知恵を求める人のためのブログです。

ものみの塔は信者であるエホバの証人に、

 世のものとならないように

 政治に参加しないように(選挙の投票に行かないように)

と教え、

 それを規則のように「振りかざして」います。

 

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参考 1

クリスチャン・ギリシャ語聖書が書かれた時代は、

ローマの支配下にありましたが、

 ユダヤ人の自治も認められていました。

 ユダヤ人総督の下で統治されていたのです。

ローマから派遣された執政官は、

 ユダヤ人がローマに逆らわない限り手を出すことはありませんでし

 た。

従って、

 ユダヤ人は支配者であるローマの政治に関与することはなかったの

 です。

 

パウロがユダヤ人に告訴された時、

 もし、パウロがローマの市民権を持ち出し、ローマに上訴しなけれ

 ば、

 解放されていたのです。

 

パウロは、

 市民権を利用し、ローマに行き、それによって宣教活動を拡大する

 ことが出来ました。

 これが目的でパウロは市民権を持ち出したのです。

 

つまり、

 権利を利用し宣教の拡大を図ったということになります。

 

勿論、

 パウロは、市民権を利用しローマの政治に直接参加するということ

 はありませんでした。

 

一方、

ヤコブの息子ヨセフは、エジプトで王に次ぐ二番目の地位を与えられ、

 直接政治を行いました

ダニエルも、

 ネブカドネザル王の求めに応じて、

 政治に関与しました。

エズラもネヘミヤもモルデカイもエステルも、

 皆世の政治に関与しました。

 

勿論、

 エホバのご意思や真の崇拝を守るためでもありました。

 

つまり、

 真の崇拝を堅持したまま、政治に関与することは出来るということ

 です。

 

それが、どのような形になるかは分かりません。

エステルのように王妃になることも有り得るということです。

 

ですから、

 全く出来ないという訳ではないということです。

 

参考 2

 選挙で、

 誰かに投票すると言うことは、

  その人を支持していることの表明ですから、

  考えなければならない事柄です。

 

 投票そのものではなく、

 投票される人が問題なのです。

 

 もし、

 立候補した人がエホバの証人ならば

  エホバの証人たちは皆その人に投票することになります。

 

 エホバの証人たちを「一つの民族」と見なし、

 その一つの民族を守るために

  政治に関与することは

  聖書の教えに「悖(もと)る」ことにはなりません

 

ものみの塔は、

 自分たちの独善的な見解をエホバの証人たちに押し付けているので

 す。

 

共産党員は、

 共産主義者です。

 政治家を国会に送り込んでいます。

 

公明党員は、

 創価学会の信者です。

 政治家を国会に送り込んで、

 しかも、

 今は、直接政治を行う者の一グループとなっています。

 

外国でも、

 キリスト教を名乗る政党は幾つもあります。

 

日本の政治家も、外国の政治家も、

 大抵、自分の宗教を持っています。

 

政策の土台に、

 自分の宗教の概念があることは間違いありません

 

仮に

エホバの証人が政党を作り、立候補し、政治家になり政治に参加したとしても、

 真の崇拝は保つことは可能なのです。

 

全世界は悪魔の支配下にありますが、

 それでも、世の中に真の崇拝者は存在しているのです。

 

政治の世界の中にも、

 真の崇拝者がいても矛盾はないのです。

 

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確かに聖書に世のものとならないようにと記述されています。

 

そのため、

殆どのエホバの証人たちは、

 ものみの塔の出版物のみが、

 世に対する見解を知る手段となっています。

 

現実には、

 すべてのエホバの証人たちは、

 毎日テレビのニュースを見て、世の中の状況や状態を知ろうとして

 います。

 

 当然、世の考えや行いや振る舞いが目に飛び込んでくる訳で、

 そうした情報を自分の「認識」に取捨選択しているのです。

 

 会衆の中でもニュースのことが話題になることは珍しいことではあ

 りません。

 

こうして、

 エホバの証人たちと謂えども、

 世の影響を受けているのです。

 

そして、

 エホバの証人なりの「常識」が少しずつ生まれて来るのです。

 

どこの国でも同様です。

 

これが現実です。

 

所が、

ものみの塔のいわゆる執筆委員が「世の事柄」を内容に含める時、

当然、世の事柄に精通していることになります。

 

当然、世の影響を受けている訳です。

 

その執筆委員は、

 世の出来事や歴史などを調べ、

 自分たちの主張に合致した内容を書くことになります。

 

 しかし、

 執筆した人の、

 いわば、独善的な世に対する見方、考え方で、

 出版物の内容が決まる訳です。

 

 当然、

 出版内容に関して、

 最終的に執筆委員会が承認し、

 それを決定権のある「統治体」に図られて、

  出版が決定する訳です。

 統治体の成員たちでさえ、

  独善的な考えの持ち主なのです。

 

 そして、

 世界中のエホバの証人たちは、

 その記事を読み、それを信じることになるのです。

 当然、疑問に思う人もいると思いますが、

  声に出して言うことはしない、出来ないのです。

 

このようにして、

ものみの塔は、

 エホバの証人たちをいわば「洗脳」しているのです。

 

結論を言えば、

執筆委員の世に対する個人的な見解が、

 すべてのエホバの証人の見解とされているのです。

 

 その内容を受け入れるか否かは関係ないのです。

 

基本的に、

宗教を持つ人に「自由」はないのです。

信仰すると言うことは、

 信仰の源となる教え、事柄を受け入れ従うということなので、

 何事に於いても「自由」というものは制限されるのです。

 

エホバの証人たちは、

組織に属している以上

 「自由」はないのです。

 

イエスが言われた「罪からの自由」もないのです。

-マタイ8:31-34

 

ものみの塔の出版物の内容やエホバの証人たちの行いは、

 イエスの言われた「真理」ではないからです。

 イエスの言われたことに「留まっていない」からです。

 

エホバの証人たちは、そう思い込まされているだけなのです。

 

見かけ上も本心も「偽善」なのです。

 

イエスは言われました。

 「あなた方は災いです! 

 あなた方は白く塗った墓に似ているからです。

 それは,外面はなるほど美しく見えますが,

  内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。

 そのように,あなた方もまた,

 確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,

 内側は偽善と不法でいっぱいです」

-マタイ23:27-28