知恵を求める人のためのブログです。
人は相手に、本当の「愛」を抱いていれば、
無償で「相手の思いを汲み取り、また、して欲しいと思うこと」をするものです。
外国人については分かりませんが、
おそらく、
現代の日本人男性の殆どは、
肉体の欲求に負けて「ただ性的関係」を求めて女性を見たり近づいているとさえ思うような世の中になっています。
一方女性は、
性的関係も嫌ではないのですが「十分信頼し気が許せる」ようになるまでは「したくない」のです。
つまり、
その人の子供を産みたいと思うまではしたくはないのです。
それまでは、
楽しい関係、親しい関係を望んでいるのです。
**************
勿論、スキンシップを求めることもありますが、
この点男性と女性では「異なる」のです。
もし、女性がスキンシップを求めると、
男性は「セックスと直結して考える」かも知れません。
女性が求めているのは、
スキンシップであって、必ずしも「セックス」ではないのです。
こうした点で「思い違い」をしている男性は多いものです。
+++++++++++++
あるいは、
経済的に安定している人を求めているかも知れません。
生活のためです。
つまり、自分を養ってくれる人を、それも、自分の思うことをしてくれる男性を求めている場合もあります。
男性は「家族のために働くことを当然」と考える傾向にありますから、
男女関係に於いて、男性は仕事に関しては、自分ではあまり意識をしないものです。
+++++++++++++
今の世の中の男女関係を見ていると、
必ずしも「愛情」を抱いているようには見えない場合も多いものです。
勿論、
直接聞いた訳ではないので、あくまでも「外見」やニュースによる印象ですが。
愛情表現には、
基本的には4種類あると言われています。
異性間の愛(エロス)
家族の愛(ストルゲー)
無私の愛(アガペー)
友情の愛(フィリア)
相手に求める愛もあれば、
相手に与える愛もあります。
++++++
また、何かをしてくれた人に対する「気持ち」「感謝」を愛情と考えている人もいます。
こうした人は、相手が自分の望むことをしてくれなくなると、逆に「憎む」ものです。
こうした関係を「愛」と言えるかどうかは疑問です。
むしろ、
商売人か売春婦のようにさえ思えます。
銀座のホステスと何ら変わりはないのです。
++++++
個人的には、
無私の愛以外は、皆利害で結びついた関係と見なしています。
家族に於いてもです。
無私の愛は、相手に何かを求めることはしません。
相手が欲していることに応じるからです。
ただし、
これは、いわば、奴隷的になり易く悪い事柄に関しても言えるものです。
日本人は外国人に比べて、
この「無私の愛」が強いように思います。
外国人は、常に利害関係で結ばれているからです。
常にそういう見方、考え方をする「習慣」「遺伝子」を持っているからです。
これは遊牧民族的な「遺伝子」です。
そうしないと「生きて行けない」からです。
「ああ、無情」の小説の主人公のような関係は、
ジャン・バルジャンとコゼットの義理の親子関係は、
ヨーロッパでは珍しいのです。
養子を取るにはそれなりの理由があるのです。
ジャン・バルジャンのコゼットに対する愛情は、
利他的で無私の愛そのものです。
+++++++++++++
もっとも、これは物語ですが。
この物語の本質は「体制批判」です。
フランスの市民革命の、いわば、時代の転換期を表したものなのです。
アメリカは多民族国家ですから、
多種多様です。
いろんな人がいる珍しい国家です。
中国人は、
知恵と利害で結ばれた関係です。
ロシアもソ連で分かるように多民族国家でした。
必ずしもロシア人だけではないのです。
しかし、
ロシアは権力で国民を抑えつけている国家ですから、
ある意味、常に「恐れている」恐怖の国家です。
北朝鮮も同じです。
金正恩は、
何とか世界に追い着きたいと思っている「劣等感の塊」のような人です。
韓国人は、
中国に近いですが、「人に対する恨み」と「愛情」の格差の激しい国民です。
政権は民主国家らしく振る舞おうとしていますが、
利害中心の国家でもあります。
こうした様々な環境で、
人に対する「愛、愛情」を示すことは「容易」ではありません。
脳天気に「自分の思い」に従ってはならないのです。
傷付いたり被害に遭うことも少なくないからです。
ロマンス詐欺なるものが存在していることさえあります。
+++++++++++++
男性女性それぞれに「思惑」があるものです。
この「思惑」のない人は、
人に対して「無関心」なのです。
ですから、
男女関係や人間関係に「無関心」な人を見たなら、
異性に対しても「思惑」のない人と見なしても「良い」のです。
こうした人は、
出世やお金を儲けることや財産を築くことなどしか「関心」がないのかも知れません。
あるいは、
いわゆる学者のように、
新しい発見や新しい理論や未解決問題の証明などを追求している人かも知れません。
こういう人も世の中には居るものです。
宗教を持っているいないに関わらず、
人間の傾向としてこうしたことはあることです。
人間の傾向の中には「道徳的な悪」も含まれています。
「人の悪が地にあふれ,その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かう」
(参考-創世記6:5)
と言っても、
必ずしも、犯罪だけに「目が向いている」ということではありませんので、
注意力、識別力、思考力などが必要な事柄です。
+++++++++++++
もし、男性だけの社会だと、
武力、知恵、財産、能力、安全、安定、健康、長寿、出世などの立場などが主な関心となるでしょう。
この方が「人間らしく生きている」と言えると思います。
性的欲求も、女性がいなければ「生じない」のです。
一方、
女性だけの社会だと、
生きるためには、ほぼ男性と同じことに関心を持つでしょう。
子供を産む、持ちたいという思いは、
男性がいないと「生じない」のです。
社会を複雑にしている根本原因は、
男女が交わり子をもうけて育てるという「生き方」が生活の中心にあるからです。
こうした男女の交わりのない社会があることを「想像」出来るでしょうか?
中には居るかも知れません。
その人は独身を貫くかもしれません。
他の動物と違って、
人間は、
必ずしも、子孫を残さなければならないという訳ではありません。
残したいと思う人が残せば、それで、十分なのです。
独身のまま死んでも、殆ど問題はありません。
ですから、
世の常識として、
結婚して子供を設ける必要がある、
などと考えなくても良いのです。
生涯独身の方が「責任も軽く」「気儘」な人生を送れることが多いのです。
個人的には、
独身が良いです。
ただ、
お互い助け合う存在、補い合う存在としては「必要な存在」です。
+++++++++++++
昔から、
「一人口は食べられないが二人口は食べられる」ということが言われています。
これは、互いに助け合うことで「生活がし易くなる」ことを言ったものです。
男は仕事に集中し稼ぎ、女は家事をするということで、
いわば、効率的な生活、役割分担を述べたものです。
こうした家族は多いものです。
それでも、
一人で生活が出来るのであれば、独身の方が良いのです。
既に結婚して長い年月を夫婦で暮らして来た人も少なくないですが、
それでも、
独身に戻りたいと思う人も多いのではないでしょうか。
特に女性はそう思うようです。
世に言う「熟年離婚」です。
最近は余り聞かなくなりましたが。
コロナのせいでしょうか?
あなたはどう思いますか?