11年前の地震発生当日、北海道から帰りのフェリーで新潟港へ向かっていた。
船内で第1報を聞いた後、初期の報道では100人程の死者であると発表されていたが、時間が経つにつれて徐々に被害者が増え下船してから500人程と発表されていた。最終的にはその10倍の犠牲者(負傷された方を含めるとそれ以上)となり、都市での大地震に衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
その大震災から約10年、今度は自分自身が大地震を体験するとは夢にも思わなかった。
しかし、阪神淡路大震災での教訓は後の建築基準や防災体制等々少なからず生かされていたに違いないと痛切に感じているところである。