトの声に耳を傾けられたということである。

祈りに関する、二つの例は、

1 義なる者の祈りが聞かれるということ
  イエスの名によって祈ることで聞かれること
2 地上の人々の苦悩の叫びに耳を傾けられること
を示している。

(参考:誰しもが分かるように、祈れば誰の祈りでも、どんな祈りでも「聞かれる」訳ではないのである。)

悪魔について、日夜キリストの兄弟たちを訴える者と言われていることから、

神エホバに対する訴えに関しては、悪魔とその使いたちが関心を示すのは忠実な者たちに対するものだけである。

従って、悪魔や悪霊たちは地の災いなどに関してエホバに訴えることはない。啓21:10

おそらく、神エホバに忠実なみ使いたちは、状況について嘆いたり神エホバを誉め称えたりする以外自分の思いや感情を出すことはないので、忠実なみ使いたちは、むしろ、エホバがそれをどのようにされるのかを注視しているのである。

み使いたちがエホバに向かって、「地上の事柄」に関して、何とかしてくださいなどとは言うことはないのである。)

又、アブラハムとの問答の中で、ソドムとゴモラの中に10人の義人がいても滅ぼすことをしないと言われた。 

(興味深いのは、神エホバはすべてをご覧になり、すべてをご自分で決定するだけではないことを示している。

つまり、人の訴えや願いを聞かれる神であることを示している。

しかし、だからと言って、人の願いを何でも聞かれる訳ではないことも明白である。

神は完全な方なので、人間の誤った、また、利己的な祈りを聞かれることはないのである。

神エホバのご意志に叶う祈りしか聞かれないのである。

個人的な祈りでも神のご意志に叶うものであれば聞かれる。

しかし、それでも、人間の考えている通りではなく、神の考えの通りにである。

なぜなら、神エホバは完全な方なので完全な形でしか物事を行わないからである。

また、祈っても悪魔とその使いたちの妨害がある場合もある

それは、時には信仰を試されているということもあるのである。

誘惑、忍耐、試練、忠実、忠誠などが関係している場合は尚のことである。)

(参考:
アダムとエバが善悪の知識の木の実を食べたとき、善悪を知る点で私たちのひとりのようになったと記されている。

つまり、み使いたちも何が善か悪を知っているということである。

人は、何が善で悪かを知っているので、悪を行うことはそれが悪であることを知っていて行っているとも取れる。

したがって、悪を行う人には情状酌量の余地はなく、すべて自分の責任であるということである。

善悪を教えられていない幼子でさえ本能的に善いこと悪いことを知っている

善悪の基準に関しては、人は本性として生まれた時から植え付けられているのである。)

(アブラハムがエホバと問答をしたのは、その地域にロトが住んでいたからかも知れない。
6回も申し出ている。
これは、正しいことを繰り返し申し出ても悪いことではないことの例でもある。

更に、神エホバが罰を加える基準も示されている

つまり、人数は分からないが、その地域に10人でも義人がいれば滅ぼされないということかも知れない。

ノアの大洪水の時には8人だけが救われた。

後に、ソドムとゴモラが滅ぼされた時には4人だけが救われたが一人は後ろを振り返ったので塩の柱になってしまった。

このことは、その後その地域が塩の海になった理由かも知れない。

したがって、
将来、事物の体制の滅びがもたらされる時にも、救われるべき人々を救ってから滅ぼされると考
えられる。

なぜなら、神エホバは完全な方なので悪人の滅びの巻き添えで義人の一人をさえ死なせることをされないからである。

仮に義人が死んでも、将来復活という形で救われるかも知れない。

しかし、神エホバの裁きと滅びは完全であられるから一人の義人が死ぬことも、やはり考えにくい。)

19章に続く。