Echo de chouette

Echo de chouette

横山仁子の徒然日記です。
音楽の話・日々の気持ちを気ままに綴っていきます。



あの日から15年目を迎えた今日。

東京は、お天道様が豊かに降り注ぐ澄んだ青空となりました。

確かに気持ちがよい水曜日。

しかし、私の想いは時空を超えた遠いところにある。


津波🌊で尊い命を失った方々へ、そして会うことが叶わなくなったご家族の心の傷みへ、思いを馳せて空を仰いでいます。 


一昨日の夜のこと。

TVで、亡くなられた奥様を探し続けるために、潜水の資格を取られた方の思いにふれた。

年数が経つにつれて堆積したものが重なり、探しにくくなっている中、海の中に潜ると奥様と一緒にいられる気がすると語られていた。何百回と潜水されているという。

心に深く語りかけられた一つの出会いだった。


私の體の中では、"祈る"という行いがだいぶ変わってきている。

小さな枠の中の個人的な祈りから、宇宙🪐に通じるダイナミックな祈りへと変わり続けているのです。

神社・仏閣への参拝を始めたころから、確かに変化している"祈り"。

気がつけば、地球の安寧を願いながら、参拝と登拝を重ねており、"祈る"という行いの本質に少しずつ近づいているように思う。


紡がれている生命が健やかに育っていきますように⭐️


2026.3.11








木曜日、チェコ共和国大使館内の映写室にて、12/12の全国上映前に、"プラハの春 不屈のラジオ報道"を鑑賞してきました。


チェコスロバキア(当時の国)では、共産主義に反感を抱く若者達の熱き結集が民主化運動を引き起こし、1968年、遂に"プラハの春"が訪れました。しかし、自由を得た民衆の歓喜の中、ソ連がワルシャワ機構軍を率いて侵攻。放送局を制圧して「ソ連がチェコスロバキア国民を救出に来た」というプロパガンダを強いる。その緊迫した状況下で、命がけで真実の報道を続けたラジオ局員達がいました。この映画はその実話に基づき制作され、監督は1986年生まれのイジー・マードル (Jiří Mádl )。


"もしこれを放送できたら、世界が変わる"

"誰もいなくなったら何も変わらない"

報道とは?
周りの力に屈する事なく自分の気持ちに忠実に生きるとは?
誠実に生きるとは?
真摯に生きるとは?…等々、問われた深い作品でした。

お若いイジー監督がこの史実を映画化したことは、情報過多、増幅するフェイク情報への大きなメッセージにも思えます。

12日からロードショー。
掬えなかった言葉を拾いながら、もう一度映画館にて多角的に作品を見つめたいと思ってます。

ぜひみなさんにも観て欲しい作品です。

2025.12.9







昨日の9/9 は.重陽の節句でした。

恥ずかしながら、長年9/9 が節句ということを知らずに歳を重ねてきてしまいましたが、神道を少し学んだことで、この日の意味深さも知りました。


去年は慌てて3つの大きなデパートへ食用の菊の花を探しに行ったものの、完売。

「普段あんまり売れないのに、今日はなんだか直ぐに菊の花が全部売れちゃってねー。」と、話してくれた店員さんはおそらく重陽の節句をご存知なかったのでしょう。


今年は、早めに買いに行くつもりが、やはり夕方になってしまった。

半ば諦めつつ店員さんに尋ねると、「そちらにたくさんありますよ」と教えてくださった。いつも売り場の端にひっそりと並べられているはずの菊の花は、目立つ場所に山積みになっていて、"重陽の節句"と太文字で書かれた立札まで置かれていた。

私だけでなく、世の中も日本の伝統行事へ意識を向け、その想いを取り戻しているのかもしれません。


今年は栗ご飯も炊くことにして、ずっしりとした栗を選んだ。

先日手に入れた銀杏の木のまな板と鋼の包丁で、栗の皮むきを楽しむ。

聞き逃していた名演奏ライブラリー番組、"若き日のギドン・クレーメル"の回を流しながら、お気に入りの物云に囲まれて、なんだか妙に幸せな気持ちになる。


「あの子には漆のお重に入れ、菊の花を添えて縮緬の風呂敷で包んで届けてあげよう。」「いつの日か、お重に入った私の味が恋しくなるのかなぁ」などと、あの子の未来の時に自分を重ねた。



満月の余韻が残る夜空の下で、餅米を少し加え、伊勢の岩戸の塩で味をつけた栗ご飯と日本酒に菊の花びらを浮かべて、重陽の節句のお祝いができました。


私も先人の叡智を紡ぐ1人になれたらと願います。


2025.9.10