昔話し13 | 上田仁オフィシャルブログ「鏡花水月」Powered by Ameba

昔話し13

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、保育園時代から有名だった「なおや君」の喧嘩の強さは小学校に上がっても変わることなかった。

しかし、保育園と比べ三倍になった生徒数の中に、もう一つの脅威が生まれていた。

低~中学年に私と同じクラスであった「じゅんぺい君」は「なおや君」以上の悪ガキだった。

なぜか私はその「じゅんぺい君」仲良くなり、休日を一緒に過ごすことも増えていた。

ぼんやりとしか覚えていないが、どちらかといえば彼は私と遊ぶより「私の父」と遊ぶのを楽しんでいたように思われる。

父も天真爛漫な「じゅんぺい君」を可愛がっていた。

彼は悪ガキである反面、人なつこい性格だったので私も一緒にいるときは楽しかったのだ。

それは高学年になってからの話し、私達は他の学校の生徒達とサッカーの試合をするようになった。

しかし所詮は小学生同士の勝負事、一度ルール違反が起きれば、そこからは大規模な喧嘩に発展する。


私は越境で通っていたこともあり、自分の小学校の友達以外の交友範囲があったので、喧嘩になったところでどちらの味方になることもできず、かといって全員を仲裁するほどの力もなかった。

傍観することしかできない自分が情けなかった。

しかも喧嘩の先陣をきるのは大体「じゅんぺい君」だったので尚更別の学校の友達に対して気まずい。

その場で私はどうすることもできなかった。

「サッカー試合」という名目の「果たし合い」は暫くの間続く。

主に3つの学校が対象になっていた。

近所の公園内にあるコートで試合を行っていた最中に次々と自転車がやってきて会場の周りを囲み、殺伐とした空気の中でボールを蹴った記憶もある。

最後は案の定、

掴み合いだった。

まるで極道映画のような縄張り争いは延々と続き、私達の学校は周りから恐れられるようになってしまった。

結果として私は「のなか君」や「きたはら君」などの地元の友達をなくしてしまう。

抗争は中学になっても別の形で発展した。

そこら辺から私は集団の人付き合いに対して「面倒」と思うようになった。

誰の敵にもなりたくなければ

誰の味方にもなりたくはない。

くだらない争いに巻き込まれるくらいなら寂しくても一人意見できる立場にいたほうがまだマシだった。

今になって思うが、いい大人になってもこの小学生同士の争いと大して変わらないことをやっている政治家がこの国に山ほどいるのは本当に情けないことである。

話が全く変わってしまうが国会中継中に居眠りしている議員はいい加減恥を知るべきだろう。