2024年の元日に能登地方で

大きな地震が発生しました。

亡くなられた方やそのご家族には

心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

この記事が誰かの心の支えになったり、

誰かのチカラになればと思います。



人々が絶望の淵で途方に暮れ、

動く気力すら失い、

語るべき言葉も見つからず、

何をすべきか、何をしたらいいのかも分からず

呆然と立ち尽くしている時・・・


一切の泣き言や弱音を吐かず、

恨み言を言わず、

神にも人にも文句を言わず、
折れそうになる心をしっかりと支え、

悲しみや苦しみや虚無感さえも乗り越えて、

その時、自分にできることは何か、

いまやるべきことは何かを冷静かつ真剣に考え、

強いまなざしでキリリと顔を上げ、

人々に先立ってスックと立ち上がり、

動き出せるか。



泣いていたって、何も変わらない。

地震で倒壊した建物を目の前にした時、

神を恨まず、神に頼らず、神に祈らず、

座り込んで泣きじゃくる人や、

途方に暮れるばかりで

何も出来ない人々をよそに、

黙って足元の瓦礫を一つずつ片付ける作業を、

誰かがやりはじめれば、人々は気付く。


何もしなければ、何も変わらない。

何もしなければ、何も動かない。

風が無ければ、風が吹くまで待つのではなく、

自分から動いて風を起こす。


最初の一人が毅然として動き出せば、

人々の意識も切り替わる。

「ああ、そうか。悲嘆にくれている場合じゃない」と。


その、最初の一人になれるか。

みんなが動けないような時、

最初に動き出す一人になれるか。


いざという時、窮地に立たされた時、

ギリギリの土壇場において、

その人の真価が問われる。

そして、そんな時こそ、

人々が真価を発揮し、進化を遂げる時。

インターネットも書籍も他人も、

自分の周囲には何一つ頼るべき情報源が

無くなってしまった時、

何を基準に物事を判断し、

何をよりどころとして心を支えるか。

何を頼りにし、何をチカラとし、

どこを目指して歩いていくか。

いざという時、動けなければ、

どんな知識があろうと無意味である。

大いなる勇気が必要だ。決断力もいるだろう。

決してくじけず、あきらめず、

どんな時でも自分で自分を支えるだけの

強さも必要だ。



いざという時、頼れるだけの自分を作っておくこと。

最後に頼れるのは自分しかない。

凛とした空気を身にまとい、

人々を照らすような人でありたい。

 


※この記事は2019.10.17投稿分の複製です。

※この記事は東日本大震災が起きる少し前に、

別のブログに書いたものをリメイクしました。

地元の八坂神社にいたカラス。神域にいるカラスは神様の使い。