(論語4)志をいう


孔子の弟子の中に子路はもちろんのこと顔淵という弟子もいます。

孔子は顔淵をこの上もなく愛していたと言われています。

なぜなら、孔子の話す言葉のかけらからでも深い意味をさぐり、その真意を知ろうとすることを常に怠らなかったからです。

顔淵は、実に一を聞いて十を知る明敏な頭脳の持ち主であったそうです。

しかし、孔子が顔淵を愛したのは、顔淵の頭脳ではなく、その心の敬虔さだと言われています。

それに対して、子路もまた孔子の愛弟子の一人で、門人の中で最年長であり、孔子と9歳しか離れていませんでした。

しかし、子路については、たえず憂いを抱いていました。

なぜなら、子路は、いつも自負心ゆえに、物事を浅くみる癖があったからです。

子路に反省をさせる機会を探していたとき、たまたま、孔子と顔淵と子路の三人だけになったことがありました。

孔子はそのきっかけを作るために、

「 今日はひとつ、めいめいの理想と言ったようなものを話し合ってみたら 」

と言いました。

顔淵はいろいろ考えてすぐには返事をしませんでしたが、子路は

「 私が政治の要職につき、馬車に乗ったり、毛皮の着物を着たりする身分になっても、友人とともにそれに乗り、友人とともにそれを着て、たとい友人がそれらをいためても、うらむことのないようにありたいものだと存じます 」

と誇らしげに語りました。

自分としては、出世しても、友達のことを思う心を忘れませんとでも言いたかったのでしょうが、

自分の出世をただひけらかしているに過ぎないことに全く気付いていないのです。

孔子はそんな子路を不快に思います。

それに対して、いつも謙遜な顔淵は

「 私は、善を誇らず、労を衒(てら)わず(ひけらかさないという意味)、自分のなすべきことを、ただただ真心を込めてやってみたいと思うだけです 」

と答えました。

孔子は、この顔淵の答えを聞いて、子路がどう反応するか様子見ていましたが、

子路は顔淵の言葉の意味を悟ることもなく、ただ、自分が言ったことだけを気にしていました。

孔子もしばらく黙っていると、子路は遂に、

「 先生のご理想も承らしていただきとう存じます 」

と言いました。

それに対して、孔子は

「 私は、老人たちの心を安らかにしたい、朋友とは信をもって交わりたい、年少者には親しまれたいと、ただ、それだけを願っているのじゃ 」

と答えました。

これを聞いた子路は、いつもの自分の浅はかさと自負心から

孔子の言葉が、あまりにも平凡だったため、自分の言ったことの方が立派に思え、すっかり嬉しくなってしまいました。

しかし、顔淵の方はというと、

「 先生は、ただ老者と、朋友と、年少者とのことだけを考え、それらを基準にして、自分を規制していこうとしている 」

ことが分かりました。それに対して、自分は

「 自分の善を誇らないとか、自分の労を衒わないとか、要するに自分中心の考えをしていた 」

ことと、それらは、ただ頭でひねりまわした理屈に過ぎないことに気付かされました。

顔淵は、自分たちの周りにいる、老者、朋友、年少者に、ただなすべきことをしていけば良いということを悟ります。

孔子が自分の言葉が予想以上に顔淵に響いたのを見て、たいへん悦びを感じました。

まさに、一を聞いて十を知る顔淵でしたが、

それに対して、子路が何も得るところがなく、自負心に浸っているのを見て、

孔子は落胆し、布団に入ってからも子路のためにいろいろ心を砕いたとあります。

人間、良い悪いは別にして、

自分はこのように生きるんだとか、このように生きたいという願望のようなものは、

皆、何かしら持っていると思います。

孔子や顔淵や子路のような求道者には求道者としての志があり、

われわれ普通の凡人には凡人なりの志のようなものがあるのではないでしょうか。

しかし、理想として、

孔子のように、

自分のためではなく周りの人のために生きることは、

争いをなくし、平和な社会の礎になるのではないでしょうか。

しかし、誰もが容易にできることではありません。

大変難しい問題ですが、

一人でも多くの人がこのような生き方をすることを願っています。


(4)志をいう 終わり。