長らく更新しておりませんでしたが、まだ生きています。
書こう書こうと思って、いつの間にかこんなに空いてしまいました。
さて、今回はタイトルの通り、「対価」について書きます。
きっかけはですね
CLAMP先生の「xxxHOLiC」を読んで影響を受けてしまったからです。
とはいえね、真理を含んでいるものだと、私は思っております。
別に宣伝を行いたいわけではないですが、参考までに簡単な内容を紹介します。
主人公の高校生の男の子がいるのですが、ふとある建物に引き込まれてしまいます。
そこは願いを叶える店で、願いを叶える必要がある人しか来ることはできず、入ることもできません。
その男の子は自分の願いの対価としてそこで働くことになります。
といった具合です。
まず、「偶然迷いこんだ」ということではなく、そこの店主さん曰く
「偶然なんてない。全て必然である。」ということなのですね。
ほー…算命学にも通じますね。
生年月日を使った占技で出ないところは、
親族や先祖からの因縁やご縁であったり、自分のした行動の結果であったりしますからね。
ただ、すべてが最初から決まっているわけではなくて、「選択」の結果であると。
また、よく出来て居るお話でしてね、
願いを叶える代償には必ず「対価」が必要で、
それは多く貰いすぎてもいけなくて、少なく貰ってもいけない。
願いに対して対等な価値でなければいけない。
だから対価っていうんでしょうね。
そうでないと色々と傷が付くそうです。
そこまで長く生きてきたわけではないですが、
一応は社会に出て暮らしている以上、納得できる部分は多々あります。
例えば人生にしても選択してきた行動に対する結果が対価として現れているもので、
良かれ悪かれ、そういうものではないでしょうか。
知らない人には理不尽な天中殺やその他良くない時期の行動もありますが、大体なるようになっていると思います。
社会に出て、勉強であったり努力して人は対価として、実力であったり収入であったり、得られていたりとかね。
算命学の勉強にしてもそうだと思います。
お金と時間と心と身体と魂を費やして学んできた人には、相応の対価があると思うんです。
(書いている本人がどうなのかは秘密です)
ご存知の通り、算命学は古代中国からずっと積み重ねられてきて、今まで秘伝として表に出てきていなかったわけです。
それが天の意志なのか、時代が求めていたからなのか、高尾先生のお蔭で世に出てきたんですね。
算命学に限定できませんが、その価値のあることを学ぶにはそれなりの対価が必要だと思うのです。
例えば、ネット上で無料で占技を公開する行為があったとしましょう。
便利であったり、見てみたいと思う人は少なからずいるのではないでしょうか。
反論は多数あると思いますが、はっきり良くないことです。
一言でまとめるのもありかもしれませんが、せっかくなので思っていることを箇条書きで書いちゃいます。
・お金と時間を費やしてきた人が救われない。
⇒そういった人を侮辱する行為であり、恨みと因縁が付いてくる(代々の先人からも今生きている人からも少なからず)。
・算命学の価値が下がる。
⇒それを見る人によって、学ぶ人の質が相対的に落ちるし、労せずして拾える情報なので算命学自体の価値が下がる。
・見る人が相応の対価を支払っていない。
⇒習う場所によって相場は違えど、適正どころか全く対価を払っていないので、
別のところで支払わなければならなくなる(運気であったり理不尽な不運とか)。
・正しくなくても、正しい情報と信じられてしまう。
⇒誰かとは言いませんが、間違っているところがあったりします。
・いいとこどり。重みがない。
⇒体系的な内容を、労して学んでいくのに、そうではないので身につかない。
・書いている人に因縁が積み重ねられ、見る人もその因縁の影響を受ける。
まぁ、こんなところでしょうか。
習ったけど忘れてしまったことをノートや資料から探すのは大変で
確かに便利かもしれないですけどね。
要点はですね
「対価」というものは適正でなければならないということです。
占いは占者と依頼者の契約であり、誠意と覚悟を持って
自分のできる限りの力で応えなければならないというようなこともありました。
何か素敵ですね。
僕の大好きな「君嘘」で「君の人生で、ありったけの君で、真摯に弾けばいいんだよ」
というような感じで、そうゆう鑑定ができて、相手が満足したときは心が救われます。
相変わらず、綺麗な文でなくて申し訳ございませんが、
お読み頂きありがとうございます。
思い立ちましたら、また書きます。