仏教の教えでは、人間には108の煩悩があり

その中で特に根本的なものを「三毒」といいます。

 

「貪(とん)」=むさぼり

「瞋(じん)」=いかり

「痴(ち)」=おろかさ

 

実はこの三毒に対応するのが『西遊記』の三匹の妖怪です。

 

猪八戒=「貪(とん)」=むさぼり

孫悟空=「瞋(じん)」=いかり

沙悟浄=「痴(ち)」=おろかさ

 

 

『西遊記』の三蔵法師と三妖怪

 

 

・・・という話を延岡市のお寺で

護摩祈願に参加した時、お坊さんに聞きました。

高野山真言宗の光明院というお寺ですが

地元では今山大師の名前で通ってます。

 

「痴」は「悪知恵」を働かせるという説明でした。

 

 

三蔵法師が三毒を象徴する妖怪を従えて旅をするのは

人間が三毒と向き合いつつ人生という名の長い旅

するのに似てます(表現が昭和歌謡)。

 

そのように考えると『西遊記』も、なかなか興味深いなと。

 

「欲」というのは無くてはならず、ありすぎても困ります。

「ちょうどいい加減」というのが、なかなか難しいところです。

 

 

ポイントは三毒に支配されるのではなく、三毒を従えるということ。

この三毒を消滅させるのではなく、抱き参らせるということ。

 

「自分には三毒なんて無い」というのではなく

「三毒を無くそう」とするのでもなく

「自分には三毒がある」と謙虚に受け止める

・・・というのが大事かと。

 

 

三毒というのは使い方によっては、例えば

「貪」は貪欲な探求心につながり

「瞋」は不義不正に対する憤りとなり

「痴」は創意工夫する知恵につながります。

 

 

どのような方向に「欲」を使うか。

それは私達の心がけ次第です。

 

 

愛染明王のように欲を否定しない仏様もいます。

「欲」の全否定ではなく、「欲」の有効活用。

 

 

世の為、人の為になり、神仏も喜ぶような

「欲」の使い方を心掛けたいものです。

 

・・・とかなんとか。

 

言うだけならカンタンです。

ええ、分かってます。

そう簡単にはいかないってこと。

 

だから自力だけでなく

神仏にも頼ったりしながら

三毒を抱き参らせつつ

人生という名の長い旅を・・・(以下略)

 

 

 
 
愛染明王

 

元三大師が姿を変えた鬼大師

(大分県国東市・文殊仙寺)

 

元は破壊神だった大黒天(三面大黒天)

 

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