健康で、問題がなく、
毎日を平穏に暮らしていても、
人は楽しみや憩いを求めるものです。
他の動物にはない事柄です。
誰でも、
憩いや楽しみを求めたことはあると思います。
その楽しみ方は、
人によって千差万別です。
ある人は、
自然に癒しを求め、
別の人は、
他の誰かと親しくなったり共に何かをすることを求めたり、
音楽を聴いたり読書をしたり、
何かを作ったり、
美味しいものを作って食べたり、
運動をしたり、
スポーツをしたり、
ゲームをしたり、
お酒を飲んだり、
温泉に入ったり、
ドライブを楽しんだり、
海辺で海水浴をしたり日光浴をしたり、
ハイキングをしたり、
など様々です。
オフロード用の125~250㏄のオートバイで自然の山野を走り回るのは、
気持ちの良いものです。
健康で元気があれば、
一日を寝て過ごすなどと言うことはありません。
というように、
人は元気だと「能動的な生き物」なのです。
神が人間だけに付与した、
「楽しみ」です。
「楽しみ」は、
日頃のストレスを解消するための手段です。
気分転換でもあります。
人間は、
こうして、時々「リフレッシュ」する必要のある「生き物」なのです。
もし、
人間に「楽しみ」がなければ、
「精神に異常を来す」かも知れません。
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み使いたちには「楽しみ」というのはありません。
み使いたちは、
ストレスを感じることはないからです。
(ただ、
神だけが、
人間との関係で「楽しみ」とするということはあります。
しかし、
人間の「楽しみ」のようなものではなく、
子供が善いことをした時喜ぶ親のようなものです)
しかし、
「ある」み使いたちは、
このような「楽しみを行う人間」を「羨ましく」思ったのです。
人間同士が、男女が愉快に楽しむのを天から眺めるだけだったのです。
(参考:
み使いに、女は存在しません。
なぜなら、
人間や他の生き物のように、
子孫を設ける必要がないからです。
み使いたちは、
永遠の生命体なのです。
人間や他の生き物は、
命を繋いで行く必要のある生き物です。
植物も同様です。
ただ、
細菌やウィルスは、
人間とは異なる生命体で、
もしかすると不滅なのかも知れませんが、
薬品で分解されてしまうこともあります。
細胞と同じく「分裂」によって、増殖していきます)
そして、
あるべき居所を捨てて地上に来て、
人間だけに与えられた「楽しみ」を求めたのです。
それらのみ使いたちは、
悪霊と呼ばれていて、
元の場所に戻ることは許されず、
裁きが下るまで、
いわば牢屋のような所に「留め置かれて」います。
つまり、
犯罪者扱いなのです。
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「楽しみ」を求める点でも、
人間は貪欲さを現します。
「快楽」という言葉があります。
「快楽」の反語は「禁欲」です。
どちらも極端です。
聖書では「神を愛するより快楽を愛する」者となることを禁じています。
-テモテ(二)3:4
この言葉の「言葉じり」を捉えますと、
「快楽を愛する」こと自体は「禁止」されていないということが分かります。
つまり、
神のおきてを守りつつ、
「快楽」を求めても良いということです。
こういうことが出来るのでしょうか?
「快楽」とは、
日本語の意味は、
気持ち良く楽しいこと、欲望が満たされた心地よさ、
と示されています。
ギリシャ語聖書(原語)でも、
この語は「快楽を愛する」「享楽的な」という意味の語になっています。
ですから、
日本語でもギリシャ語でも同じ意味だと理解出来ます。
「快楽」というのは、
ただ楽しいだけではなく、
「陶酔するような気持ち」になるということや、
「快楽にふけり楽しむ」という意味も含まれています。
「快楽」を愛するということは、
この「陶酔感」を求めるということでもあります。
しかし、
神に対するより、
他のことにこのような気持ちになることは「厳禁」だということなのです。
ですから、
「楽しみを求める」ことは「禁止されてはいない」のです。
貪欲になり過ぎないように「注意」しなければなりません。
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エホバの証人たちの、
特に女性たちは料理や衣類や裁縫などに「楽しみ」を求め、
日頃のストレス解消をしている人が少なくありません。
これを仲間内で「定期的」行っている人さえいます。
別に悪いことではありません。
エホバの証人の男性たちには、
女性のような楽しみを行っていることは余り聞いたことがありません。
そんな暇があったら「聖書」を読んで「深く熟考」するべきだなどと言われるかも
知れません。
会衆でレクレーションをすることもあります。
ですが、
これは「余りお勧め」ではありません。
余り、楽しくないからです。
レクレーションが終わった後で、
○○兄弟(姉妹)は・・・だったとか「批判したり噂したり」することが少なくないからです。
「批判や噂」は、「余分」なことなのです。
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「楽しみ」を求めるのは人間だけだと言いましたが、
犬や猫は、
遊んでいる(楽しんでいる)ような「しぐさ」をすることがあります。
猫が動くものに「じゃれたり」
犬がボールなどを加えて「じゃれたり」
このような動作は、
「楽しむ」ためにしているのでしょうか?
答えは「否」です。
こうした「しぐさ」は、
動物的「本能」つまり敵や獲物を捕らえる時の習性なのです。
それを、
人間が勝手に「遊んでいる」などと言っているだけなのです。
もし、
動物で「遊ぶ」ということが観測されるとしたら、
いわゆる、
霊長類に属する動物です。
知能が発達しているからです。
例えば、
猿、ゴリラ、およびこれらに類する動物は、
遊ぶようなしぐさを見せることがあります。
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参考