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内容と解説
19章 ソドムとゴモラの滅びとロトの救出。
二人のみ使いがソドムに着いた時ロトは門の中に座っていた。
二人を見かけると立ち上がって自分の家にしきりに招き入れ宴を設けた。
(ロトは二人が神の使いであることを見て悟ったと思われる。
アブラハムも直ぐにそれと悟っていた。
このことから、神の使いは外見から見れば分かるものだったかも知れない。
全身を覆う頭巾がついた白いマント=ポンチョのようなものを着て身長より長い杖を持ち長い髪をし髭を伸ばしていたと思われる。サンダルを履き体はがっしりしていて30-40才ぐらいだと思われる。)
二人が横にならない内に、都市の男たちが押し寄せ二人と交わり持てるようにさせてくれとロトの家を取り囲んだ。
そのため、ロトは自分の娘と引き換えに二人に何もしないようにと申し出た。
(ロトは押し寄せて来た男たちが性的関係を望んでいたことを知っていたので二人の娘を差し出すと言ったと思われる。
つまり、押し寄せて来た男たちは性的異常者たちだったのである。)
しかし、男たちは聞き入れず家の中に入ろうとした。
その時、み使いの一人がロトを家の中に引き入れ戸を閉じた。
その一方で入り口にいた男たちを皆盲目にならせた。
それから、ロトにこの都市を滅びに至らせるのでロトに属する者たちをここから連れ出すようにと言った。
それで、二人の娘たちを娶ることになっていた婿たちに、エホバはこの都市を滅びに至らせようとしているので立ってここから出るようにとしきりに言ったが二人は信じなかった。
(二人の婿はロトが冗談を言っているように見えたとあることから、都市の状態が、滅びの兆候が全くなかったことを示している。
つまり、突然、いきなり滅ぼされたのである。
ノアの大洪水の時も、人々は警告を与えられていたと思われる(ヘブ11:7)がノアが箱舟に入る日まで変わらぬ生活をし洪水が来て流し去るまで注意しなかった(マタイ24:38-39)とイエスは言われた。
しかし、ソドムとゴモラの場合はいきなりだった。)
(ロトの家に押し寄せて来た男たち、つまり、倒錯した男たちは都市の中の一部であったことが窺われる。
おそらく、婿たちは押し寄せてはいないし、普通の男だったと思われる。
「ちょうどロトの日に起きたとおりです。人々は食べたり、飲んだり、買ったり、売ったり、植え たり、建てたりしていました」とイエスは言っておられる。-ルカ17:23)
夜明けになると、二人のみ使いはロトをせき立てたがロトが戸惑っているので「エホバの同情のゆえにロトとロトの妻と二人の娘の手をつかみ」、都市の外へ連れ出した。
その時、み使いの一人が彼らに「自分の魂のために逃げよ。後ろを振り返ってはいけない。山地に逃
れよ」と言った。
それに対して、ロトは、災いが迫っているので山地までは逃げられないので近くの都市に逃げさせて
下さいと願った。
それに対して、み使いはあなたに配慮を示してその都市は覆さないと言われた。
(ここでも、願いを聞き入れている。)
そのためロトはその都市の名をゾアルと読んだ。(ゾアルはソドムから7㎞程南にある低地平原にある都市である)
ロトがゾアルに着いた時には夜が明けていた。
その時、エホバは天から硫黄と火の雨をソドムとゴモラの上に降らせその地域全域とすべての住民と植物も覆された。
しかし、ロトの妻は後ろを振り返るようになり、遂に、塩の柱となってしまった。
(おそらく、ロトの妻は一度だけではなく何度も振り返ったと思われる。
また、なぜ、塩の柱なのかは分からない。
雨や風などでいずれ消滅することを意図されていたか、溶けて死海に流れ込むようにされたのかも知れない。)
一方、アブラハムは前日にみ使いたちと会った場所に朝早く出かけてソドムとゴモラとその地域を見下ろすと黒い煙が立ち上っているのを見た。
神がソドムとゴモラを滅びに至らせた時、「アブラハムのことを思いに留めて」ロトを救われたと記されている。
後にロトはゾアルに住むことを恐れ山地の洞窟に住むことにした。
その後、ロトの二人の娘は関係を持つ男がいなかったため、ロトをぶどう酒に酔わせ酔っている間に
ロトによって妊娠し二人とも男の子を産んだ。
一人はモアブと呼ばれモアブの父となり、もう一人はベン・アミと呼ばれアンモンの子らの父となった。
(ロトはぶどう酒を飲む習慣があったと思われる。
参考:ぶどうを育てるか、羊を飼うか、小麦を育てるかが主な仕事であったと思われる。
小麦と羊はカインとアベルの時からであるがぶどうは大洪水後ではノアが最初である。)
(後に、モーセに率いられたイスラエルがモアブとアンモンの土地に差し掛かった時、エホバはそ
の地をロトの子らに与えたので彼らと争ってはならないと言われた。
これは、ロトの子たちもアブラハムと同様にエホバの恵みを得ていたことを示している。
子の誕生のいきさつは問題とはしていない。
後にユダが息子の嫁だったタマルによってペレツを産みイエスの家系となった時にも問題とはしていない。
つまり、状況によっては、一見して良くないと思われがちなことも、エホバは容認されるということである。
しかし、ダビデの場合はバテシバとの関係で最初の子は死んだが、ソロモンはダビデの後継者として王となり、イエスの家系にもなっている。)
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20章
アブラハムはヘブロンからカディシュとシュルの間に住まいを設けゲラルに外国人として住むように
なった。カナンの地からネゲブの地へと移り住んだ。
(おそらく、アビメレクの支配地はカナンからネゲブにかけて広かったと思われる。
カディシュの近辺に羊の放牧を移したと思われるが、もしかすると、サラは、ゲラルの家に住み、アビメレクが召し入れたと思われる。)
ゲラルではエジプトと同じくサラを自分の妹だと言った。
そのためその地の王アビメレクはサラを召し入れたが、神が夢の中でサラの故にすでに死んだも同然だ、サラはすでに人妻だからと告げた。
それに対して、アビメレクは「二人は兄妹だと言いませんでしたか。わたしは正直な心、潔白な手で召し入れたのです」と言った。
それに対して、まことの神は夢の中でアビメレクに対して「わたしとしてもあなたが正直な心でこれ
を行ったことを知っていた。
だから、あなたをとどめてわたしに対して罪を犯させないようにしていた。
サラを返しなさい。
アブラハムは預言者でありあなたのために祈願をしてくれるであろう。
もし、返さないならあなたもあなたに属するすべての者も必ず死に至る」と言われた。
(ここで、初めて、エホバはアブラハムのことを預言者であり、祭司であると言われた。)
それで、アビメレクは朝早く起きてアブラハムを呼んでなぜ妹だと言ったのかと問い正した。
それに対して、アブラハムはエジプトの時と同じ返答をした。
その後、アビメレクは羊、牛、下男、はしためをアブラハムに与えサラを返し、自分の目に良いと思えるところに住んで良いと言われた。
それで、アブラハムはまことの神に祈願を捧げ、次いで、神はアビメレクとその妻たちと奴隷女たち
をいやしたので、女たちは子を産むようになった。
サラのことでアビメレクの家のすべての胎を閉ざしておられたからであった。
(飢饉のためエジプトへ行った時には、ファラオに大いなる災厄をもたらし、その原因がサラにあることを、おそらく、神は夢の中で告げたと思われる。
ネゲブでは、アビメレクの家の者たちの胎を閉じられ、その原因がサラにあることを、同じく夢の中で告げた。
アビメレクがエホバの崇拝者であったかどうかは不明。
いずれにしろ、エジプトとネゲブでの二つの類似した出来事は、共に、アブラハムの貨財を増やす原因ともなったことは事実である。)
(参考:後に、イサクもこの地で同様のことをしているが、この時の王もアビメレクであった。
これは、アビメレクは個人の名前ではなく、ファラオと同じ称号だったと考えられる。
そうでなければ、アビメレク二世と名乗っていたはずである。)
(神エホバはアビメレクにアブラハムのことを預言者だと告げたことや祈願をしてくれるであろうと
いうことから、アブラハムは神の代弁者たる預言者であり、かつ、祭司でもあるということを神エホバ自らが示されたということである。
参考:メルキゼデクは王であり、祭司であった。イエスはこのメルキゼデクに例えられている。)
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21章
サラは妊娠し男の子を産み、名をイサク(BC1918)と呼んだ。
(神エホバの約束通り、男の子が生まれた。後のイエスも同じであった。)
生後八日目に割礼を施した。
この時、アブラハムは100才であった。
イサクが乳離れする日に宴を催した。
(5才になった頃、アブラハム105才、イシュマエル19才)(BC1913)
(乳離れする時に宴を催す習慣があったと思われる。)
その頃、イシュマエルがイサクをからかっていた(400年の苦しみの始まり)
(単なるからかいではなく、いじめだったと思われる)
そのため、サラはハガルとイシュマエルを追い出すようアブラハムに告げたが、アブラハムは非常に
不快に思った(これは、アブラハムは息子イシュマエルを息子として大事にしていたことを示してい
る。)
だが、神エホバは、サラの声を聞き入れよと命じられた。
その時、神エホバは「アブラハムの胤はイサクを通して来るが、イシュマエルについても一つの国民とし、アブラハムの子孫とする」と言われた。
それで、アブラハムはハガルとイシュマエルにパンと水を与え送り出した。
二人がベエル・シェバの荒野をさまよい、ついに水がなくなった時、声を上げて泣き始めた。
(この時、ハガルはイシュマエルを茂みの下に投げ出したとあるので、イシュマエルは病気か死にかけていたと思われる。今で言う熱中症だったかも知れない。)
すると、そこに神エホバのみ使いが天から呼びかけて「恐れてはいけない。わたしはイシュマエルを大いなる国民にする」と告げた。
その後、神エホバはハガルの目を開けたため、ハガルは井戸を見つけ皮袋に水を満たしイシュマエルにも飲ませた。(おそらく、この水でイシュマエルは元気になったものと思われる。)
神エホバは引き続きイシュマエルと共におられ、イシュマエルは成長し、ずっと荒野に住んでいた。
イシュマエルは弓を射る者となり、パランの荒野に住むようになった。そして、ハガルはイシュマ
エルのためにエジプトの地から妻を迎えた。
その頃、アブラハムとアビメレクは互いに偽りはしないで忠節な愛を持って行動することを誓った。
しかし、アビメレクの僕たちが力づくで井戸を奪ったのでアビメレクを厳しく批判した。
アビメレクはそのことを知らなかったしアブラハムもそのことを私に言わなかったと返答した。
それで、アブラハムは羊と牛を与え、(互いの誓いの)契約を結んだ。
それとは別に、アブラハムはアビメレクに七匹の雌の子羊を与え、その井戸はアブラハムが掘った
という証とするという誓いを立てた。
そのため、アブラハムはその場所をベエル・シェバと呼び、後にその場所に「ぎょりゅうの木」を
植え、神エホバの名を呼び求めた。
そして、アブラハムはその後もフィリステア人の地に外国人として留まった。
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22章 イサクを犠牲として捧げる(これは、神エホバの独り子イエスの犠牲を予表していた)
(おそらく、この頃アブラハムはカディシュからベエル・シェバに移り住んでいたと思われる。
なぜなら、ハガルがどこへ行けばよいか分からずベエル・シェバの荒野をさまよっていたから。)
後に、神エホバはアブラハム(125才、イサク25才、BC1893)を試みられた。
モリヤの地を旅して、エホバが指定する山の上で焼燔の捧げ物をするようにと命じた。
(モリヤはベエル・シェバからは北東約70㎞、ヘブロンからは北東約30㎞のところで、エルサレム
と呼ばれている)
そして、イサクの手と足を縛って祭壇の上に寝かせ、屠殺用の短刀でイサクを殺そうとした。
その時、エホバのみ使いが天から呼びかけ「イサクに手を下してはならない。あなたが一人息子さ
えわたしに与えることさえ差し控えず、神エホバを恐れる者であることをよく知った」と言われた。
それから、一頭の雄羊が藪に絡まって動けないでいるのを見つけ、イサクの代わりに焼燔の捧げ物
として捧げた。
アブラハムはその場所をエホバ・イエルと呼ぶようになった。
(エホバ・イエルとはエホバの山でそれは供えられるという意味である。)
更に、その時、エホバのみ使いが天から再度呼びかけて、
「わたし自らにかけてまさに誓う」とお告げになり、「あなたがひとり子をさえ与えることを差し
控えなかったので、わたしは確かにあなたを祝福し、あなたの胤を確かに増やし天の星のように、
海辺の砂粒のようにする。
あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。
あなたの胤によって、地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。
あなたがわたしの声に聴き従ったからである」と言われた。
(神エホバは、この時初めてアブラハムに「敵」がいることを知らせた。
敵とは悪魔のことである。ヘブライ2:14
敵の門とは、地の果て、つまり、全地のことである。詩2:8
つまり、エホバのこの宣言は、アブラハムの胤が全地を治める王国となることを示している。
-ダニエル2:44
悪魔は事物の体制の神と呼ばれていることから、世の王国は神とキリストの王国となったという啓示11:15と合致する。
創3:5の女の胤がアブラハムの胤でもあり、そのアブラハムの胤が敵の門を手に入れる、つまり、アブラハムの胤が敵を征服するとという意味ではなく、敵の門を手に入れると言われたのである。
そして、アブラハムの胤の支配により、地のすべての国民が自分の幸福や恵みを祝うだろうと言われたのである。)
そして、アブラハムはその後もベエル・シェバに住んだ。
こうしたことがあってから、ミルカも兄弟ナホルに息子たちを産んだと知らせが届いた。
モリヤ山(エルサレム)の概略図
(小高い丘で回りは谷で囲まれていた)
(参考:アブラハムはほぼ25年置きに契約を繰り返し告げられている。
75才、99‐100才、125才の時に。
三度目に初めて「敵」という言葉が出てきた。
しかも、三度目には「約束の地」に関しては何も語ってはいない。
これは、イサクの犠牲と関係があると思われる。
つまり、神エホバご自身でアブラハムの胤と女の胤とを結び付けられたのである。)
(参考:イスラエルとイスラムは関係がある。
ムハンマド→アラー→コーラン(AD570年頃)
イスラム教は、モーセの律法と比べて新しい宗教である。
イスラム教は、モーセの律法の都合の良いところだけを抜き出したとも考えられる。
更に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つは深い関係にある。)
(参考:ナホルとハランはハランに残って住み続けた。
ハランはテラ一行がウルから移り住んだユーフラテス川上流地域である。
現在のシリア地域でチグリス川と挟まれた土地と考えられる。
系図を見ても分かるように、自分の先祖に属する一族からのみ結婚をしていたことが分かる。)
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23章
その後、サラは127才で死んで、カナンの地のマムレつまりヘブロンにあるマクペラの畑地の洞窟
に葬られた。
(BC2008-BC1881、イサク37才、アブラハム137才、サラはアブラハムより10才年下であった)
そこは、アブラハムがヒッタイト人エフロンから銀400シェケルで買った畑地と周囲の中にある。
そして、それはヘトの子らの前でアブラハムの資産として固く定められたのである。
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24章 イサクに嫁を迎える。
その後、アブラハムは自分の僕ダマスカス人エリエゼル(創15:2)に、ハランとウルにいる親族の
中からイサクの妻を迎えるようにと指示した。
カナンの地の娘からは迎えてはならないと言った。
(これは、将来、カナンの地が神によってアブラハムの胤に与えられるからであり、その地の人々と姻戚関係を結ぶことは神の契約に反することを理解していたものと考えられる。
さらに、カナンの地では偶像崇拝が行われていたことも、カナンの娘を避けた理由と思われる。)
もし、イサクの妻となる女が一緒に来ることを望まない時には、イサクをハランかウルに戻しては
(行かせては)ならないとも言った。
そこで、その僕はメソポタミアのナホルの都市(ハラン)に行った。
(メソポタミアとは、ユーフラテス川とチグリス川に挟まれた地域一帯のことであり、そこには、
バビロンもウルもハランも含まれている広大な土地であった。
その地に住んでいる人々はカルデア人と呼ばれている。)
夕刻、都市の外にある井戸に女たちが水を汲みに来ることを知っていたので、その僕は神エホバに、
イサクの妻を選んで下さりそれが誰なのか分かるようにして下さいと祈った。
するとそこにベトエルの娘リベカが現れ、僕が祈った通りのことが起きたので、直ちに、神エホバ
に感謝の祈りをした。
そして、リベカには金の鼻輪と二つの腕輪を与え(いわば、しるしとした)、父ベトエルと兄ラバ
ンと会い事の一部始終を話した。
すると、二人はリベカがイサクの妻になることに直ちに同意し、リベカも同意した。
二人はリベカと乳母デボラ(創35:8)を送り出す時に、「リベカの胤が増え、その胤を憎む(敵対
する)者の門を手に入れるように」と祝福した。
(これは、二人がアブラハムの胤に対する神エホバの約束を知っていた訳ではなく、
ただ、リベカの幸福を願ってのことだと考えれる。
憎む者の門とは、その者の土地という意味である。創22:17)
その時、イサクはネゲブに住んでいたが、夕方になるころ静かに思いを巡らしていた。
ベエル・ラハイ・ロイ(ハガイがサラの元から逃げた時、シュルに至る道にある泉(井戸)でエホ
バのみ使いと出会った場所、カディシュとベレドの間にあるところ)に通ずる道に来た時、リベカ一行に出会い、アブラハムの僕は自分の行ったことのすべての事柄を詳しくイサクに話した。
その後、イサクはリベカを母サラの天幕に連れて行って妻とした。
(イサクはアブラハムとは離れて暮らしていて、妻の話は聞いていなかったと思われるが、エリエ
ゼルの話を聞いてリベカを受け入れたと考えられる。
おそらく、母サラの天幕は「主」がいない状態であったと思われ、そこに連れて行ったと思われる。)
アブラハムはベエル・シェバに、イサクはネゲブのベエル・ラハイ・ロイに住んでおり、この間の距離は約70㎞あり、ベエル・シェバはベエル・ラハイ・ロイの北東の方向である。)
したがって、リベカ一行がイサクの元に来るまでに、アブラハムの住んでいる所を通っており、もし
かすると、アブラハムとリベカは会っていたかも知れない。)
この時、イサクは40才(アブラハム140才、BC1878)であった。
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25章
アブラハムはその後妻ケトラを迎えた。
後に、アブラハムはケトラの子らをイサクの元から去らせ東方の地へと行かせた。
その後、アブラハムは175才で死んだ(BC1843、イシュマエル89才、イサク75才)
イサクとイシュマエルはサラが葬られたヘブロンにあるマクペラの洞窟にアブラハムを葬っ た。
イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住んでいた。
イシュマエルの歴史。
イシュマエルの子らは、エジプトの前のシュルに近いハビラからアッシリア迄の間で幕屋に住んでいた。広大な地域である。
イシュマエルは、そのすべての兄弟たちの前に住み着くと預言され、その通りであった。
-創16:12
パランの荒野で弓を射る者であった。
イシュマエルは137才(アブラハムが死んでから48年後、BC1932-BC1795)で死んだ。
(イサクがリベカと結婚をしてから83年後)
イサクの歴史。
イサクとリベカが結婚したのは、イサクが40才の時であった。
(アブラハム140才、BC1878)
イサク60才の時、エサウとヤコブの双子が産まれた(BC1858)
エサウは狩りをする人で、ヤコブはとがめのない人で天幕に住んでいた。
イサクはエサウを、リベカはヤコブを愛していた。
イサクがエサウを愛したのは、肉の煮物をイサクにもたらしたからだと記されている。
ある時、エサウが野から戻って来た時、空腹で死にそうだったため、ヤコブのもとにあった食べ
物を食わせてくれと言った。
それに対して、ヤコブは、先ず長子としての権利を売ってくれと言い、エサウはそれに対して、
誓った。
それから、ヤコブは、エサウにパンとひら豆の煮物を与え、エサウはそれを食べたり飲んだりし
た。
こうして、エサウは長子の権を軽んじた。
(エサウは獲物を獲って来たとしても、料理をするには時間が掛かるので、ヤコブに直ぐに食べら
れるものを求めたと考えられる。)
(エサウは生まれつき、赤毛で毛深かった。それで、赤を意味するエドムとも呼ばれた。)
二人がリベカの胎内にいる時から争っていたため、リベカはエホバに尋ねたところ、
「二つの国民があなたの内から出、年長のものが年下の者に仕えるであろう」と告げられていた。
(イサクは、アブラハムが死んだ後も、ネゲブのベエル・ラハイ・ロイの近くに住んでいたと思われる。)
26章に続く。